第Ⅴ話「邂逅」

Part 5-1

 闇の中に、一つの光景が浮かび上がって来る。

 それは過去。今はもうない場所の、今はもう見れない光景。


「おーきーてー。ね~起きてよ〜!」


 少女が、ベッドに横たわっているブロンド髪の男をその小さな両手で必死に揺する。体をぐわんぐわん揺さぶられた男は、眠気眼をこすりながら起き上がった。


「ん、おはよう……」

「お花畑行こ! やくそくしたでしょ?」

「あ、あぁ、そうだったな」


 男はベッドから起き上がるとクローゼットを開けて簡単に着替え始めた。


「ロゼとクルトも付いてくるか?」

「今日はおべんきょーの日なんだって」

「そうか。姉さん……エリザおばさんは?」

「ダイジなお話があるって、クラウスおじいちゃんのとこにいっちゃった」


 話を一通り聞き終わると、男はふわぁ……と大きなあくびをする。

 それを見た少女はふざけて、おなじようにふわぁと声を上げてみる。

 男はくすっと笑い、同じ髪色をした少女の頭を撫でた。

 男は着替え終えると、枕の下に置いてあった拳銃を取る。マガジンを差し込むとカシャリと音がした。前に銃を持っているときは近づいちゃダメ、と怒られたことがあったので、少女はそんな様子を少し離れて眺める。

