第14話「黒く、濡れ」

懐から直接放たれた弾丸は当然避けることもできずに麗奈の脇腹辺りに着弾する。

 瞬間、麗奈は目の前が徐々に減速していくような感覚に陥った。目を開けているにも関わらず世界が暗転していく。やがて完全に停止した暗黒の世界の中で、麗奈は突撃姿勢のまま一人宙を舞う。

(あたし……、死んだの……?)

 するとまた突然世界が動き始めた。光の帯が前から迫ってくる。あまりの眩しさに顔を背ける麗奈。それからすぐ、襲い掛かる痛みによって再び目を開いた。

「ぐッ……くぁぁぁぁぁあああ!!! 」

 めくるめく刹那の出来事。そのひとつひとつを追って説明立てるには集中力が全く足りない。それ程までの痛みが一気に全身を突き刺した。何とか動く首を回し、伏した地面から周囲を窺う。先ほど居た場所ではないが、まだ森の中のようだ。周囲の木々がなぎ倒されている。アサクリの姿はなかった。

(撃たれて少し、あの刻駆魔弾の能力が掴めた気がする。今度こそ。しかしだからこそ、ディフェクトをもってして勝てるヴィジョンが浮かばない。あれは単純に物を瞬間移動させるとかそういう類のものじゃあない、ベクトルの違う話だ。ベクトル……?刻駆……。そうか、やはりあの能力は…… )

 ここは退避してユーマ達と合流した方が賢明と判断し、未だ続く痛みを堪えて麗奈は立ち上がる。しかし目の前には既にアサクリが立ちはだかっていた。

「どうじゃ?少しはこいつの樞(からくり)が掴めたか」

「そうね。少しだけ分かったかも」

 ニヤリとアサクリが笑う。

「よろしい。では答え合わせじゃ」


 上体を起こすや否や、連撃を繰り出す麗奈。下手に距離は取れない。しかしどれだけ斬撃を与えようとも、アサクリは驚異的な身のこなしと動体視力でそのすべてをヒラリと躱(かわ)してしまう。まるで優雅にダンスを踊るかのように、余裕さえ感じる身軽な動きだ。

「ぬるいぬるい。それではいつまで経っても儂には届かぬぞ」

 次に身を翻した瞬間、アサクリは流れるような動きで刻駆魔弾を引き抜き3度発砲する。麗奈は咄嗟にバク転で回避するが、3発目の銃弾が右腕を掠めた。途端に右腕が後ろへ強く引っ張られたかと思うと、そのまま後方約5m先まで体ごと投げ飛ばされる。

「……時間。力(ベクトル)の……、時間ね」

 麗奈は右腕を押さえながらまた立ち上がる。既に体中傷だらけだった。

「ふむ、近づいたな。この刻駆魔弾(ときかけるおにのひ)から放たれた銃弾が対象を捉えれば、たちまちその他の世界時間が停止する。被弾する瞬間まで、対象に働いていた力だけがその止まった刻の中を駆けることになる。その間、力は増加することもなければ減衰することもない。つまり力が強ければ強い程、刻を駆ける距離も長くなるという訳だ。鉄砲は好まぬが、これはこれで面白い代物じゃの」

 麗奈がまた駆け出す。敵の能力が分かったとはいえ、攻略法など思いつくはずもない。しかし逃げることも引くことも、どうやらできないらしい。正面から斬りかかるより先にアサクリが銃口をこちらに向ける。麗奈はアサクリの腕に組み付くと、それを軸にして足で地面を蹴り上げ頭上に舞い上がる。アクロバティックな動きで真上から攻撃を仕掛けた。

「——そしてこの銃弾を己の脳に撃ち込めば」

しかしアサクリの目は一連の動きを追い続けていた。先と同様に自らの頭に刻駆魔弾を発砲していたのだ。

「その数パーセントしか機能していないと言われる脳内活動を、並列処理することで最大限活用することができる。これにより音速を超える物体も認知することができる。そしてその動きに体を合わせることができるのじゃ。見よ! 」

