比喩

 かっこいい文を描きたいよね。


 じゃ、比喩にこだわる?

 表現技法としては、絶対に避けては通れないので、いつかぶち当たる壁ではあるから捨ててはいけないぞ。


 よく文章講座などで、比喩を使いこなせと言われる。下手をすると幼稚な文だとか、ボロカス言ってくる人もいる。比喩マニアだ。


 そもそも比喩とは何だ?

 何のために使うんだ。

 一つは言いたいことを、正確に伝えるために使うものだ。後は雰囲気を作るためにもある。前者の場合については、比喩を難しくすればするほど伝わらないジレンマに陥る。


 例えば、


 ・窓から天使がいるような日差しが差し込んできた。

 ・窓からやわらかな日差しが差し込んできた。

 ・窓から阿弥陀様がいるような日差しが差し込んできた。


 どれがいいだろうか。

 天使がいるような日差しって何だよ!そもそも天使って主天使か熾天使か堕天使か?弓矢持ってるのか?それはキューピッドだろ。西欧風ファンタジーで阿弥陀様って。来迎図かよ。で、やわらかなとすると、陳腐な表現だと言われる。じゃ同表現すればいいんだよ!

 と、そこでレイモンド・チャンドラーやダシール・ハメットは、細かく描写する道を選んだ。ヘミングウェイに憧れてたんじゃないのかっ!(笑)


 でもいいじゃん。

 話がおもしろければさ。


 日本語は語彙が少ないと言われているので、伝えるために、様々な表現を駆使しなければならないらしい。何と曖昧なことだ(笑)


 ・「来るなっ!」と言った。

 ・「来るなっ!」と叫んだ。


 これはどちらがいい?


 表現で悩むなら、セリフで伝わるように、そこまでの全体の雰囲気を作る方がいい。だから「と言った」で通じないんなら、それまでのセリフや状況がうまく描けていないのではないかと考える。


 独自の比喩表現を何とかしようとするんなら、ストーリーを進めることに労力を割く方がいいと思う。


 ・森がどこまでも広がっている。

 ・森の隅がかすんでいる。

 ・森は視界いっぱいに広がってる。


 視点は崖やビルの上からだ。どれがいいのか、もはやわからない。


 ・森はどこまでも広がっている。遠くはかすんで見えない。青と緑が混じり合う。


 でもいい。


 比喩にこだわりすぎると、ストーリーがおろそかになる人は、初稿では比喩なんて考えず、伝わればいいやと思い、簡単に描くことをお勧めする。言い回しは後で考える。


 もし幼稚に見えるのは、比喩がおかしいからではなく、小説全体の雰囲気作りが足りてないからかもしれない。おしまいまで完成させることだ。表現は推敲でいくらでもなおせばいい。


 ではでは


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