四神苑の魔閃華
三角四角
第1章 騒争の入学編
プロローグ・・・柊閃/狂い・・・
埼玉のとある都市。駅前広場。
「お嬢様、到着いたしました」
運転手が先に降りて後ろのドアを開ける。
「ありがとう」
後部座席に座っていた
滑らかに揺れる明るい茶髪。きめ細かな白い肌。均整の取れた抜群のプロポーション。不敵な笑顔には自信が満ち溢れている。
炎錠寺奏芽。中学三年生の15歳にしてキラキラと眩いオーラを放つ少女だ。
奏芽は手鏡を開いて覗き込んだ。
今日でもう五回目の確認になるが、大切なことだ。
(うん、今日も完璧。美しいっ)
前髪のセットも化粧のノリもばっちりだ。誰が見てもつい見惚れてしまう美しい仕上がりだと、ついナルシストじみたことを思ってしまう。
(……でも、やっぱり緊張してるわね、私)
……しかしそれも仕方ないことだと我ながら思う。
なぜなら今日は奏芽の今後を左右する
強がっているが、三日前から心臓がうるさい。体温がいつもより2,3度上がっているのは間違いない。
(…落ち着くのよ、私)
いけないいけない、と奏芽は首を振った。深く考えすぎてはいけない。
(今日、私は、
奏芽が自分に喝を入れていると、送ってくれた中年の運転手が「お嬢様…」と心配そうな眼差しで奏芽を見ていた。
「安心して」
奏芽が強気な笑みを浮かべる。
「ここまで送ってくれてありがとう」
「本当にここまででよかったのですか?
「朝も言ったでしょ」
奏芽はそう言うと、目の前に広がる都市を一望した。
埼玉の一角にある、数年前に本格的な都市開発が行われた都市だ。
奏芽をその都市を眺めながら、口を開いた。
「
奏芽は今駅前広場にいるのだが、そこから見える景色は正に圧巻だった。
異国情緒を感じる造りの広場、生い茂る木々の奥には様々な商業施設の看板が並ぶビル群が聳え立っていた。
観光客の心は一瞬にして『ワクワク』に埋め尽くされることだろう。
……しかし、奏芽の心は全くワクワクしなかった。
緊張しているというのもあるが、それ以前に……道ゆく人々の顔がどんよりとしているのだ。はっきり言って暗い。
賑わいとはかけ離れている。
(やっぱり、この都市は既に
奏芽の意思を受け取った中年の運転手は「そういうことなら私から申し上げることはありません」と深く頭を下げた。
その運転手に、奏芽が声量を落として言った。
「…
「…承知しております」
奏芽は一つだけ確認しておき、「それじゃあ、また後で」と言って運転手と分かれた。
■ ■ ■
(……指定された建物はここね)
そこは商業施設が並んだビル群の裏手にある、人気のないところに建つ雑居ビルだった。
エレベーター横の階層表にはそれほどテナントが入っていない。人気がないところに建っているだけで真新しくて駅からも近めの物件なのに、このテナントの少なさは逆に不気味だった。
奏芽はエレベーターに乗り、指定された五階まで上がりながら数日前に父に言われたことを思い出していた。
『か、奏芽…! 絶対に…絶対に『
ごくり、と生唾を飲み込み、首をまた振った。
(父のことを今思い出しても仕方ない…! 私は私の為に! 誰よりも美しく、そして気高くある為に全力を振り絞るまで!)