 そう言ってまたアサクリは、小さく跳ねながら自らに引き金を引く。瞬時に消えてしまうアサクリの体と、そのまま地面に突き刺さる麗奈の鋭い爪。上空50mはあろうかという程高くから再びアサクリが現れると、麗奈を目掛けて自然落下してくる。

「なら」

 麗奈は次第に近づく小さな影を横目で見上げると全身を脱力させた。「力(ベクトル)をゼロにすれば、どこにも飛びはしないッ! 」

「カカカ、利口じゃな擬悪魔(あくまもどき)。本当に」

 するとアサクリが手に持つ刻駆魔弾が、拳銃から容(かたち)を変えていく。それを見た麗奈は血の気が引いていくのを感じた。彼女の体長にも及ぶ程巨大な、大口径対物狙撃銃(アンチマテリアルライフル)!


「本当に愚かだ」

 銃口から青い炎が吹き上がる。音を置き去りにして——。

「事象 Dead Charge, Soon KiLL(でっちゃすぎる)」


 上空のアサクリが手にする大口径対物狙撃銃(アンチマテリアルライフル)に変化した刻駆魔弾。その銃口から青い閃光が瞬いたかと思うと、発砲音が辿り着く前に真下の麗奈を貫く。

 刻駆魔弾から放たれる飛翔体は実弾ではない。実際撃ち込まれた時も、飛ばされる過程で直線上に存在した木々に強打したせいで付いた傷以外、体のどこにも銃創に相当するものが無かった。だからその弾をこの身に受けても、その時点で痛みや衝撃なんかはない。

 でもこの瞬間は違う。明らかな重厚感があった。上から押さえつけられるようなずっしりした重みと、下に引きずり込まれるようなはっきりした痛み……。

 これはまさか、”大気圧”と”重力”ッ!?


 気付いた時には既に、あの光景が広がっていた。減速と暗転の世界。意識が薄れて冷たい。ある点でその事象(エフェクト)は逆転し、光と共に痛みが加速していく。

「かッ…………、ッッッ~~~!!! 」

 声にならぬ弱弱とした息が、締め付けられた声帯をわずかに震わせる。脳が痺れる程の痛みで意識が飛んでも、また痛みで戻ってくる。地面には飛行機が不時着したような長い跡が形成され、その先にほぼ土に埋まるような形で麗奈が横たわっていた。土と血で染まった衣服はボロボロで、そこから伸びた両腕は既にディフェクトが解除されていた。

「無意識か本能か、いずれにしろ竦(すく)んだ足によって僅かに動いたことで、直撃を免れたようじゃな。そうでなければ今頃は地下深くに生き埋めになっておったわ。ま、死んだ方がマシと思う程の苦痛であろうがな。幸か不幸か」

 降り立ったアサクリは刻駆魔弾を担ぎ上げてカカカと笑う。「勝負ありじゃ、その悪運に免じて命だけは堪忍してやろう。そもそも主に用はない。少し物足りぬが余興としてはこんなところか」

「あ……んた……、なに……者? 」

 少しだけ顔を持ち上げ、麗奈が掠れ消えそうな声で問う。

「それは主が見ているこの者のことか、それとも話をしている儂のことか。改めて名乗ろう。儂は捨見成(ステルミナーレ)六柱参の柱、名を柳。柳厳鶴(やなぎ げんかく)と言う」

 覚える必要は無いがな、とアサクリ改め柳は肩をすくめる。

「ステルミナーレ……。あんた達の目的は……?テルミナを従えて一体何を」

「そこまでじゃ。敗者からの質問は一つまでと相場が決まっておる。これ以上はそうじゃな、その白くてしなやかな肢体を愛撫する許しを条件にでもするかの」

 柳は舌なめずりをしながら手をすり合わせる。可憐な見た目の少女でも、中身が穢れた年寄りであることを示すにはそれで十分だった。「冗談はさておき、先の男と”G.”も、今頃連れが見つける頃じゃ。彼方(あちら)さんの方が手応えありそうじゃな。さらばだ女郎よ」


