第16話 異変

《黒崎維莢視点》


 放課後になると、俺は早々に家に向かった。

 火華から「今までの非礼を詫びるのも兼ねて、ぜひ歓迎会がしたい」と誘って貰ったが、「申し訳ない」と言って断った。


 火華の誘いは凄く嬉しいが、今日は早く帰りたい気分だった。

 絶対安全とはいえ、家で待つ紗菜さんが心配というのもある。が、それ以上に、俺は紗菜さんと会うのが楽しみだった。


 誰かに会うというなら、俺は毎日ルシェル達に会っているのだし、寂しくはないのだが。それとはまた違う、言いようのない高揚感に包まれていた。

 

「早く、帰らないとな」


 そう呟きつつ、俺は家路を急いだ。


――。


 SS級ダンジョン《アビス》の78階層――最下層。

 なぜこんなにも中途半端な階層数なのか、一説によれば22枚の大アルカナと56枚の小アルカナから構成されるトート・タロットと、ダンジョンの階層が対応しているから、なんて話も聞くが、その真相は定かではない。


 第一階層の最奥にある転送陣ワープ・ポータルまで移動した俺は、その上に立って78階層まで移動する。


 すると、景色が一瞬で代わり、俺の身体はだだっ広い最下層へと移動していた。

 すぐ近くに、紗菜さんが待っている俺の家があり――右側に伸びている道を進むと、いつも世話になっている露店市場に出る。


 そういえば、いろいろあって、紗菜さんには彼等、《ネオ・ピース》のことは言ってなかった。

 ルシェルがしれっと俺の家で騒いでいたから、特に気にしなかったみたいだが――今になって思えば、最下層にいる幼女とか完全に不審者だよな。


「その辺もちゃんと伝えておかないとな……ん?」


 そのとき、俺はなんとなくその違和感に気付いた。

 妙に、。まるで、《ネオ・ピース》の全員が消えたような――そんな不気味な静寂さ。


「気のせいか?」


 妙な胸騒ぎを覚えつつ、俺は紗菜さんの待つ小屋の前まで行くと、小さくノックして扉を開けた。


「ただいまー」

「あ、お帰りなさい!」


 室内から、明るい声が返ってくる。

 それと同時に顔を出したのは、紗菜さんだった。


 いつもは「ただいま」などと言っても、言葉が返ってくることはない。それが、小さな頃から俺の当たり前だった。

 でも、今日は――笑顔で出迎えてくれる誰かがいる。それが嬉しくて、俺は自然と頬を綻ばせていた。


「何かいいことあったんですか?」

「いや……まあ。こうして紗菜さんに「おかえり」って言って貰えたことが、嬉しくて」

「なっ! は、恥ずかしいことをさらっと言わないでください!」


 紗菜さんは耳まで赤くして、俺の胸をぐーで小突いてくる。

 

「今日は、学校どうでした?」

「ん? まあ……今までと一八〇度対応が変わって、ビビった」

「ふふ、そうでしょうね。なんてったって、英雄なんですから」


 心底嬉しそうに、紗菜さんは笑う。

 俺はなんだか気恥ずかしくなって、紗菜さんに問い返した。


「紗菜さんこそ、どうだった? 昼間、何か困ったこととかなかった?」

「はい。お陰様で……あ、でも。維莢くんが出て行ったあとすぐ、ルシェルちゃんが来ましたよ」

「ルシェルが?」

「はい」


 アイツが勝手に俺の家に? まさか、普段から俺の家に忍び込んだりしてないよな?

 そんな風に訝しむ俺の前で、紗菜さんが不意に唇を尖らせた。


「あの……ルシェルちゃんて、維莢くんにとって、なんなんです?」

「ああ、そのことについてはまだ話してなかったな。ルシェルは《ネオ・ピース》だ。ダンジョンで生まれた、最下層に住んでる知的生命体の1人だよ。だから、ご近所さんみたいなもので――」

「そ、そういう意味で言ったわけじゃありません!」

「へ?」


 首を傾げる俺の前で、紗菜さんはなぜか怒ったようにそっぽを向く。

 えぇー、俺、なんかへんなこと答えたか?


 そんな風に戸惑っていた――そのときだった。

 ゾクリ。背筋に悪寒が走る。

 何度も修羅場をくぐり抜け、1人で生きてきた俺の生存本能が――激しく警鐘を鳴らす。


「くっ!」


 咄嗟に、机の上に置いておいた愛用のパーカッションリボルバーを掴み、その勢いのまま紗菜さんの下へ。


「紗菜さん!」

「えっ……きゃっ!」


 呆けたような顔をしている紗菜さんに飛びかかり、床へ押し倒した瞬間――がしゃぁあああん!


 凄まじい音とともに側の窓ガラスが割れ砕け――黒い影が小屋に飛び込んで来た。

 

 

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