自己暗示するように己を鼓舞した奏芽は、予め言われた通りに廊下を進み、とあるドアの前に着いた。
なんの貼り紙もないがこの部屋で間違いないことを携帯で確認し、慎重な面持ちでコンコンとノックした。
「は〜い。どうぞー」
奏芽の心持ちとは正反対の緊張感のない声が聞こえてくる。
少しむっとしながらも、表情に出さないようにして奏芽はドアノブを回した。
「やあ、初めまして」
広くて殺風景な会議室のような部屋。
その人物は机に腰掛けながら、ひらひらと手を振って迎えてくれた。
「……初めまして。………
震える唇で奏芽は彼の名を呼んだ。
柊閃。
奏芽と同い年。黒髪に銀のメッシュが走る少年。背は低めで、同年代の中でも小柄な方だろう。
最も特徴的なのは左右で色が違う瞳だ。右目がエメラルドのような翠、左目がルビーのような紅。宝石のようなオッドアイが神秘的な雰囲気を掻き立てている。
容姿は中性的で幼さが残っており、無垢な心がまだ残っているようにも見える。
……しかし奏芽は知っている。
…………彼の心に宿る狂気を。
奏芽は姿勢を正し、自己紹介をした。
「改めまして。炎錠寺かな…」
「じゃあ僕帰るねー」
「………………………………は……?」
奏芽の魔の抜けた声が漏れた。
柊閃が何を言ってるかわからなかった。
……が、柊閃が奏芽に見向きもせず横を通り過ぎたところで正気に戻り、無意識の内に柊の腕をぎゅっと掴んだ。
「ど、どういうことよ! 今日は話をしてくれるって…!」
そう。そういう約束だったはずだ。
「え? そんな約束してないよ? …それと腕放せって」
だが柊閃は奏芽の手を振り解きながら肩を竦める。
「何度もしつこく電話してきて『少しでいいから会って下さい!』って言われたから、来ただけだもん」
「……ぁ」
確かに、電話口で会う約束を取り次ぐ時にそんな風に言ったかもしれない。
「もう十分『少し』経ったし、帰る」
「待って!」
奏芽がドアの前に先回りする。手を広げ、柊に強い眼差しを向けた。
「あの状況で会う約束したら普通交渉の日程ということになるでしょう!」
「君の普通なんて知らないし。どいて」
「ふざけないで!」
奏芽が金切り声を上げる。
「貴方だってわかってるんでしょう!? こんな程度の低い嫌がらせをする為に会う約束をしたの!? 舐めるんじゃないわよ!」
奏芽が胸を張り、気高い意思を持って叫んだ。
「んー、一応説明すると、」
しかし柊は全く同じる様子を見せず、面倒そうに首を傾げた。
「君をここに呼んだのは『僕が興味を持てる人間か』どうかを見極めるためだったんだ。…僕が興味を持てるような輝きを持つ人だったら話し合いに付き合ってもいいと思ったんだけど…」
柊は目を細めた。
「なんか君ってつまんなそうでさ、話しても早々に飽きそうなんだもん」
「は…!?」
聞き捨てならなかった。
興味を持てない? つまらない? ……こんな直球で貶されたのは初めてかもしれない。
しかも柊に悪気がない様子なのがまたイラつく。
「でもまあ」
奏芽が何か言うより早く、柊が口を開いた。
「どうしても話がしたいって言うなら、誠意を見せてもらおっか」
「誠意…」
ここで出てくると嫌な響きにしか聞こえない。
奏芽は思わず脇を締めて身を強張らせた。
「ああ、」
柊がそんな奏芽の心を察したように声を上げた。
「安心して。別に君の身体を要求とかそんなエロいことはしないから」
「ッッ!」
奏芽が顔を赤らめた。恥ずかしさと怒りで、頭に血が昇っていくのを感じる。
「なーに。簡単なことだよ」
柊はマイペースに続けて、人差し指で床を指した。
「土下座、して」
「……はァ!?」
奏芽が大声を上げた。
(…土下座ッ? この私に土下座しろとッッ?)