「……待てよ」

 指すら動きそうになかった麗奈が、浅い呼吸を繰り返しながら起き上がる。もはや彼女の脳は限界を振り切って、痛覚を遮断してしまっていた。「黙って聞いてりゃあ、好き勝手抜かしやがって……、冗談じゃあないわ」

「よもや、どこぞの女郎(アサクリ)と言動がそっくりじゃ。何故(なにゆえ)こう下品な女ばかりか。トホホ」

 気迫にあてられ、歩き出していた柳が振り返る。その眼には期待と高揚感が確かにあった。この場を楽しんでいるのだ。

「絶対に、生か(ころ)すッ!! アフェクト ホワイトベアァ!! 」

 麗奈の前にホワイトベアが現れる。怒りからかその体全体から煙が上がり白んで見えた。

「現象(アフェクト)ォ?この期に及んでそれじゃあ、イケないのぉッ! 現象!刻駆魔弾(ときかけるおにのひ)ッ! 」

 柳の手に現れたのは円錐型をした巨大な機関銃(ガトリングガン)だった。それを両手で構えると、照準をホワイトベアに合わせ、恐ろしい唸り声を上げながら空転を始める。「次こそォ!地球の裏側まで吹っ飛べェェッ!!」

 最高速度まで空転した刻駆魔弾は横殴りの雨のような弾丸を放った。直線上の物という物を薙ぎ払いながら、やがてホワイトベアを大量の土煙と共に飲み込んだ。

「カカカッ!愉快!壮快!笑壺(えつぼ)の会ッ!正直飛び道具は好まぬが、これはこれで趣深いではないか。アサクリには感謝せねばなぁ……ぬ? 」


 機関銃は全てを放ち終え、事の終息の余韻に浸るように、徐々にその回転数を落としていく。立ち込める土煙の中に、それらとは一風違う白い煙が薄らと揺らいでいた。ホワイトベアがいた場所だ。高速連射された刻駆魔弾を確かに全身に受けた。動こうと動くまいと、その巨体にかかった力によって地の果てまで飛ばされる、はずだった。

 白煙が茶色い土煙を押し上げ払うと、その中心でホワイトベアが腕をクロスさせてその場に留まっていたのだ。

「白い……、黒熊……。これがホワイトベアの新しいエフェクト、黒く濡れ(ペンティット・ブラック)……! 」


 ホワイトベアの全身を薄氷が覆っている。白煙の正体はその冷気で空気中の水分が冷やされた水蒸気だった。

「何故だ。何故我が刻駆魔弾が効かぬのだ。どういう理屈で……」

 白いホワイトベアは手をゆっくり降ろすと、そのまま一歩ずつ柳に近づいていく。目に見えてたじろぐ柳は刻駆魔弾を拳銃(ハンドガン)に変化させると、確かめるように数発続けて撃ち込む。が、しかしホワイトベアは相変わらず一歩一歩柳との距離を詰めていった。

「薄氷で覆われたホワイトベアの表面温度は絶対零度、つまりは極限まで物理運動がゼロに近づいている。熱だって分子の動く力(ベクトル)、それがゼロであるならば力に依存するアンタの刻駆魔弾(おもちゃのてっぽう)じゃあ訳ないね」

「阿呆がッ。ならば重力はどうじゃ。何故沈まぬ。何故潰されぬ。なにゆえ…… 」

 動揺した柳に、異常な速度で接近するホワイトベア。心なしか両足が宙に浮いている。周囲に振りまく冷気が身も心も震わせる。

「ごちゃごちゃ五月蠅いな。少しは自分で、考えろッ! 」

 この冷たさではいくら柳であっても、とても受けて流すことはできない。何とか間隔を取ろうとするがその度にホワイトベアに距離を詰められ、銃身の長い、つまり威力の高い刻駆魔弾を出す隙が無い。大振りで振り下ろされる拳を何とか避けて、柳が叫ぶ。