 拳銃が腰のホルスターに入ると、満を持して両腕を伸ばす。


「はーやーくー」


 ぴょんぴょん飛び跳ねながら急かす。


「はいはい」


 男は少女を両手で優しく抱き上げた。


「よし、行こうかロッテ」


 ロッテは、男の、父と呼べる人の、その腕の中が暖かくって大好きだった。

 花畑は街外れにある古城の跡地にあった。

 その真ん中には大樹が一本あって、彼はいつもその下で見守っていた。あの日々がいつまでも続けばよかったのに……。


 暖かな日差しが差し込む。

 まどろみに光が降りそそいで、記憶が真っ白に塗りつぶされる。花畑の奥にその姿が隠されてしまう。まって、消えないで。

 父に手を伸ばしても届かない。夢が解けていく。父の顔が遠く。

 涙をぬぐって、瞼を開けた。


 家を出る前にミュンヘンにいる従姉兄、ロゼ姉さんとクルト兄さんに手紙を書いた。内容は札幌での生活や学校について。

 日本に行くと決まってから二人はずっと心配していたから、安心させるためだった。思い返せばこの一か月はかなり充実していた。桜鳥高校での日々は楽しい。

 友達ができた。居場所ができた。助けてくれる人がいた。

 ふと思い浮かんだ顔は、波木正多のものだった。


 吹いた風はまだ肌寒さを感じさせるぐらいに冷たい。

 その日、空には灰色の曇が目立っていた。綺麗な夕暮れの空も曇天の向こう側に隠れてしまって、なんだか気分までも薄暗い。

 それに週末なので、友達と会うには月曜まで待たなくてはいけない。

 毎日誰かと会っていると、一人になる休日が嫌になってくる。

 少しの間一人で道を歩くと、周囲をきょろきょろと見渡す。人気が無いことを確認してから路地に入って、迎えの車に連絡を入れた。

 少しして、黒塗りのSUVが路地に入ってくる。

 運転席のドアウィンドがすっと下がって、フェリクス・イェシュケが顔を出した。

 もっと平和な時代に生まれていたら、きっとモデルか俳優になっていたであろう、甘い顔立ち。元軍人にしては無駄にハンサムだと毎回思う。


「ロッテ、今日の学校はどうだった?」

「楽しかったよ」


 イェシュケは運転席から降りると、リムジンの運転手みたいに後部座席のドアを開けた。彼は毎回こうやってエスコートしてくれる。

 彼の仕事は護衛なので別にそこまでしなくてもいいのに、なんて思ってしまうけど、満更でもないので指摘はしなかった。


「失礼。シャルロッテ・ブラウンさん、ですね」


 足をかけて乗り込もうとした矢先、背中から声がした。

 ドイツ語の知らない声。

 振り返ってみると、そこには一人の青年が立っていた。三つ編みにした後ろ髪が特徴的な栗毛のヨーロッパ人だ。


「どちら様ですか」


 イェシュケが切り出し、警戒した面持ちでロッテと青年の間に入る。


「あなたには関係ない」


 青年はまるで名刺でも取り出すみたいに、すっと、ごく自然な動作で懐から消音機サプレッサーの付いた拳銃を取り出して銃口をこちらに向けてきた。

 その動作は余りにも早く、滑らかで、予想外で、一瞬の後れを取ったイェシュケは腰のホルスターに指をかけたままの姿勢で固まっていた。


「俺は『欧州解放戦線』の指導者アルヴ……いや、アダム=ユリウス。非礼を許して欲しい。だが、話があるんだ。ノイマンの令嬢、シャルロッテ・ノイマン」


 夕暮れの住宅地。

 平穏な日常を、サイレンが切り裂く。

 救急車とパトカーの赤い蛍光灯が周囲をまばゆく照らす。

 ガチャリと担架の音がして、寝かされたイェシュケが運ばれる。


「俺は大丈夫だ」


 救急車の中に消える前、そんな声が聞こえた。

 警官に囲まれていたロッテは迎えの車が来ると、この場を離れることになった。

 黒いワゴン車とセダン車がホログラムの非常線を抜けて停車する。

 ワゴン車の中からは自動小銃アサルトライフルで武装した覆面姿バラクラバの男たちが降りてきた。

 ノイマン・アジア警備部の職員たちだ。

 民間企業の警備員にしては明らかに重武装すぎるが、そもそも警備部は戦後に解体されたミュンヘン共和国軍の後継組織であるため、ずっとこんな感じだった。

 そもそも彼らは全員が元共和国軍人だし、装備する軍用ベスト、自動小銃、そして全身型フル・ボディの軍用強化外骨格エクソスケルトンだって共和国軍時代に使われていたのとほぼ同じ物だ。


「お嬢様。社長がお待ちです」


 警官たちを押しのけてやって来た警備員たちは警戒体制のままロッテを囲み、セダンの後部座席に乗り込ませた。


「災難だったな。しかし、白昼堂々とは大胆なことをするものだ」


 乗り込むなり隣のノエル・ラサ―ルが口を開いた。

 ノイマン・アジア社の最高経営責任者にして、ノイマン重工会長ミヒャエルの一人娘であるシャルロッテ・ノイマン=ブラウンの元後見人。

 彼はいつも通りの神経質そうな面持ちだった。

 セダンはゆっくりと加速して現場を離れる。周囲には野次馬が集まりつつあったが、スモークガラスに隠された少女の存在に気が付く者はいなかった。


 ライラック・タワー五十階。

 大会議室にはノイマン・アジア社の役員と管理職クラスの上級社員、ノエル、そしてロッテの姿があった。


「彼は……アダム=ユリウスと名乗っていました。それと加えて、自分は『欧州解放戦線』の指導者だとも言っていました」


 ロッテは一同に返した重役たちの前で、うやうやしく語った。


「──つまり、四年前に死んだ、あのアダム=ユリウスが、お嬢様を襲撃したと?」


 重役の一人が信じられない、と言った顔で確認する。

 ロッテの返事を待たずして、別の役員が割り込むように声を上げた。


「まってくれ。偽物じゃないのか? 仮に生きていたとしても、その青年は若すぎる。私がその名前を知ったのは、もう十年も前になるぞ」


「生存説は未だに囁かれていますよ。それに彼が『顔のない傭兵』と呼ばれていたのは有名な話でしょう。その正体が少年兵だって不思議じゃない」

「だとしても、アダム=ユリウスたち傭兵とは、大戦で共に戦った仲じゃないか。なぜ我々を攻撃する。敵はカルロス・アヴリル、国連や欧州連邦の方だろう」

「そうだ! 我々は今だって同胞支援のために『欧州解放戦線』に武器や資金を流してやっているのだ」


 役員たちは皆が皆、興奮した様子だった。

 無理もない。

 この四年で忘れ去ろうとしていた、戦争の亡霊が地獄の底から戻ってきたのだ。


 四年前、第三次世界大戦末期。南ドイツ地方は『最後の戦場』と呼ばれていた。

 当時、大都市国家ミュンヘン共和国を盟主とした南独連盟は、西ヨーロッパの統一を掲げて侵攻してきた欧州連邦と、長い、長い、戦争をしていた。

『シュヴァーベン戦争』と呼ばれた一連の戦いは、平和維持を名目に国連軍が連邦側で参戦したことによって決着がついた。

 それが西暦2048年初頭の話。

 その頃と言えば世界中多くの国々が戦争を終わらせて大戦からの復興に進んでいるような時代。日本や韓国など太平洋側の『先進復興地帯』ではとっくに国内の戦争と復興は終わらせていて、シベリアから北米までの勢力圏を作り上げていた。