「土下座してくれたらとりあえず話を聞くよ。どう?」
しかも、土下座をしてもただ話を聞くというだけ。交渉とは無縁なところで床に頭をつけろ、と言っているのだ。
首を傾げる柊を、キッと睨みつけた。
「柊閃! 貴方いつの時代の人間よ! 土下座!? 時代錯誤な要求もいい加減にしなさい! そ、それに! 土下座をすれば話を聞いてくれるだけって…! ふ、ふざけ…ごほ!」
呼吸も忘れて奏芽が怒鳴り散らした。
美しく、気高くを信条とする奏芽だが、今はそんなもの気にしてられなかった。
「何それ?」
柊は表情をぴくりとも動かさず首を捻った。
「なんで急に君の価値観の話になってるの? …僕が君に聞いてるのはただ一つ、土下座するか、しないか。それだけなんだけど?」
「……っ」
奏芽の言葉が全く響いていない。
何を言っても無駄だと実感させられる。
土下座、ただ頭を下げるだけ。実利的には何の損もない……しかし、
(どうする……もう
奏芽の脳内で葛藤が渦巻く。
土下座をするしかないのか………………………………と思った時。
「ま、そんなに土下座が嫌なら」
柊閃が面倒そうに溜息を吐きながら手の平を差し出した。
「100万くれればいいよ。それでまず話を聞いてあげる」
「ひゃく…!」
奏芽は荒れる心を、下唇を噛むことで必死に収めた。
呼吸を整える奏芽に柊閃が言う。
「今日は君に取って大事な日なわけなんだし。
そんな柊の言葉を聞きながら、奏芽は更に怒りが増すと思ったが……自分でも驚くぐらい冷静になっていた。
「………はっ」
それどころか、柊の魂胆が見えて笑えてきた。
「土下座の次にお金を要求? ……私のプライドの高さを逆手に取って大金せしめようっていう腹? ……結局お金なわけね、貴方も」
柊の狙いは最初からお金だったのだ。
難度の高い要求の後に、難度の低い要求。交渉の基本だ。
まんまとしてやられた形にはなるが、奏芽は精神的に持ち直すことができた。
「ははっ」
すると柊閃が笑った。
「頭を床に擦り付けなくていいってわかった瞬間、随分元気になったね」
「…っ」
いちいち癇に障ると思いつつ、奏芽は持ってきていたバッグから現金を取り出した。
柊の言う通り、交渉の運びによっては現金が必要な場面も出てくると思い、用意していたのだ。
「お望み通り、お金を差し上げるわ。………ただし、」
奏芽は傍にある机に札束を放り投げた。……しかも、
「
鋭い眼差しで奏芽は柊を見詰めた。
今日は柊に『頼み事』をする立場にあるので、喧嘩腰は握手かもしれないが、舐められっぱなしで話し合いには進めなかった。
これは意地だ。プライドだ。…ここで自分を曲げたらお終いだと思ったのだ。
「随分と威勢がいいねぇ」
柊は相も変わらず動揺を見せないまま、札束を持ってパラパラとめくった。
(さすがにこれで話を聞かない、なんて言えない。…それに、呈示された金額以上のお金を受け取ったこともこの後でうまく交渉材料に組み込めれば…!)
奏芽の脳が恐ろしく速く回る。間違いなく過去最高潮だ。
今なら誰が相手であろうと交渉で優位に立てる。
………………………………………すると。
「さーてと」
柊はポケットから
その
「ッッ!?」
奏芽が目を見開く。
柊がポケットから取り出した物は
そのライターの火は札束に引火し、一気に炎で包まれる。
柊はすぐに近くに置いてあった灰皿の上に乗せ、残り二つの札束にも躊躇なく火を点けていった。
「…………………………………………………………………………………ッ」
奏芽は開いた口が塞がらなかった。
数秒前まで過去一回転していた脳が完全に停止している。
ただ呆然と……自分が持ってきた300万円が灰になっていくのを眺めていた。
「な…にを………」
無意識の内に口からぽろっと言葉がでた。
「もう僕のお金だし。どう使おうが僕の勝手でしょ」
「…………………………………………………」
口が動かない。何も言う気になれず、ただただ柊閃の悍ましさに絶句した。
「それじゃあ、話し合いを始めようか」
柊閃はマイペースに椅子に腰掛け、「どうぞお掛け下さいませ〜」と出会った頃と変わらない緊張感のない声を響かせる。
(…いったい…なんなの…ッ)
……得体の知れない存在だと聞いてはいたが、まさかここまでとは思わなかった。
炎錠寺奏芽は震える足を頑張って動かし、席に着いた。
■ ■ ■
彼の情報を集めた時、最初に抱いた印象は『関わりたくない』だった。
埼玉の一つの都市を混沌の奈落に突き落とした張本人。調べれば調べるほどこの都市で起きたネガティブなニュースと裏で繋がる状況証拠が山のように出てくる。なのにこうしてのうのうと生きている。
……
自分が対等に渡り合える相手ではない、と。
……それでも、もう引くわけにはいかない。自分の人生がかかっっているのだから。
