第19話 月明カリノ告白(2)

 今日は半月だ。曲はまだ、続いている。

 手すりに腕を組んでつくと、そこに顔を埋めた。心底、冷たい。逆にそれが、今の自分にとっては心地よかった。


「……風邪、ひいちゃうよ」

「……え」

 

 背後から急に声をかけられ、振り返れば。

 彼がいた。


「ヨル……。お前どうして」

「うん?イリヤが途中で踊るの辞めたの見えたから。大丈夫かなって」

「……パートナーはどうした」

「えーっと、お腹痛くなっちゃったって言って、出てきた」

「……お前な」


 最悪な抜け出し方で頭を抱える。それと同時に、顔が緩んでしまいそうで、下を向いた。でもすぐに、歪む。

 彼の相手は、私じゃないない。

 

「今すぐ戻れ。僕のことなんか、どうでもいいだろう」


 顔を上げて、厳しく声を上げる。言っていて、空々しくなった。

 

「君の将来の伴侶になるかもしれない、相手だっていうのに」


 次に、おどけて言えば、俯かれた。彼の拳が硬く握られ、震えている。


「……どうでも、よくなんかない」

「え?」

「イリヤがどうでもいいと思った事ないか、ない」


 静かに叫ばれて、言葉を失う。彼は、怒っていた。深い海のような瞳が、濡れている。


「僕が、踊りたいのも、笑ってほしいのも。一緒に生きてほしいのも、イリヤだけだ」


 心臓の音が、うるさい。彼の言ったことが信じられなかった。


「君以外は、本当、どうでもいいんだ。それどころかフーレイにも、さっき君と踊ってた女の子にだって。君が笑いかける者、全部に嫉妬してる」

「ヨル……」


 戸惑っていると、ヨルは膝をついて私の手を取った。


「ずっと……。君に、伝えちゃいけないって思ってた。でも、今日イリヤとフーレイが踊っているのを見たら。もう、自分の気持ちに嘘なんか、つけないんだ」


 彼の声は、切実で、そして真剣だった。こちらを見上げる濡れた深い青の瞳に、金色の光が差していた。まるで星が瞬いたかのようで、目が離せずにいた。

 手を握りしめる大きな手の強さと温もりに、心が揺さぶられる。いつものように、優しく目を細められた。


「僕は、君を愛してる」


 夜風が髪をなびかせる。時が止まったようだった。

 唇の端が、震える。込み上げた涙が熱い。

 心に温かい光が宿って広がりかけたところで。

 聞こえるはずもない、波の音が耳に響いた。


 ──愛しているよ。


 あいつの、声だ。背筋が凍る。

 背中の傷が、途端傷んだ。振り返っちゃいけない。あいつが、兄がそこにいる。


「……イリヤ?」


 心配そうに、男の名で呼びかけられる。

 

 そうだ、私はイリヤだ。

 

 流れそうになる涙を、唇を噛んで我慢する。唾を飲み込むと、喉の奥が痛んだ。声を絞り出す。


「僕は、女じゃない。純粋な君が、愛していいような、女じゃ、ないんだ」

「そんな……、そんなことは!」

「……離して、くれ」


 手を振り払う。目を硬くつぶって、歩き始める。彼の顔は見れなかった。もう何も、考えたくはなかった。全てが、悲しかった。


「待って、イリヤ!」


 背後から呼びかける声に応じる事なく、扉に手をかけようとしたところで、勝手に開いた。


「おっと、こんなところにいたか、イリヤ。探したぞ!」

「……多田先生?」


 先生はいつもの白衣に薄汚れたコートという、この場には似つかわしくない格好をしていた。息が切れている。学園から急いできたらしい。


「先生、どうしてここに?」

「お、なんだヨルもいたか。なんかあったかお前ら。いやそれどころじゃない、イリヤ」


 先生は早口で言った後に、口を重くした。

 

「伯爵が、お父上が危篤だ」

 

 心臓が、跳ねる。血を巡る音がする。瞳孔が、広がっていく。

 ついに、この時がきた。

 

「すぐ家に戻ってほしいと、さっき連絡があった。車を手配させてる。こっちだ」

「……わかりました」


 体が小刻みに震える。文字通りの武者震いだ。


「イリヤ」


 部屋に入った先生に続こうとしたところで、ヨルに呼びかけられ立ち止まる。

 これが、最後かもしれない──。そう思いがよぎって、彼を見た。


「……気をつけて」

「……あぁ」


 月の光を背に佇む彼は、儚げで、悲しそうで。

 それでも、とても優しい顔をしていた。

 堪えたっていうのに。涙がまた滲んでしまいそうだ。

 

 さよなら──。

 

 その姿を、瞳の奥に焼き付けて。踵を返す。


 私は、女じゃない。

 男でもない。

 鬼だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る