海に沈むジグラート 第63話【冬の庭園にて】
七海ポルカ
第1話 冬の庭園にて
「ラファエル、来ていたのですね」
ラファエル・イーシャがヴェネト王宮の広い温室を歩きながら、冬にも色鮮やかに咲く花を眺めて優雅に散歩していると、花の陰からヴェネト王妃が姿を現した。
「妃殿下」
フランスの若き公爵は、王妃セルピナの姿を見つけると、知った人を見つけたというように美しい青い瞳を輝かせた。王妃はその様子に微笑む。
ヴェネトの貴族さえ今のセルピナの姿を見つけると、背筋を伸ばし硬い表情をして、何も失礼がないようにと身構えるものだ。
ラファエル・イーシャは本当に、初対面の時から優雅に礼儀正しく他国の王妃に接してきたし、親しくなった今も――そして王妃の事情を知った今もその印象は何も変わらない。
本当に率直で、人を謀ったりしない青年なのだ。
確かにラファエルには王宮にも私室を与え、特別な待遇を与えているが、彼はそうまでされても自然体だった。家には妹がいるというが、帰りたい時には帰っているし、こうしてふらりと普通に王宮を訪ねて来て、花を見ていたりするのだ。
【シビュラの塔】が三国を滅ぼしたあと、色々な人間が王妃に面会を求めてヴェネトを訪ねてきているが、ラファエルのように自然体で自分と話せる人間は見たことがない。
みな、媚び諂うか、そうでなければ用事以外は一切余計な失態をしたくないと、呼ばれない時は息を潜めているだけである。ラファエルだけが、こんな風にヴェネトにやって来ても、花を見に王宮へやって来たりして暮らしている。
彼は別に、王妃が多忙なら声を掛けずに帰ったりもする。後に側近から今日ラファエルが城に来ていた、などと一日の終わりに報告を受けることもあるのだ。
時間があるなら会いに来るが、無ければないで無理に王妃に時間を取らせたりはしない。
王妃セルピナはこの青年のそういう大らかな気性を、とても気に入っていた。
少し歩きましょうと王妃が言うと、ラファエルは優雅に頷き、腕を差し出して来た。
「こうして貴方と腕を組んで歩いていると、陛下とこの庭を歩いていた時のことを思い出します」
セルピナが言った。
ラファエルは、この王妃でも亡き夫を偲んだりすることがあるのか、と意外な気がした。
しかし顔を見ると、別に嘘偽りというわけではないことが分かった。
国民には伏せられているが、彼女の夫、ヴェネト王エスカリーゴはすでに亡くなっている。そこには触れずラファエルは応じる。
「花が好きな方だったのですか?」
「穏やかなご気性でしたからね。私とは真逆」
彼女のこんな軽口も、もはや笑えるような者は周囲にはいなかったが、やはりラファエルは楽しそうに声を出して笑った。
「今日はどうしたのです?」
ラファエルが今日やってきたのは思いつきであり、何となくだ。
ネーリとアデライードが出かけているので、家に一人というのもつまらなかったから出て来てみたというのが本音である。
ラファエルは今、フランス艦隊の指揮権からも切り離された立場にあった。王妃がラファエルの補佐を望み、王宮に常駐させたがっていることから、そちらが重要な役目になったのである。
またフランスとしても、ラファエルが王妃と強い信頼関係を築くことは有益になるため、今は軍と共に行動するよりは王宮にいて下さい、と副官のアルシャンドレ・ルゴーからも言われている。
しかし王妃も公務にラファエルを縛ることは今は無く、彼の行動に任せていた。
才の無い人間なら時間を持て余すだろうが、ラファエルは街を見たり、王宮に来たりしながらヴェネトという国をよく観察しているようだった。
基本的に他者を信用しない側近のロシェル・グヴェンさえ、「あの人は変わっていますね」と王妃に話すことがあった。フランス王が側に置きたがり、可愛がっていると聞いていたが、その気持ちはよく分かると王妃も思う。
「実はシャルタナ公が屋敷にいる妹をご招待下さり、珍しい美術品のコレクションなどを見せて下さっているので、留守にしています。なんだか一人でいるのもつまらなかったので、出てきてしまいました」
