転生皇女の総力戦経済史

ラール

第1話 廃墟からの始まり

 この世界に英雄などいない。


 そのことを少女が悟ったのは、よりによって命尽きる寸前だった。都合よく助けてくれる英雄などいない。生き残るためには自分のような農民の娘でも戦うしかない。そして、それは全ての者が等しく戦わなくてはいけないことも意味する。飛び交う砲弾の前には、農夫も地主も、さらには皇帝すらも平等に消し炭にされる運命だ。


 停滞しつつも平和だった世界では知り得なかった真実を、少女は死に際に悟らされた。恐怖と寒さと涙にまみれながら、そんなことを悟る少女は、それにもかかわらず自分の身の上など、もはやどうでもよくなっていた。周りには、友や隣人「だった」ものが転がっていた。自分が慣れ親しんだ故郷「だった」場所で。

 こんなことになったのなら、自分の身一つが助かったところで何になるのだろうか。諦めと怒りが少女の最期の思考を覆い、もうほとんど見えない両目は血の涙を流した。


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 大陸暦1943年2月。

 耳を引き裂くような銃声。硝煙と血の臭い。見知った故郷と呼ぶにはあまりにも変わり果てた場所で、ジーナは身を屈めてライフルの引き金に指を添える。だが、狩りの経験すらない彼女には、そんなものを上手く扱えるはずもなかった。それでも引き金を引かねば、自分が撃たれてしまう。そう思い、彼女は巨大な鉄の塊に向けて弾を放ち、反動を華奢な全身で受け止める。だが、ジーナの頭は真っ白だ。死体と瓦礫が散乱する光景を前に、何も正確には捉えられない。


「ここはもう駄目だ!逃げろ、逃げろ!」

 押し寄せる敵の前には、村一番の大男のハンスですら無力だ。村の中にはまだ味方もいるが、村の外れにいた味方はもう全滅した。村の東側が落ちるのも時間の問題だ。

 そこに、一人の少年が息を切らしてやってきた。村の南側を偵察しに行ったヨーゼフだ。

「ハンスさん!村の南も総崩れになってます!西しか逃げ道はないです!」

「俺たちも今から逃げる。この先の東の塹壕は、もう奴らの戦車に潰された。国軍の連中もどこかに逃げちまったよ」


 ハンスは、頭を屈めながら一同に指示を出す。

「西から逃げるぞ。あそこはさっき、地主様も通ったはずだ。俺たちも追いかけよう」

 ハンスは地図を見ながら、西の山道を指差す。その指示に分隊の全員が頷く。全員、と言っても既にハンスを含めて5人しかいない。大幅に数を減らしながら東の陣地から逃げ延び、村の中心部で敵を食い止めようとした時点で、もはや消耗しきっている。もとより、急拵えの郷土防衛隊には何も期待できなかった。他の分隊も程なくして全滅するだろう。ヨーゼフは武器を持っていないし、ハンスやジーナたちも単発ボルトアクションの旧式ライフルしか持っていない。国軍部隊もいない今、機関銃や戦車を揃えた敵と張り合う力など残っていない。


 目の前の状況に、ジーナは涙も出ずに震えるばかり。もはや終わりだ。

「そんな顔をしないで。街まで逃げれば何とかなるわ」

 幼馴染のベルは励ましの声をかけるが、彼女自身も既に憔悴しきっている。

「敵の歩兵がもうすぐここにも来る。今が最後のチャンスだ」

 ハンスの言葉に誰も異論はない。分隊の5人は崩れた家屋の陰に身を屈めながら、その場を離れた。


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 もうどれくらい走っただろうか。瓦礫だらけの村を走り、西の山道を走った。もう靴もボロボロになって、つま先には小石が食い込む。

「ハンスさん、この山を越えたら…」

 ジーナの体力はとっくに限界を迎えていたが、ここで足を止めれば確実に死ぬ。

「ああ、隣の街まであと少しだ。あそこまで行けば、国軍の大隊が…おい、何だあれは」

 ハンスの声色が急に変わる。

 狭い山道に横たわる大きな荷車の残骸。そして、その傍には村人を見捨てて逃げた老地主の成れの果てが転がっていた。その胴体は、何発もの銃弾を受けて、もはや形を保っていない。

「まさか、引き返せ!敵はもう…」

 その言葉が終わる前に、けたたましい銃声が響き渡る。ハンスは短機関銃の餌食にされた。

 木陰に隠れていたのは、短機関銃を持った十数名の敵兵たち。敵軍の中でも特に優れた装備を持つ者達だろう。


 リーダーを失った村人たちは、散り散りになって逃げようとしたが、あっという間に短機関銃に屠られた。ライフルを構える暇すら与えられずに圧倒された。もとより、残された数発分の弾薬ではフルオートの短機関銃には到底勝てない。ハンスも、ベルも、ヨーゼフも、みな既に息絶えている。