「最初に言っておくけど、話し合いは20分だけね。20分過ぎたら僕帰るから」
閃が腕時計を見る。
奏芽としては少ないが、ここで口答えするのは得策ではない。
「わかったわ」
奏芽は少し声を張って答えた。
300万のことは忘れよう。今は目の間のことに集中だ。
「単刀直入に伝えるわ。……
「嫌だ」
「……」
即答された奏芽はめげずに食い下がった。
「お、お金ならいくらでも払う覚悟よ。…もちろん、それだけじゃなくて白虎学園に代わる名門校の推薦状だってある」
どうしても300万のことが脳裏に過り、言葉に詰まってしまったが、思いの強さは伝わったはずだ。
「嫌だ」
「……っ」
しかし閃は一言一句変わらない台詞で断る。
その後も奏芽が用意したものを幾つか提示したが、全て「嫌だ」の一言で返されて終わってしまう。
……奏芽にも閃の意図は簡単に読めた。制限時間の20分の間、ずっとこの調子でだんまりを決め込む気だ。
席に着く前と同じで、相手にされていないことに変わりはない。
これほど努力が何も報われないのは初めてだった。……己の無力さに涙が出てくる。
「お願いよ…ッ」
奏芽が涙を滲ませる。
「どうしても……ッ、どうしても『
炎錠寺奏芽が目元を赤く腫らすほど通いたい学校、
世界有数の大財閥、鳳凰財閥が作った学園であり、『
政財界にもこの学園の卒業生は多く、上を目指す人間であれば誰もが入学したい名門校なのだ。
…しかし、奏芽は落ちた。不合格だった。
容姿だけでなく頭脳に関しても、誰よりも努力を欠かさなかったと自負している。
そして自分が最も輝ける舞台が『四神苑』であり、白虎学園だと確信し、自信いっぱいで受けたら……不合格。
白虎学園は倍率が非常に高い。
親は期待しくれていた分落ち込んだが、友達は「仕方ないよ」と励ましてくれた。
奏芽が落ちたことに、誰も疑問を持っていなかった。
……失望されるかもしれないと恐れていた奏芽の心は、逆にもっと抉られた。
そんな時、学園側から『
まだ終わっていない、奏芽はそう思い、悔しさで醜くなっていた自分奮い立たせた。
「嫌だ」
だがしかし、奏芽の必死の懇願も柊閃には全く響かなかった。
羨ましいほどに美しい
このままでは暖簾に腕押し。無為に20分経って帰られてしまうだけだ。
「…………柊閃」
奏芽は腹の底から低い声を捻り出した。
先程までとは奏芽の雰囲気が変わったことに閃も気付いたのか「んー?」と首を傾げている。
奏芽はテーブルの下で柊閃に見えないように携帯をタッチしてから、視線に力を込めた。
「今から三秒後に面白いことを起こしてあげる」
「……三秒? なんだろう?」
言葉とは裏腹にあまり興味のなさそうな柊に対し、奏芽は指を折ってカウントダウンを始めた。
「3…2……」
奏芽は瞳孔が開かんばかりに両目に力を込めた。
「1」
(柊閃! 私の本気の覚悟を思い知れ!)
「ゼロ!」
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。
………しかし、特に大きな変化は起きなかった。
(な、なんで…!?)
奏芽は視線を落とし、携帯を操作した。震える指先で頑張って状況を確認する。
「炎錠寺さんが連絡を取りたいのは、この人のことかな?」
そんな奏芽に、スッと、柊閃が携帯の画面を近付けた。
「……ッ!」
奏芽は目を瞠って、口をわなわなと震わせた。
その画面に映っていたのは……先程分かれた奏芽の
顔に青痣を作り、ロープでどこかの柱に固定されている。殴られて昏倒しているのか。
「この運転手さん、妙な機械を持ってここから少し離れたところにある小さめの雑居ビルに潜り込んでたらしいよ」
「ッッッ!」
奏芽は口を開くことができなかった。
柊と目を合わせることもできず俯いてしまう。
「炎錠寺さんは知ってる? この人が何をしようとしてたのか」
「…いや、それは…」
「答えられないなら僕が答えようか。………『
「……」
奏芽は観念したように首をがくっと曲げた。
……全て、看破されている。
「運転手さんが持ってたのは大きな爆発音を出す
……爆音機を鳴らした直後に発炎筒で黒い煙を立たせれば、遠くにいる人は爆発が起きたんじゃないかって思うよね。近くにいる人はともかくとして」
「………」
柊は頬杖をついて、呆れたように溜息を吐いた。
「爆弾で僕を脅そうとしたんだ?」
「……ッ」
……柊の言う通りだった。
運転手に『爆発の偽装』をしてもらい、後は『この雑居ビルにも私の仲間が爆弾を仕掛けた』と自分の命を賭して脅す覚悟を見せれば、柊の心を動かせると踏んだのだ。
「浅はかだねぇ」
柊が肩を落とす。
「君が不合格だった理由がよくわかるよ。……君にとってこの場って結構大事な局面なわけでしょ?