「まあ」
王妃が笑っている。
「あの方は一流の美術品のコレクターでいらっしゃるから。貴方も一緒に見に行ったらよろしかったのに」
「それはそうなのですが、私がいると妹はどうも落ち着いて美術鑑賞が出来ないようで。シャルタナ公と私が揃ったら、自分など会話について行けなくて見劣りするからと遠慮しようとするのですよ。なので今回はご親切な公爵殿に妹をお任せしました」
「そうですか。フランス宮廷の中でお育ちになったのではなかったのですね、気後れしたのでしょう。シャルタナ公は気さくな方ですから、心配ないはず」
「ええ。私はまた別の機会にコレクションを見せて頂こうと思っています」
「芸術に造詣が深い貴方でも、満足するような美術品がたくさんありますのよ」
「楽しみにしていると、是非公爵にお話を」
しておきましょう、と王妃は視線を振り返らせた。
女官が遠くにいる。呼びに来たのだろう。
「これから、どこかへ行かれるのですか?」
「ええ。ムラーノ島のサンティ・ドナート大聖堂でヴェネツィア聖教会の新しい枢機卿任命式があるので出席します。枢機卿が替わるのは八年ぶりのことなので、是非にと招待されて」
八年ぶりということは……。
「妃殿下は初めての任命式ですか?」
「ええ」
「そうでしたか。フランスでも国教の聖ヴァーリ教会が行う枢機卿任命式は特別華やかで王侯貴族も列席することで知られています。私自身はそんな見事な信仰心を持っているわけではないのですが、神儀は厳かで美しいですね。船は動きそうですか?」
「今年は海が凍っていないので、船が使えるそうです」
「それは良かった」
港が凍れば、船が動かせない。船が動かせれば直接近隣諸島に行くことが出来るが、使えない場合は陸路で行き、何度も乗り換えなければいけない。
「こういうときばかりは空を飛べるのは羨ましいですね」
「……そうね」
ラファエルは何気なく空を見上げていったのだが、王妃は頷いた。
おっと。
機嫌を損ねてしまったかな? と思ったものの。実際、王妃は同意を示したのでラファエルは放っておいた。
二人で元来た道を戻り始める。
「……ラファエル。先ほど言ったことですけれど。貴方は神聖ローマ帝国の竜騎兵団をどう扱うべきだと思いますか?」
しばらくして、王妃が尋ねてきた。
機嫌を損ねたのではなく、考え事をしていたらしい。
なんだ、とラファエルは納得した。
「ヴェネトにとっては危険な存在となるでしょう」
これは、率直に言った。
フランスのために神聖ローマ帝国を悪く言う意図も、あまり気に入らないあの黒鷲の青年将校を貶めるつもりもなかった。ただ、王妃セルピナが助言を求めた時、当たり障りのない答えをしても彼女は納得しないことをすでにラファエルは学んでいた。彼女はこういう時は、例えヴェネトに不利益があることでも彼には率直であることを求める。
「……やはりそう思いますか」
「彼らはその気になれば【シビュラの塔】にもヴェネト王宮にも直ぐさま奇襲を掛けられる存在です。それに空を飛ぶ竜は艦隊の砲撃も高度で躱せる。厄介です。
今までは私も【シビュラの塔】の前には竜騎兵団も無効化出来ると考えていましたが、今現在、あの塔が扉を閉じているのなら、安易に彼らを王宮に近づけるべきではないかと」
王妃は頷いた。
「私もそう思うのです」
「しかし竜騎兵団の……というより竜の機動力は、ある意味、ヴェネトに相応しいとも私は考えています。ヴェネトはヴェネツィア以外どこへ行くにも、多少なりとも船での移動が必須です。空を飛べるならばより迅速な移動が出来ます。
妃殿下、ご助言をさせていただけるなら……」
「もちろん。許しましょう。ここには私と貴方しかいないのですから」
王妃は立ち止まり、長身のラファエルを見上げた。
「王太子殿下の戴冠も来年には控えておりますが、情勢不安定な中、たった一人の王太子の御身に何かあればと危惧され、あまり外遊などにも時間を割けなかった事情は私にも分かるのですが。先代の王があまりにもヴェネトでは顔が知られすぎている。
民が求めるのは長く続く穏やかな治世。
