第16話 舞踏ハ武闘(1)

「……ッ」

「あ、ごめん!また踏んじゃって」

「いい。当日お嬢さん方の足を踏まないように、存分に踏んでおけ」


 イリヤの華奢な手を取りながら、体を合わせ、くるりと回る。


 始終動きがぎこちなくなってしまうのは、ダンスに慣れていないだけじゃない。


 こんなにも近くに。彼女をずっと感じる状況が、そうさせていた。

 


舞踏ハ武闘

 修学旅行が終わると、次の行事に向けて、皆そわそわとし始めた。3、4日ざらに風呂に入らない者が、毎日入り始めたり、髭が自身のこだわりだと言っていた者が、剃り始めたり。皆見なりを整え出していた。


 12月の聖誕祭の日、2年生は桜丘高等女学校との交流会が予定されていた。


「そういえばヨル、君は踊れるのか?」

「踊る?……盆踊りなら多少?」

「……そう言うと思ったよ」


 図書室でイリヤと向かい合わせで勉強をしていると、不意に尋ねられた。


「交流会は顔を赤らめて、女学生と談笑するだけの会と思っていたら困る」

「……知ってるよ、舞踏会だって。父さんからも聞いたよ」


 ため息混じりに、答える。当然、僕はそんな所で踊った事なんかない。本当にできて盆踊りぐらいだ。

 一応週末に、父がダンスの先生を呼んでくれる事になった。母も燕尾服を仕立てないと、躍起になっていた。というのも、この舞踏会をきっかけに、縁談がまとまる場合があるらしい。最初に踊る相手は原則、同種族と決まっている。


「……そこの数式間違ってるぞ」

「え?えーっと……」

「ここはXを……」


 耳の後ろをかきながら数式を眺めると、イリヤが指を指して教えてくれようとした。思わず、ノートに覆い被さる。

 

「ありがとうイリヤ。でも自分で解くから」

「そうか?」


 僕の反応に、彼女は顔を傾けながらも、また教科書に視線を戻した。そのままこう提案された。

 

「放課後、僕が舞踏の稽古をつけるよ。一応君のお目付役だし」

「え?いいよそんな。イリヤの時間使っちゃうし」

「別に?会場で盆踊りなんかされたら、かなわないからな。君の恥は学園の恥でもある。寮長としてそれは見過ごせない」

 

 指を組んで、半目で見つめられた。

 それから彼女は横を向き、呟いた。


「それに……この間の借りもあるしな」

「それは。僕が望んだ事だし」


 借り、というのは、修学旅行の旅館でイリヤに吸血させた事だ。

 

「君が良くても、僕が良くないんだ。明日から始めるぞ」

 

 赤い目で睨まれると、僕は渋々頷くしかなかった。


 吸血された翌日、起き上がってすぐは記憶が曖昧で。その事でイリヤに枕を投げつけられはしたが、少し安心してもいるようだった。

 その後顔を洗ってる最中に、はっきり思い出した。

 

 あの時僕、イリヤを抱っこしながら、かいじゃってなかったか──。


 彼女の香りやら、体温やら、柔らかさやらを瞬間思い出して。水をばしゃばしゃと、襟が濡れるまで顔にかけてしまった。それと同時に、弱々しい声を発した彼女の姿が浮かんだ。


 ──お前は、いいな。ぼくにないもの、たくさん。持ってて。


 その心情を聞いて、僕は申し訳なくなった。きっと酔っていなかったら、ずっと言わずにいたんだろうと思う。彼女の優しさに、甘え過ぎていた。自分の全部をあげる、と言いながら。僕はイリヤから与えられっぱなしだ。

 “酔って言われた事を忘れた”と、イリヤには思われていた方がいい。なので彼女は吸血の借りを、まだ僕に返せてないと思っている。

 そして、言われて気になった事があった。

 イリヤのお母さんの事だ。

 

 ──私のお母さんはもういないのに。死んじゃったのに。


 背を向けていて、イリヤの顔は見えなかったけれど。その声と肩は、かわいそうなほど、震えていた。


「イリヤの本当のお母さん?継母の方じゃなくてか。うーん、僕も知らないな」

「……そっか」


 夕食時、食堂でワタルに聞いてみた。イリヤとは入学前からの知り合いだと聞いたので、何か知っているかと思った。


「そもそも。僕がさ、イリヤと初めて会ったのって。彼のお兄さんが自殺して、半年ぐらい過ぎた頃で。それまで息子がもう1人いるって、父さんも兄さんも知らなかったらしいんだ」


 ワタルの父と、鬼堂伯爵は仕事で関わりが深く、兄もイリヤの兄の後輩である事から、一家とはそこそこ交流があったらしい。


「それまで僕は伯爵の屋敷に呼ばれる、なんてなかったんだけど。16の時だね。来年同じ高校に通う息子と、友人になってほしいって言われてね」

 

