第三章 4

近衛隊が出征することになった。

 遠く、属国を襲う蛮族を成敗するための戦いであるという。そのため宮殿内の兵舎では物々しい雰囲気に兵士たちが歩き回り、侍女も女官たちも忙しく立ち歩いた。

 国王も宰相も、しばらくはなにやら忙殺されていたようである。

 アリシアも、毎晩寝室に遅く帰ってくるギリアドを案じた。

 いざ近衛隊が出立するその朝、ランスロットに声をかける者がいた。

「あ、あの……ランスロット隊長」

 その声に、ランスロットは振り返った。

 ヤスミンであった。

「これは、ヤスミン王女」

「これから出征なさるのでしょう」

「はい、間もなく発ちます」

「あの、もしよろしければ、これを」

 ヤスミンは持っていたものをおずおずと差し出した。

 それは、複雑な刺繍の施された、護符であった。

「私の国の、お守りなんです。これを持っていると、傷を受けないといわれています」

 ランスロットはそれを受け取って、しげしげと見つめた。

「これは……死ねませんね。必ず生きて帰ります。ありがとうございます」

 隊長、とあちらから声がかかった。それに顔を向け、返事をして、

「私は行かねばなりません。では」

 と言い置き、ランスロットは行ってしまった。

 泣きたくなる思いを必死で抑えて、ヤスミンはそれを見送った。

 ランスロット様。どうかご無事で……。

 目指す属国までは、馬で二週間程もかかる。

 現地では殺人と強姦と強奪が日常的に行われ、目も当てられない有り様だという。十四日の予定を十日で到着し、ランスロットは現場に到着するとすぐさま部下たちに命令を下した。

「第一隊は市民の安全を確保しろ。第二隊第三隊は街路の隔離、その他は私に続け」

 斬りかかってくる敵を立て続けに切り倒し、ランスロットは返り血を浴び続けた。

 時間を忘れて戦い続け、日が昇り、また沈み、どれだけ戦ったかもわからなくなった頃、気がついた時自分と味方は袋小路に追い込まれていた。

「隊長、後がありません」

「わかっている」

 ぎり、と奥歯を噛んだ。

 敵が、それを見て不敵に笑っている。

 それを睨みながら、ランスロットは絞りだすように言った。

「お前たち、逃げろ」

「は?」

「奴らは私が引きつける。その間に突破しろ」

「しかしそれでは隊長が」

「部下の命を助けるのも隊長の任務だ。ぐずぐずしている暇はない。行け」

「ですが」

「行け」

 部下が反論しようとする前に、ランスロットは気合いの一斉と共に敵の陣中へ走って行ってしまった。敵はそれに、釘付けになった。

 それで陣形が乱れて、近衛隊の多くが助かった。

 しかし、敵を一人で引き受けたランスロットは重傷を負った。彼はエリモスに運ばれ、宮殿の救護室で処置を受けた。

 その話はヤスミンにも伝わった。

「えっランスロット隊長が大怪我を?」

「救護室で手当てを受けているそうよ」

 アリシアに言われて、ヤスミンは廊下を走った。

 救護室に行くと、全身包帯だらけの、見るも無残なランスロットの姿がそこに寝かされていた。

 ヤスミンはぽろぽろと涙を流しながら、彼の側に座った。そこにいた医師が、

「生きているのが不思議なくらいの傷です。よく助かったものです」

 と首を振りながら言った。

 側には彼の剣や鎧が置かれていて、そこにはヤスミンの渡した護符もあった。涙が止まらなかった。

 次の日から、ヤスミンは足繁く救護室に通い、ランスロットの看病をした。まめに包帯を取り替え、膏薬を塗り、傷の具合を見た。あまりに包帯を巻いていると傷が化膿してしまうので、適当に風を送らなくてはならず、風通しをよくすることも忘れなかった。

 傷が疼くのか、ランスロットはよくうなされた。また、譫言≪うわごと≫らしきものもよく言った。大抵それはよく聞き取れず、もごもごとしているに留まった。

 また彼は、よく高熱を出した。そうすると汗が出て、包帯をすべて取り替えなくてはならなかった。ヤスミンは辛抱強く風通しを良くし、膏薬を塗り直して、また包帯を巻き直すといった作業をひと月も繰り返していた。

 ランスロットは先代の王の時代から兵として仕えていた。

 貧民街出身の、なんてことはないただの兵士だった。

 先王は身分制度に厳しく、兵士の身分にもまたうるさかった。だから、腕がよくても貧民街出身のランスロットは出世できなかった。

 ある日訓練の終わった彼を呼び止めた男がいた。

 それが、当時王太子であったギリアドである。

「君のような男が一兵卒なのはもったいない。私が王になったら、君のような男をもっと取り上げていきたいと思う。だからもう少し待って、それまで剣の道に励んでいてくれ。 それまでに、きっと制度を変えるから」