当然、ジィナイース様にもそれを求めるでしょう。
私はこうして妃殿下に重用していただいていますが、王都の民にとって港に乗り付けた三国は、あくまでも他国の軍です。ヴェネトは国軍を持っていない。それゆえの聖騎士団創立なのですが、王都の民が周知するまでには時間を要するでしょう。
しかし、竜騎兵団は別です。
空を駆る騎士団。
神聖ローマ帝国では竜騎兵団は皇帝直属の軍隊です。
そしてマクシミリアン皇帝以前は、竜は王家の秘宝で秘術だった。
あれをヴェネト王家の守りにすることは、有益になると思います」
「あんなものがヴェネトの上空を飛び交うようになれば、国そのものが変わってしまうわ」
「……そうとも限らないでしょう」
セルピナは不満の声を聞かせたが、隣のフランス公爵は静かな表情で、そこに咲く大きな花にそっと優しく触れている。
「ヴェネトに来た竜騎兵団は少なくとも、妃殿下の前に腰を折っています。神聖ローマ帝国のように、竜をヴェネト王宮の秘術にすればいい。王家の人間だけが乗る、証に。
ヴェネツィアの民にとって、自ら船に乗り長く戦ったユリウス王の威光は、簡単に消え去ることはないでしょう。
若き王太子にはそれ以上の鮮烈な存在感が求められます。
竜がヴェネトの上空を飛ぶ時、神聖ローマ帝国の兵が飛んでいると思えば確かに国民は不安に思うでしょうが、ヴェネト王家の方がそこにいるのだとそう理解すれば、印象は全く変わるかと」
「竜を王家の人間だけの乗り物にする……ということですか?」
「王家の人間の行動と竜騎兵団を結びつけるのです。即位後、王太子が空を駆け、ヴェネト諸島に視察をなさればその威光は、国の隅々にまで届くでしょう」
「ラファエル。あなたがフランスの国益を一番に考えるならば、その提案はしなかったはずですね?」
ラファエルは小さく笑った。
「フランスには竜がおりませんからね。ヴェネトとフランスの親交を結ぶのが私の役目とはいえ、他国にあれが流出することは、仰るとおりフランスの為にはならないでしょう。
フランス王にはどうか今の会話は内密に」
セルピナは目を瞬かせてから、吹き出した。
「ほんとうにあなたは……、困った方だこと」
顔を見れば分かる。
ヴェネト王宮に竜騎兵団を出入りさせるべきだという提案に、王妃は不満を覚えなかったようだ。実のところ、そうしたいとも思っていたのかもしれない。
実際、まだこういう信頼関係を王妃との間に築く前に同じ話をしても、王妃は笑ったりはしなかったはずだ。
ラファエルでさえ、無礼な提案をするなと叱責を受けたかもしれない。
やはり、セルピナ・ビューレイとも人間関係は築ける。
少なくとも、いつになっても話が出来ないという相手ではない。
ラファエルは確信していた。
「王太子は陛下に似て、穏やかなご気性です。
正直なところ、母の私から見ても、あまり剣術などは得意ではいらっしゃいません。
ご本人は、そういうことも直したく思われて、最近剣術にも興味をお持ちのようですが」
(あらら、それでイアン君なんかに剣を教わろうとしちゃったわけね。
バカだなあ。あんな乱暴な人じゃなく落ち着いた人にでも教わればいいのにさ~)
「……私も父を知っていますから。
剣とは天賦の才なのですよ。あなたはその才をお持ちね。ラファエル。
いくら殿下が剣の才を望まれても、ユリウス・ガンディノを凌ぐ武勲は立てられません。
ですが――竜騎兵団を殿下の直属としてそのご威光に加えれば、勇敢な王の血筋であることを、内外に示すことは出来るかもしれませんね」
本当は、竜騎兵団がヴェネトに重用されることは、事実としてフランスには避けたいことなのだが。ラファエルは苦笑した。
(まあ、仕方ない。フェルディナント、【エデンの園】の借りはこれで返してやるよ)
ラファエルの基準はいつだってネーリである。
彼と自分が揃っていれば、この世に恐れる相手などはいないと彼は信じ切っている。
「……よく、助言してくれました。ラファエル。
貴方はフランス艦隊の総司令官ですが、やはり信頼すべき人柄の方です。ありがとう」