「クッ……、ならば此奴(こやつ)でどうじゃッ! 」

 突然ホワイトベアの歩みが止まる。ピッピッという音と共に中心が赤く点滅するスライム状の異様物が、ホワイトベアの足と地面にへばり付いていた。柳が取り出したのは粘着式擲弾発射器(グレネードランチャー)だ。時限式で周りを巻き込んで爆発する。「カカッ、これならば進むことも逃げることも叶うまい。爆破範囲ごと飛ばしてやるぞッ! 」

 勝ち誇ったように笑うと、柳はまた刻駆魔弾を拳銃に戻し、自らに発砲した。しかし予想だにしない事態に気付く。撃ち込んだ場所が既にホワイトベアによって氷漬けにされていた。ピッピッと煽るように電子音が鳴り響く。

「わッ……、なんじゃこれは!くッ……、このッ! 」

 これでは自分だけ逃走することが叶わない。まだ凍っていない場所を再度狙うが今度は引き金が引けない。遂に刻駆魔弾を持つ左手さえ氷の浸食を許していた。ピッピッピッピッ……。爆発時刻を告げる電子音が徐々に間隔を狭めていく。走って逃げようにも、いつの間にか地面にそびえた氷柱に着物の袖口が囚われて身動きが取れなくなっていた。嘲笑するか、或いは柳を見透かすかのようにゆっくりゆっくりと、ホワイトベアが顔を近づけてくる。寒さと電子音の煩(わずら)わしさで、柳は気が触れそうになる思いだった。

「こ……、この女郎がァァァァァァッ!!! 」

ピピピピピピーーー……



「痛っ」

 気付いたユーマは突っ伏していた。確か麗奈を庇ってあの幼女に撃たれ、真っ暗な世界を飛んで行って。思い返せばまるで臨死体験、しかし全身の痛みが今ある生を実感させた。

「モグゥゥ…… 」

 モグゥが悲痛な鳴き声を漏らしながら着鎧装甲(ガヴァリエーラ)の下から這い出して来る。こんなところで寝てられない。すぐに麗奈の下へ戻らねば、一刻も早くあの化物から彼女を救わねば。

「とは言うものの、ここどこや」

 ユーマは起き上がると辺りを見渡す。水の流れる音。すぐ目先に小川があり、道を分断していた。橋は架かっていなかったが優に飛び越せる程の幅しかない。対岸から伸びていたのは今までいた森の中の獣道とは違う、明らかに人工的に舗装された道。不思議と経年を感じさせない程無機質な状態を見るに、作られて間もないのだろうか。その道は森を抜け、ここからそう遠くない山と山の谷間に続いていた。山々にはちょうど青空を蝕むかのような暗雲が差し掛かっている。案内標識なんてなくても分かる、この煩わしい因果の終着点、あの先にステルミナーレの根城がある。終わりが見えた途端、ユーマはあることに気付いた。

「なんか、匂うな」

 第6世代着鎧装甲は前世代のそれよりも耐久性を犠牲に運動性、通気性が向上している。とはいえ戦闘のみならず睡眠等の長時間運用を行えば当然汗ばんでくる。モグゥもユーマの足元を嗅ぎまわり唸っていた。ちょうど麗奈も居ないことだし、ここは一度契約不履行(ニュートラライズ)して体を洗いたい。相棒が危機的状況にも拘らず、ユーマという男は楽観主義というか自己中心的であった。首元のスイッチを押して着鎧装甲を解除する。黒い悪魔は途端に、ベルトを残して生まれたままの姿に成り代わる。


「ギャアアアアアア!!! 」

 突然朝方の森に叫び声がこだます。最初ユーマはモグゥが叫んだものだと後ろを振り返ってみたが、そこにモグゥの姿は無かった。改めて前を向くと、川の対岸に老父が一人立っていた。背丈は2メートルに及ぶ程で一本の枯れ木のようだった。彼の腕にはいつの間にかモグゥが抱きとめられている。