それなのに……こんな中途半端な『暴力』で脅そうとするなんて。…誰でも思いつく安直な手じゃん」
「ぁ…っ」
奏芽のか細い声が虚しく漏れた。
自分が全力で目を背けてきた『弱点』を突きつけられる感覚。……涙が、溢れてくる。
「それじゃあ、本当にもう帰るね。…君に興味なくなった」
「まッ、ま…まってぇ!」
席を立った柊の先に回り込み、ドアの前にしがみつくように立ち塞がった。
「なんでも…なんでもするから…! お願いします…っ」
奏芽は崩れ落ちるによう床に手を付き………その場で、土下座をした。
プライドをかなぐり捨てて、床に額を擦り付けた。
「えいっ」
すると柊が軽快な掛け声と共に………土下座する奏芽の
「ぐぼッ」
口から不細工な声が漏れ、奏芽の顔が弾かれるように舞い上がった。鼻から血が吹き出す。
一歩間違えれば首が折れていてもおかしくない。そもそも、女の命である顔を蹴るなんて……。奏芽は朦朧とする意識の中そんなこを考えた。
「炎錠寺さん、未遂に終わったとはいえ、俺を脅そうとしたわけだし。これでおあいこってことで」
柊は言うだけ言って、倒れる奏芽の上を跨いでドアを開いた。
「………バイバーイ」
………………………………………炎錠寺奏芽は倒れたまま痙攣する手で頭を掻き毟り、
「アアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァアアアアアアァァァァァァアアアアアアアァァァァァアァアアァァァアッッ」
と千切れるような叫び声を上げた。
その姿は、美しさの欠片もなかった。
■ ■ ■
柊閃は口に手を当てて欠伸を隠しながら雑居ビルのエレベーターに乗った。
そして一階のボタンを三回連続で押す。
動き出したエレベーターは三階、二階、と通り過ぎ……一階も…通り過ぎた。
誰も知らない地下一階。
エレベーターのドアが開くと、
「お疲れさまっ! せーんっ!」
一人の少女が屈託のない笑みで出迎えてくれた。
濡れ羽色の瑞々しい黒髪をツインテールに結い、フリルが装飾されたカチューシャを被っている。華奢な肢体もフリル付きのゴシック調のドレスを纏っている。色白の肌とぱっちり二重、整った顔立ちも相まってまるで人形のように可愛らしい。
ゴスロリ衣装がよく似合う美少女だ。
「
閃がその少女の名を呼んで肩を竦めた。
「そっちこそお疲れ。運転手のありがとね」
「あんなのどうってことないよっ」
爛々は首を横に振って、軽やかなステップで閃の隣に並び、少し前屈みになって閃の顔を覗き込んだ。
「それで、今日の女はどうだった? ……魂は輝いてた?」
爛々の問いに、閃は溜息を吐いた。
「ちっとも。……偽爆弾をちょっと見抜いただけで心折れてさ、心底つまらない女だった」
閃は天を仰いで、微笑んだ。
「………でも、最後にプライドを捨てて土下座した姿は、少しだけ輝いてたよ」
「あはっ」
爛々が閃の顔を覗き込んではにかんだ。
「ちゃんと楽しんでくれたみたいで良かったっ」
「は〜」
閃がわざとらしく息を吐く。
「
閃は文句を垂れながらポケットから携帯を取り出した。
そしてある画面を開いた。……その画面には、こう書かれていた。
『柊閃様。
貴方という人物を敬う気持ちは微塵もありませんが、その残酷なまでの功績は称賛に値します。我が学舎へのご招待をお受け下さい。刺激的な毎日をご用意することをお約束します。
「ははっ」
閃はその文章を見て、悪魔的に黒々しい笑みを浮かべた。
「さーて、どんなご馳走が待ってるのかな?」
閃は先程まで対峙していた少女のことなどもう忘れ、来る未来に胸を躍らせた。
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