ラファエルは優雅に会釈をした。
王妃を見送るために呼びに来た女官の元まで、ラファエルも歩いてくる。
彼はフランスは勿論、ヴェネトでもすでに王妃に重んじられるほどの立場になっているが、女性に対しての礼儀として、女官にもにこやかに挨拶をする。
王妃付きの女官なので、滅多なことでは取り乱さない人なのだが、身分の高い人間から挨拶されることに慣れていないのか、一瞬驚いたような顔をしてから、慌てて一礼をした。
ふと、別れを告げようとして、王妃は立ち止まる。
ラファエルを振り返った。
「……ラファエル。今回の外遊に同行しますか?」
ラファエルは目を瞬かせる。
王妃は突然、思いついたようだ。
一瞬の表情に、人は素の感情が出るものである。
「私などが同行して……お邪魔にはなりませんか?」
「先ほどのように有意義な助言が聞けるのであれば、邪魔であるはずがないでしょう」
ラファエルはもう一度瞬きしてから微笑み、王妃にもう一度改めて腕を差し出す。
「それならば喜んで」
王妃は灰色の瞳を輝かせた。
これが他の人間であったら――困惑の表情が顔に出るか、側近と相談するのでしばしお待ちを……などと時間を取らせただろう。
ラファエルは躊躇いの瞬間すらなかった。
これが、この青年の豪胆な所なのだ。
他の貴族と明確に違う。他人に挑まれた時、気持ちいいほど堂々と受けて立つところがある。前は何故だろうと疑問に思ったこともあったが、ラファエルの剣を王妃はすでに目にした。あれだけの剣の才があれば、普通の貴族が恐れることなど、恐れる心が湧いてこなくても当然である。
確かに彼女自身、この青年は私を少しも怖くないのだろうかと疑問に思うこともある。
だがその疑問を纏っても尚、ラファエルには圧倒的な、貴方に逆らう意志はないのだという友好的な感情がある。雰囲気が。
王妃はくすりと笑んで、ラファエルのその反応すら予期していたようだった。
「ではそうしましょう。早速支度を」
若き公爵の腕を取り、王妃は優雅に歩き出す。
「周辺諸島にはまだ行ったことがありません」
「ムラーノ島は穏やかで美しい島ですよ。今が冬なのは残念ですが、初夏などは、その場所だけ他の場所よりゆっくり時が流れているようです」
「ああ……。ありますね。そういう土地は……」
二人は穏やかに笑いながら、城の中へと入っていった。
残された女官は若干驚いていた。
あの王妃があんな、思いつきのように同行する人間を決めるのも非常に珍しく、彼女は非常に気位の高い女性なので、夫以外のエスコートも、あまり好きではないようだった。
それなのにラファエルに対しては、自ら手を伸ばして腕を取っていたし、本当に、寄り添って歩く後ろ姿を見ると恋人同士のようだと思う。
(セルピナ様があんなお顔で笑うなど……エスカリーゴ様とおられる時さえなかったことだわ)
まるで少女のように目を輝かせてラファエルを見上げている。
女官は城仕えが長かった。
実は母親も城の女官であり、その関係で城にも何度か来たことがある。
セルピナよりも彼女は十歳ほど年上で、城の式典の中、もしお姫様が退屈なさった時は相手をして差し上げなさいと母親に命じられていたのである。
王家の二人の姫君は、姉の方はとにかく気の強い頑固な性格をしていると聞いていたため、失礼の無いようにしなければ……と、当時はまだ十五歳ほどだった彼女は緊張していたのだが、第一王女は父であるユリウス王にべったりで、余程父が好きなのか、目を輝かせて父王にしきりに話しかけて笑っている姿が印象的だった。
セルピナは幼少期はヴェネト王宮にいたのだが、ある時から王宮を出て、周辺諸島の別荘に居を移していた。
女官と再会したのは今の王が病がちになってから、その看病と代理として、彼女がヴェネト王宮に戻ってからのことである。
――印象が、一変していた。
女官は過ぎた日の、父王の側で誰の目も気にすることなく嬉しそうに笑い、飛び跳ねていた彼女を知っていた。