「おっ、爺さん。すまんな。そいつはえーと、海外の犬で…… 」

「へんたいへんたいへんたーーーい!!! 」

 モグゥを手毬のように鷲掴みすると、老人のそれとは思えないような強靭な肩でユーマ目掛けて投げつける。意外にも鈍重なモグゥを顔面に受け、ユーマはそのまま川に落ちた。

「ゲホゲホっ、おいジジイ!何すんねんコラ」

 すぐに水面から顔だけ出して怒鳴るユーマ。

「誰がジジイよこの露出狂が!えっちへんたいばーか」

 老父は川の中の少年に怒鳴り返す。

「変態って何やねん。ジジイも同じモンぶら下げてるやろが」

「失礼ね、ぶら下がってないわよそんな汚らわしいモノ! 」

 どう見てもジジイであるし言葉遣いと見た目が一致しないこの老人こそ変態である。投げられたモグゥはユーマのベルトを咥えてこの奇天烈な老人の足にすり寄っていた。「ふーん。こんなところで醜態晒しているだなんて、ただの人間じゃあないとは思ったけれど、アンタが噂に聞く”ユーマ”くんね」

「人に名前を聞く時はまず自分から名乗る、それが道理ってもんや。せやろが」

「真っ裸で何を言っているんだか。名前だって聞いていないけれど、まぁいいわ」

 老人はモグゥを再び抱きかかえると着鎧装甲展開装置をまじまじと見つめていたが、急に鋭い視線をユーマに向ける。

「アタシの名前はアサクリ。ステルミナーレ6柱、第2の柱。アンタ達ガイアフォースの愚犬は駆逐する」


「ステルミナーレッ!? 」

 川底に足をついてユーマが立ち上がる。

「妙なモノを、見せるなぁぁぁぁぁあ!!!」

 アサクリがまた何かを投げつけようとするが、そうはいくまいとモグゥの方もアサクリの腕に必死に抱き付く。必然的に逆の手に持っていたベルトが選択され、ユーマを襲った。それをうまく右手でキャッチすると腰に装着しなおすユーマ。

「そのジジイに媚び諂(へつら)ってモグゥ、お前何のつもりやねん。お前もステルミナーレのくそったれ仲間か」

 ユーマのことなど意に介さず、むしろ嘲笑するようにモグゥはゲップで返す。アサクリが笑い出す。

「”モグゥ”って、コイツのこと?いくら”モグゥー”って鳴くからって、安直すぎない?マジウケる」

 アサクリが腹を抱えて笑ううちにユーマはベルトを腰に取り付け、スマホを起動させる。

「おいてめぇ、何笑うてんねん。俺の友人が付けた名前やぞ。俺もどうかと思うけどな、お前が笑うもんちゃうやろ。アフェクト フェリシティ」

 ベルトの回転と同期するように逆巻く水。しぶきがベルトに吸い込まれていく。「水浴びは仕舞い。丁度俺もあんたらに話があんねん。そこ直れや」


 アサクリはやっと笑い終えると、ハァとため息をついて黒い悪魔に向き直る。

「呪われた子供(ガキ)が。アンタだけは生かす予定だけど手足の2、3本は飛ばしても問題ないわよね。現象(アフェクト)、空雙焉刄(リーセンシー)…… 」


 アサクリが立つすぐ右斜め上の空間が黒く歪み始める。その時  

「どわああああ!! 」


 ユーマ達の後方数百メートル先で爆発音。間髪入れずに黒い塊がアサクリの懐に飛び込んだ。アサクリは勢いに押されしわがれた叫び声を上げながら背面に倒れ込む。

「いたた……。やれやれ、なんとか助かったようじゃあのぉ。おやアサクリではないか。ずいぶん遅かったな」

 その塊こそ少女の姿をした柳だった。「全く小娘め、老人相手に随分無茶してくれたわい。まぁ、その小娘を盾にして何とか最後は凌がせてもらったが」

 柳が送る視線の先、ユーマは戦慄した。裂傷、擦り傷、火傷、内出血、数えきれない程の傷がその体を埋め尽くした麗奈の姿だった。呼吸による胸の動きさえ確認できず、ここからでは生きているのかはたまた死んでいるのかさえ分からない。思考が停止しているのに勝手に足が動くものだから、初歩で躓きながらも麗奈の下へ駆け寄る。生死を確かめるために触れようとも、それを阻むかのように痛々しい傷が所狭しと並ぶ。