 一方、復興なんかそっちのけでドンパチしていた西欧は世界で一番遅い終戦だったこともあり、国際社会から『後進復興地帯』なんて呼ばれる有様だった。


 と、その話は置いておいて、彼彼女ら役員たちは口々に自分たちが攻撃される言われはないと言うが、実際のところ全員に心当たりがある。

 この戦時中、ノイマン重工は軍産複合体としてミュンヘン共和国軍や傭兵たちに武器や装備を売っていたが、南ドイツ側の敗北が近づくと秘密裏に敵である欧州連邦と接触して、戦後を見据えて金銭や情報を『提供』していた。

 敗戦後もノイマン重工が解体されなかったのは、この取引があったからだ。

 これを知ってか知らずか、どちらにせよ終戦後も欧州連邦と戦う道を選んだ者たちからすれば解体を免れ、体制に順応していったノイマンは裏切者に見えるだろう。


「諸君、静粛に。その、自称アダム=ユリウスの真偽は分からない。しかし、我々にとって会長令嬢の安全は何よりも重要だ。その点について議論の余地はないだろう」


 ノエルが告げると一瞬で会議場は静まり返り、場の空気が変わった。


「……何が言いたいの?」


 ロッテはその意味ぐらい分かっていたが、思わず呟いていた。


「帰国だ。ミュンヘンに帰るんだ。誰であれ危害を加える意志を持つ『敵』が侵入した以上、札幌は安全な場所ではない。本社のあるミュンヘンの方がよほど安全だ」

「そんなっ!」


 ロッテは身を乗り出して抗議する。


「身分を隠して高校に通うのはもう無理だ。危険すぎる」

「で、でも……」

「正体を隠すために身辺警護をイェシュケ上等兵しか付けられなかった。それでどうだ? 彼は病院送りになり、キミは暗殺されかけたんだぞ! 帰国したら前のギムナジウムに戻れ」


 ノエルは珍しく感情を露わにさせて、苛立たし気に言った。

 それがこの会議の結論だった。

 役員たちが退席して、最後には椅子にへたり込むロッテと警護室長のヴォルフが残された。ロッテは呆然としたまま、立ち上がることができなかった。


「お嬢。イェシュケの代わりに、家まで送ります」


 顔に大きな傷のある鋭い目つきの男エルマー・ヴォルフ大尉がそっと声を掛けてくる。彼はその外見に反してとても優しい人だ。でも、今日はその落ち着いた声が、いつになく残酷なものに聞こえた。


 ロッテは市内にある洋館に住んでいた。

 通称『ノイマン邸』はイギリスの領主邸宅マナー・ハウスを思わせる庭に囲まれた豪奢な建築物で、明治時代からそこにあったと言われても不思議ではない貫禄を持っている。

 まあ実際のところ、元はノイマン社が客人をもてなすために作った施設だったので、築二年のとっても新しい建物だ。


「わたし……本当に帰らないとだめかな」


 客間のソファーに腰かけながら震えた声で訊ねる。

 もしかしたら別の方法があるのではないか。ミュンヘンに帰る必要なんて無いのではないか。暖炉の火がパチパチと揺れている。


「警護員たちは空港までの護送プランを考えます」


 ヴォルフは無精ひげをいじりながら答えた。


「しかしですよ。お嬢の警護には万一に備えて国連警察も協力することになっています。カルロス・アヴリルに率いられた国連と南ドイツ人……昔は敵対していた組織同士ですから、調整には時間がかかるかもしれませんね」

「それって」

「ただし、お嬢に何かあってはいけません。帰国までの間、警護の人数は増えますし、国連警察も関与してきます。もしかすると、正体が露呈するかもしれません」

「それでも、それでもいいよ。わたし……少しでも長く、みんなと一緒に居たい」

「分かりました」


 ヴォルフの僅かながらのサボタージュにより、猶予が与えられることになった。

 それは、桜鳥高校に通う女の子シャルロッテ・ブラウンとしての最後の時間になる。それが終われば、夢が覚めるように会長令嬢シャルロッテ・ノイマンに戻らなくてはならない。

 心の底から嫌だった。

 令嬢に戻る事よりも、友達と離れ離れになる事が。

 ミュンヘンのギムナジウムでは心を許せる相手ができなかった。だから、札幌では正体を隠して、みんなに自然になじめるように日本語だって覚えた。

 でも、奪われることは何よりも怖い。

 イェシュケのように、波木正多が撃たれるところを想像したくない。


 母のように、家族のように、もう誰一人として失いたくない。

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