戻ってきた王妃の顔からは笑みが消え、社交の場で見せる笑みも、ひやりとしていることが多く、あちこちに子供らしく向いていた視線も、今では冷たい横顔を見せ、じっとどこかを見つめていることがほとんどだった。別人であるような印象すら持っていたのだが、ラファエル・イーシャと話している時の彼女は幼い日、父王を熱心に見上げていた少女と、確かに同一人物だと思うことが出来た。
(本当にあの公爵がお気に入りなのだ)
女官は驚いた。
話には聞いていたけれど、
悪意ある者などは、あまりに仲がいいために王妃が彼を若い愛人にするのではないのか、と囁く者もいるほどだった。
後ろ盾のない参謀ロシェル・グヴェンを重用した時も、同じようなことは囁かれていたが、確かに王妃はロシェルを信頼し重用してはいるが、彼とは腕を組んで歩くことなどないし、あんな顔で微笑みかけることなどもない。
あの王妃があれほど、自ら、側にいて欲しいと望む人間は初めてだ。
夫でさえ、政略結婚の色合いが強かったので、ユリウス王の娘にエスカリーゴはいつも気を遣っていたし、社交界では結婚当初から「夫婦と言うより主君と従者のよう」と言われていた夫婦である。
氷も溶かしてしまうようなラファエルの笑みを思い出し、あれでは無理もないと思いながらも、彼女は意外だった。
ラファエル・イーシャの魅力は、誰にでも分かる類いのものだ。王妃でなくとも、出会った人間は誰もが彼が好きになるだろう。セルピナ・ビューレイは王の娘として、幼い頃からそういうものにこそ、全く心を動かさないところがある娘だったから。
しかし王妃があの青年を本当に気に入っていることは間違いなく伝わって来る。
エスカリーゴ王の病状は、快方へ向かっているとも言われているし、相変わらず重篤だとも言われている……。
病床の中でも王太子の即位式だけは携わりたいと言っているようだが、もう数年、公の場には姿を現していない。だが実のところ健在だった時も、政治のことはセルピナの許可が無ければ決まらないようになっていたし、女官は王妃付きの人間だったため、彼女が何をしたかを知っている。
【シビュラの塔】を他国に向けて撃つなど、恐ろしいことだ。
恐ろしくて、凄まじいことだと思うのである。
セルピナには、そういう所があった。
自分のような立場の人間では諫められも、止められもしない、そういう行動にとりつかれるところが彼女には昔からあったのだ。
セルピナがこの世で唯一尊敬し、敬愛し、言葉に従ったのは父親のユリウスだけである。
彼女の母親とユリウスは、あまり仲のいい夫婦ではなかった。
ユリウスからしても、祖父から決められた古い許嫁だったので、仕方なく結婚させられたような思いが強かったのかもしれない。二人の王女には恵まれたものの、それ以後夫婦仲は冷めていったと聞いている。
世継ぎが欲しい貴族院からは、仲が取り持たれたり、王妃を重用するようユリウスに助言はされたというが、彼は海に居を移してからはまるで海を妻に娶ったかのように、側から離れようとしなくなった。
そんなに平穏より戦いがいいのかと、正妃はユリウスを詰ったようだが、セルピナは冷遇される母親に、哀れみも感じなかったらしい。母親のことなど知らないとでも言うように、ユリウス王がどんなに母妃をぞんざいに扱っても、彼女は父親に懐いていた。
……彼女はそういう、少女だったのだ。
世界の難しいことは分からないけれど、セルピナが三国を呼んだのは、海軍を持たないヴェネトの新しい守りとなる、パートナーを探すためだと言われていた。
王太子の結婚相手にも当然そのような意味合いも求められると思うが、もし王が崩御するようなことがあれば、セルピナが新しい夫を選ぶという可能性がないわけではない。
女官はそこまで考え、王の崩御を考えるなどいけないことだ、と首を振った。
ラファエル・イーシャを、王妃が公私のパートナーとして定めるようなことが本当に来るのだろうか?
それは分からないが、遠くの回廊をゆっくりと二人で歩いて行く。
隣の若きフランス公爵を見上げる王妃セルピナの表情はやはり明るかった。
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