 ワタルはインゲンの胡麻和えの胡麻を、起用に箸で取り除きながら続けた。


「……失礼かもしれないけど。会ってすぐに、腹違いだって分かったよ。帝都であったお兄さんとは、似ていなかったから」


 ダンピールであることは、ある程度仲良くなった後に、本人から告げられたらしい。


「1度ね、僕も気になってしまって、本当のお母さんはどうしてるか聞いたんだ。そしたら逆に、僕の、母さんの事聞かれてさ」


 本人は全然覚えていないらしいが。彼の母は幼い頃に家を出て行ってしまったらしい。


「ごめんね。あの日のことは、なんか記憶が曖昧で。でも。イリヤが実家に帰りたくない理由は、よく分かるよ。継母が彼を見る目っていったら酷かったから」

「そんなに?」

「うん。伯爵も威圧が凄くて、厳しそうでね。家なのに窮屈な感じなんだろうな……」

「なーにしみったれてそうな話してんだよ」


 胡麻の完璧に取れたインゲンを咀嚼しながら、ワタルは頬杖を付いた。すると、フーレイが食事を持って僕の隣に座った。


「いいや?別に?ヨル、イリヤにダンスの練習付き合ってもらうらしいよ?」

「あぁ?寮長にか」


 フーレイは虎の耳を動かして、なんだか不服そうな顔をした。


「……まーな。俺が教えるよりかいいかもな。なんでも完璧な寮長様は、女役もできるみたいだから、適任じゃないのか」

「フーレイに……教わる?」

「なんだよその反応は」


 思わず顔を曇らせる。彼は今片脚を膝に上げつつ、お椀も持ち上げずに食事を取っている。ダンスで求められる優雅さは、かけらも見当たらない。


「ははは、分かる分かる。でもね、フーレイはうまいよ」

「……本当に?」

「なんだよ、その疑いの眼差しは」


 ワタルが反対側から端でフーレイを指した。こちらもなかなか行儀が悪い。


「週末、親父によく連れてかれるんだよ。商談目的でな。まぁ美味い飯食えるし、そこそこかわいい子と踊れっから構わねーけど」

「僕は何度か舞踏会でフーレイに会ったことあるけど。女の子相手だと、態度全然違うから。紳士って感じ」

「……言うなよ」


 フーレイは舌打ちをして、味噌汁を飲んだ。ちょっと照れているらしい。


「そっか。それを見るのは楽しみだな。とりあえず、自分がまともに踊れるようにならないと。……じゃぁ僕はお先に」


 食べ終わったお椀を重ね、盆を持って立ちあがる。

 

「うん、またね」

「おう」


 2人に手を振ると、やや重い足取りで食堂を後にした。


「……フーレイ。ちょっとヨルのこと羨ましいと思ったでしょ」

「あ、何がだよ」

「イリヤと踊れて」

「ぶッ!」

「あ、きったないなー」

「おめぇーが変なこと言うからだろうが!微塵も羨ましくなんてねーよ!」

「……素直じゃないなぁ。そんな真っ赤になっちゃってんのに」

「しばくぞッ」



 翌日から、イリヤとの特訓が始まった。場所は学園の大広間を借りた。


「1、2、3、1、2、3、そう、その調子!背はもっと伸ばせ」

「う、うん」


 最初体を引き寄せる事に戸惑って、固まってしまっていたけれど。彼女の指導は容赦がなく。1曲終わるごとに緊張もあって汗だくだった。週末家でも稽古をし、舞踏会1週間前にはなんとか形になって、イリヤに合格をもらった。


「まぁ、まだぎこちないが。足を全く踏まなくなっただけ進歩だ」

「ありがとう、イリヤのおかげだよ」

「あぁ。よしまだ時間があるから、もう1曲踊ろう」


 イリヤがレコードに針を落とし、曲が始まった。

 深呼吸をして、静かに歩み寄ってくる彼女を迎え入れる。少し冷たい手を取り、脇の下に手を差し入れ背を支える。傾けられた首の細さと、褐色の肌にかかる赤い髪が目に眩しい。足取りと姿勢に意識を集中させながらも、夢見心地でいた。


 煌びやかなドレスを着ているわけでも、化粧をしているわけもないのに。


 なんて、美しいんだろう。


 どうして、舞踏会ではイリヤと踊れないんだろう。

 どうして、彼女は男でいなくちゃいけないんだろう。


 いろんな思いが押し寄せて、胸を締め付ける。顔を歪ませれば、声には出さずに「笑顔で」と言われ、柔らかく微笑まれた。きっと、お手本を見せてくれているのだろう。自然、顔が綻ぶ。

 

 微笑むなら、イリヤだけに、微笑んでいたい。


 曲が終わってしまうのが、心底嫌だった。


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