第2話 パラケルスス、かく語りき。

 ある日の夜。

 行きつけの酒場で林檎酒を呑んでいたオーギュストの耳に、ドイツ語と、おそらくラテン語が混じった風変りな言葉が飛び込んできた。意気軒高となった言葉の主はテーブルの上で左手に麦酒のジョッキ、右手に教鞭を持ちながら酔客たちに熱弁を振るっている。正直、当時のオーギュストはもちろんのこと、酔っ払いたちには彼が何を言っているのかさっぱりわからなかったが、まるで溶鉱炉から飛び出す火花のような熱意と、透き通った氷柱で出来た短剣のような鮮やかな口ぶりに、何時しか酒場はその人物の独壇場になっていた。

 オーギュストはその人物こそがパラケルススであることに驚きつつも、その熱気に当てられたのか、酒場を出たパラケルススの腕を取り、弟子入りを志願した。

 頭を下げるオーギュストに、パラケルススは渋々こう尋ねた。

「おまえさん、錬金術で何を成したい?」

「ええと。そうですね。とりあえず、綺麗な花……そうそう、綺麗な薔薇とか作ってみたいです」

 草花を商うオーギュストが咄嗟に出した答えを聞いたパラケルススは、破顔一笑した。

「錬金術つーたら金だろうがよ。どいつこいつも、自分も金を作りたいと押しかけやがるが、おまえさんは、どうやら筋がいいようだ」

「あの。本当に錬金術で金は作れるんですか?」

「作る前から金を諦めるバカな錬金術師がいるか。作れるさ。だが、金はただの通過点に過ぎん。大切なのは、そこからだ」

 金を作ることが最終目的ではない。金を作り終えた、その先にこそ錬金術の到達点がある。その時、オーギュストは錬金術の神髄の一端を感得した。

 パラケルススに気に入られたオーギュストは弟子入りを許され、家業を弟に譲ると、本格的に錬金術の探求にのめりこんでいった。

 しかし、バーゼル大学とその影響下にあるバーゼル市の有力者たちとパラケルススは激突し、パラケルススはバーゼルを脱出する。バーゼルを離れる夜、オーギュストをはじめ数人の弟子たちに、パラケルススは豪快に笑いながらこう言い残し、バーゼルを去った。

「吾輩とその仲間たちは、いずれサークルを作る。おそらく、その団体は薔薇の名を冠するだろう。薔薇を追い求めよ、友たちよ。薔薇の円環の中で、また会おう」

 師の言葉の通り、ほどなくして、ヨーロッパ中に、水面下ではあるものの、薔薇の名前を持つ結社が広がり始めた。バーゼルを離れたオーギュストは薔薇の会員たちと交流を深め、その後、パラケルススにも再会。錬金術の奥義に達したオーギュストは師パラケルススのようにヨーロッパを巡り、自分が到達した技術を用いて世の人々を救うことを決意したのだった。

 旅の先々で貧しき者から富者まで遍く治療し、南はナポリ、北はスウェーデンまで、時に異端審問の影を感じながらオーギュストは旅を続けた。そして、トスカーナの老貴族の孫の聴覚を見事に治療した翌日、彼の噂を聞きつけた、フランスはボルドーの貴族から遣わされた使者から、是非来訪されたしとの要請を受けたのだった。

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