 どうせ口だけだ。

 そう思っていた。期待せずに、ただ好きだという理由だけで剣の稽古をしていた。

 ところが、ギリアドいう男は有言実行の、実力行使する王であったのだ。

 ランスロットは彼の近衛隊長に取り立てられた。

 その日、ランスロットは誓った。

 この王のために、命を懸ける。命を賭して、この男を守ると。

 目を開けると、誰かの影が自分を覗き込んでいる。誰だ。私はどこにいる。

「ランスロット様?」

 泣いているのか。なぜ泣いているのだ。

「お目覚めになったのですね」

 雨が降ってきた。温かい雨だ。雨がなぜ、温かい。

 声が、誰かを呼んでいる。医師がやってきて、自分を見ている。

「どうやら目が覚めましたな。王女様の献身的な介護のおかけでしょう」

 王女? 

 温かい雨が、どうやら涙であったと気づいたのはその時だ。側にいたヤスミン王女が、泣いているのを見たからだ。

「国王陛下にお知らせしてきます」

 医師がそう言っていなくなった。

「ランスロット様、よかった」

 ヤスミンが尚も、泣いている。

「ヤスミン王女……」

 声が、うまく出ない。身体も、動かない。

「私はどれくらい、ここにいたのですか」

「ひと月半ほども」

「そんなに……いてくださったのですか」

 辺りを見回した。自分の腕は、包帯だらけである。部屋が、膏薬臭い。傷が疼く。

 ヤスミンが涙をこぼしながら、

「お守り……効きませんでしたね……」

 とまた泣いた。

 ランスロットは痛む腕を彼女に伸ばしながら、

「泣かないでください……あれがあったから、死なずにすんだとも言えるでしょう」

 ランスロットは痛みに顔を顰めながら側にあった護符に手を伸ばした。

「これは、お返しします」

 ヤスミンの目が見開かれた。

「あなたの、もっと大切な方に渡して差し上げてください」

「――」

 ヤスミンはそれ以上そこにいることができなくて、悲しみのあまり立ち上がって立ち去ってしまった。

 入れ代わりに国王がやってきて、ランスロットの生還を喜びに見舞いにきた。アリシアはヤスミンが泣いているのが気がかりで、それでも二人のことだからと、彼女を追うのをやめておいた。

 三日が経った。

「経過は順調なようですな。驚異の回復力です」

 医師がやってきては、彼の鍛えっぷりに驚いていく。ようやく、少しの間くらいは起き上がれるようにはなってきた。それも、薬湯を飲む間くらいだ。

 ため息をついていると、誰かが入ってきた。

 ヤスミンだった。

 絶句していると、彼女はそこに座ってこう言った。

「もう一度、改めてこれをお渡しいたします」

 そして、あの護符を手渡してきたのである。

「ヤスミン王女……」

「私のもっと大切な方は、あなた様をおいて他にはありませんわ、ランスロット隊長」

「――」

「三日間よく考えて出した結論が、これです」

 彼女は毅然として言った。

 そこにはランスロットが思う、気弱で繊細な王女の面影はなかった。

「あなた様がなんと言おうと、私にとってはそれが答えです」

 では、と立ち上がろうとしたヤスミンの手を、ランスロットが掴んだ。ヤスミンは驚いて、彼を振り返った。

 決まり悪げに、彼はこう言った。

「その……ああでも言わなければ、……私が傷を負うたびに、あなたを悲しませると思って」

 うっ、とランスロットが呻いて、包帯から血が滲んだ。ヤスミンが慌てて医師を呼んだ。「また無理をなさいましたな。当分は起き上がってはなりません」

 と厳命され、またランスロットは寝たきりの生活をする羽目になった。

「どうやらこれはあなたのせいです」

「そのようですね」

 くすくすと笑いながら、ヤスミンは言った。

「責任を取って、また看病させていただきます」

「そうしてください」

 王に命を賭けるはずだった。

 しかしどうやら私は、この女性にほだされてしまったようだ。

 救護室をを訪れて扉を開けようとしていたギリアドは、それを聞いて扉を開けるのをやめた。

「あれギリアド様、どうされたんですか」

「ん? いや、ランスロットにも遅い春が来たようだな」

「やだなあ今は夏ですよ」

「そうだな」

「暑くなりましたね」

「救護室のなかは特にな」

「え?」

「なんでもない」

 ギリアドはそう呟いて、アリシアと共に廊下のむこうに歩いて行った。

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