 足と腹部を何発も撃たれたジーナは、その場に倒れ込んだ。かろうじて息があった彼女だが、もはや助からないことは敵兵から見ても明らかだった。ハンスの分隊は、捕虜も残さずに全滅したのだ。若い敵兵は、戦地のど真ん中にもかかわらず、へらへらと笑いながらタバコを吸う余裕を見せるほどだ。そして、その吸い殻をハンスの遺骸の上に落とし、ブーツで踏みつける。こんな光景を見せられるぐらいなら、1秒でも早く息絶えた方が穏やかだったとすら、ジーナは感じた。

「あ…あっ…」

 ちょうどその時、流れ弾が当たった荷車の木箱が崩れ、中身が溢れる。荷車から地面に落ちたものは、無数の古い金貨と何本かの金塊だった。ジーナたち小作人から搾り取った地代は、こんな形に変わっていたのだ。そして、それを死に際に目の当たりにしたジーナは、悔しさが込み上げた。地主とこんな物を逃すために、村人たちは死んだ。

 こんな狂い果てた世界で金貨を持っていたところで、何の役に立つのか。敵を殺せない。腹も満たせない。だが、少なくとも地主の老人にとって、この金貨はジーナたち村人の命よりも大事だったのだ。いざという時の備えだ、村人たちのためなのだ、などと言って地主が貯めた地代は、こんな無意味な形で嫌味ったらしく輝く。

 こぼれ落ちたものを見た敵兵たちは、歓喜の声を上げる。無邪気な笑いが、血と硝煙にまみれた小道に響きわたる。

 故郷の村は戦場となり、家族も友も死んだ。何も守れず、誰にも守られなかった。それがジーナ・エルザスという村娘の結末だった。少女の最期としては悲惨だが、この滅びゆくレオニア皇国の民としてはありふれた結末。だが、ジーナの怒りと憎悪の火は、まだ消えていなかった。

 少しでも体が動くなら、指先の感覚がまだ消えていないなら、彼女は少しでも足掻こうとした。もう目は見えないし、立ち上がることもできない。それでも、何かをせずにはいられない。諦めた瞬間に、この暗闇に永遠に囚われることが、怖かった。

 だが、そうしたところで結末は変わらないのだ。カツカツというジャックブーツの足音が、容赦なく近づく。ジーナが最期に感じたのは、銃弾によって後頭部が砕かれる衝撃だった。

 次の瞬間、全ては暗転する。そこで何もかも終わる…はずだった。


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 熱い。体が奥底から熱い。意識は朦朧としている。だが、失われたはずの感覚が徐々に戻る。指先の感覚がある。そして、目蓋越しに光を感じる。

(ああ、私は生きている)

 確かな命の感覚は、温かい。だが、その感覚と同時に記憶も戻る。

(村は、みんなは…)

 瀕死だった自分は、誰かに助けられたのだろうか。ジーナは自問自答するが、まだ何も分からない。声を出そうとするが、息苦しさが残る上に、喉が痛む。それでも必死にか細い声を出す。

「私は…どこにいるの…村は…」

掠れた声に、周囲が咄嗟に反応するのを感じる。驚きの声、ドタバタと飛び交う足音、多くの人の気配。駆け寄ってきたメイド服姿の女が、涙を蓄えて昂った声を上げる。

「お目覚めになられたのですね!殿!」


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(……殿下?)

「殿下、ご体調は如何ですか?熱は下がりましたが、まだ油断は禁物ですぞ」

 初老の白衣姿の男が、恐る恐る尋ねる。だが、ジーナは意味が分からない。農民の娘のことを殿と呼ぶ者などいるはずがない。

「一体何を言ってるんですか?私は…」

「まだご体調がすぐれないのですか?ご無理は禁物ですぞ。あれほどの高熱だったのです。まだ意識や記憶に混乱もおありでしょう」

 医師らしき初老の男は、テキパキと周りのメイドたちに指示を出す。

「問診は後にします故、今はゆっくりお休みください。部屋の前には侍女が待機しております故、何なりとお申し付けを。それでは、失礼いたします」

 男はそう言うと、部屋を去る。いや、男だけではなく。先ほどのメイドを含めて、多くの人々が部屋を後にした。ベッドの周りに人が多くて気づかなかったが、とても広い部屋だった。家具は豪勢で、ベッドもふかふかだ。

(何がどうなっているの…)

 まだ回復しきっていない体を押して、ジーナは立ち上がる。だが、そこで最初の違和感に気づいた。その体は、16歳とは思えないほど小さかった。そして、暗い赤毛だったはずの髪は、輝かんばかりの生糸のような金髪に変わっている。

「なんなのよ…これ」

 ジーナは、よく知る自分からはかけ離れた姿に、驚きと焦りを隠せない。近くに鏡を見つけ、慌てて駆け寄る。

 だが、そこに映っていたのはジーナ・エルザスではなかった。はずのレオニア皇国のたった一人の皇女——エリザベート・フォン・レグルスだった。

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