黒歴史たちに花束を

卯月 幾哉

プロローグ〜この黒歴史にサヨナラを〜

 ――最悪だ。


「うっわ〜。あんた、こんなの書いてんの?」


 日曜日の夕方のことだった。

 中学二年生の黒星くろぼしはじめは、二階の自室にスマートフォンを取りに戻ったところで、目の前が真っ暗になるような錯覚さっかくを覚えた。


 創の眼前には、三つ歳上の姉――黒星聖蘭せいらが立っていた。

 勝手に創の部屋に入り込んだ聖蘭の手の中には、創の・・スマートフォンが握られていた。


 創がいつもスマートフォンに設定していた画面ロックは、このとき解除されていた。

 たまたま掛け忘れていたのか、あるいは、聖蘭がどこかでパスワードを盗み見ていたのか……。


 ――バレた。

 親にも誰にも、見られたくはなかったのに。


 はじめは大きなショックで立ちすくんでいた。

 創が最後にスマートフォンを操作していたとき、インターネット上にある小説投稿サイトの会員ページを開いていた。創は半年前にそのサイトでアカウントを登録して以来、コツコツと自作の小説を投稿していた。

 聖蘭せいらはそれを見て、創がこっそりと続けてきたその趣味を知ったのだ。


「か、返せよっ」

「え〜。もうちょっと見せてよ」


 ふらふらと創が伸ばした手は、聖蘭にさっとかわされてしまった。

 聖蘭はニヤニヤと笑いながら、画面を指でスクロールして文字を目で追っていく。


「アハハハハッ! 『影殺剣術ソードダンス』に『地獄の暗黒戦士ヘルズ・ウォリアー』だって。ちゅ、中二病ちゅうにびょう〜!」


 心ない聖蘭の笑い声が、創の胸をえぐる刃となって深く突き刺さった。

 聖蘭がいま言った言葉は、創が書いた小説に現れる一部の文言だった。――確かに、中二病と言われたら否定できない。

 創はあまりの恥ずかしさで、自分の顔が熱く火照ほてるのを感じた。


「……やめてよ」


 創は力のない声で言った。すでに涙目になっていた。


「いや〜、これ面白いわね〜。……もちろん、ネタとして。――あ、友達にRINEラインでシェアしてもいい? この面白さを伝えたくて」


 ――ピシリッ


 聖蘭せいらのその言葉がきっかけで、姉弟の間に決定的な亀裂きれつが走った。


「やめろっ!!」


 ついにはじめは大声を発した。――もう許せない。そう思った。

 聖蘭がビクッと驚いて創を見る。聖蘭は弟の表情を見てようやく、自分が彼をからかい過ぎたと悟った。


(……や、ヤバっ)


「は、ハジメ……? お、怒った……?」

「…………」


 創は無言で、いまだ聖蘭の手の中にあった自分のスマートフォンを取り返した。

 そのままスマートフォンを握り締め、聖蘭の耳元に向かって大声でまくし立てる。


「もうアカウント消すから! ヒマつぶしで書いてただけだし! RINEラインでシェアとか、絶対するなよ!!」


 聖蘭は初めて見るような弟の剣幕に大いに驚き、あわてて耳を押さえて体を縮こまらせた。自業自得じごうじとくだった。


 創は一気に言葉を放ち終えると、バッと聖蘭に背を向けて階段を駆け下りてゆく。


「――あ、ハジメ! ちょ、ちょっと待って!」


 後方から聖蘭のそんな声が聞こえたが、創はあえて無視した。


 創が一階に着くと、彼の大声を聞きつけた母親の愛美まなみがひょっこりと顔をのぞかせた。


「どうしたの、そんなに大声出して」

「……姉ちゃんに聞いて」


 創の心には激情の嵐が吹き荒れていたが、かろうじてそれだけを答えることができた。

 創は玄関でスニーカーをき、外へ出て行く。


「ハジメ、どこ行くの?」

「すぐそこ!」


 創は愛実の問いに振り返らずに答え、家から飛び出した。


 はじめは走った。最寄もよりの公園には人がいたので、坂を上ってもう一つ先の公園までひた走りに走った。

 やっとそこにたどり着いた時には、すっかり息が上がっており、ひざに手をついてしゃがみ込んだ。


 ――クソっ、クソッ、クソバカ姉貴っ!


 創の胸中は、悔しさと恥ずかしさと姉への罵倒ばとうでいっぱいだった。


 ただのヒマつぶし? ――とんでもない。

 この半年間で創は、小説の執筆と投稿に熱中していた。

 元々マンガやアニメに親しんで育った創は想像力豊かで、あれこれと妄想もうそうするくせがあった。家では母親――愛美の教育方針でゲーム機が禁止だったが、やっとの思いで買ってもらったスマートフォンの方は、比較的監視の目は緩かった。

 インターネットで小説投稿サイトの存在を知った創は、アカウント登録後、水を得た魚のように自分の妄想を形にし始めた。

 絵を描くのは苦手だが、日本語の文章なら書ける。スマホの中なら、母に見つかって文句を言われることもない。


 ――そう、思っていたのに。


 もう無理だ。


 創の脳裏のうりに、姉の笑い声が焼きついて離れない。

 こんな気持ちではもう小説を書く気にはなれないし、姉の友達にまでもバカにされると思ったら恥ずかしくて生きていけない。

 ……今日までは姉のことを、同じ厳格な母の元に生まれ育った味方寄りの存在だと思っていたのに……。


 ――だから、消すしかない。


 創は、執筆活動のためにハンドルネームを作っており、投稿サイトの他にSNSでも同じ名前で活動していた。


『家族バレしたので引退します』


 それだけを投稿し、創はSNSを退会した。


 そして小説投稿サイトの方でも、会員ページからアカウント削除のメニューをタップした。


『アカウントを削除すると、投稿した作品のデータもすべて削除されます。よろしいですか?』


 このときの創には、データをバックアップしておくという考えさえ思い浮かばなかった。

 創はふるえる指先で「はい」のボタンをタップし、スマホの画面を閉じた。


「うぅ……」


 創の胸いっぱいに悔しさと悲しさが満ちあふれて、両の目から涙が止めどなくこぼれ落ちた。

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