「なんじゃ敵(かたき)を前にして女が気になるか少年よ。お主も隅に置けんのぉ」

 その一言でユーマは横たわる麗奈から柳に視線をゆっくりと移した。着鎧装甲に表情はないが、その4つの眼は怒りに満ち満ちているのが火を見るよりも明らかだった。

「そう怖い顔するでない。そんな様子でも生きてはおる。幸か不幸か、な」

「こらクソ柳!てめぇもなんだその姿。アタシの刻駆魔弾(プライマシー)使っておいてそこのボロ雑巾にやられたんじゃあないでしょうね」

 アサクリがやっと起き上がる。今にも折れそうな全身の骨は、人間が一人吹っ飛んできたとて案外折れないものだ。

「だからそう言っておろうが。これだから老人相手は骨が折れる。見よこの着物を。主の爆発する玩具(おもちゃ)のせいで破廉恥極まりない。儂はこれでもよいがの。ほれ主の着物を寄越せ」

「はぁ?何でアタシが脱がなきゃあならない訳?バカも休み休み言えこのエロジジイ! 」

 アサクリと言う名の老父は自らの着物をぐっと手繰って抱え込む。見れば確かに柳の服もボロボロであった。所々露わになった彼女の体にも、麗奈の程ではないが傷が見える。

「勘違いするでない老人よ。その体も着物も元は儂の物じゃ。しかもぞ?これからそこの化け物相手にこんなボロで挑んでみよ。どこぞの小娘じゃあないが、主のラッキースケベがお茶の間を凍り付かせることに…… 」

「分かった分かったわよ。もうそれ以上言うな。畜生、アタシの裸を守るために何でアタシが脱がなきゃあならない訳…… 」

 柳の声を手で静止し、観念したかのようにいそいそと着物を脱ぎ始めるアサクリ。

「……付かぬことを聞くがアサクリ。主何故……、何故晒(さらし)を巻いておるのだ」

 もじもじと手で隠したアサクリの着物の下は、股間に白い褌(ふんどし)、胸に同様白い晒という老父にしては異様な姿。

「何故って……、その……何か落ち着かないからよ」

「カカカ、男が乳首を守ってどうする。全く可笑しな老父じゃ」

 そう言って着物の全面を大きく広げて脱ぎ始める柳。そこから小さな山状の肌が2つ、勢いよく零れ落ちる。その瞬間アサクリが飛び掛かった。


「オオオオオオテメェ!!!何でテメェが何も付けてねぇんだよ!!!絶対殺す!!!」


「さてと、待たせたな少年。これで主と心置きなく戦える、と言いたいところだが」

 明らかにオーバーサイズな着物を着込んだ柳がその姿悠々とユーマに向き合う。その横で身ぐるみを剝がされたアサクリが弱弱しく立つ。

「少々、あの刻駆魔弾(てっぽう)には飽きてね。やはりここは儂本来の力で試させてもらう」

「試す?今までちんたらした上にまだお試しとは、随分お仕事丁寧してはりますな」

 黒い悪魔が構える。「老若関係あらへん。お試しどころか相応のお代は払ってもらうで」

「粋がるな擬悪魔(あくまもどき)。アタシ達2人に半端者のお前が勝てる算段などないと知れ」

 細々とした憐れな姿とは裏腹に、しわがれたアサクリの言葉は重みというか凄みがある。それは長年生き続けて培った経験や知識ではない、確実たる強者の力(パワー)とその自信だった。

「「現象」」

 長年のパートナーであることを示すように、合図も無しに息の揃った柳とアサクリの構え。柳が腰に差した2つの鞘を両手で抑え、更にそれを前に突き出す。

「空雙焉刄(くうそうえんじん)」

 柳の呼びかけに答えるように片方の鞘が光り出し、その輝きが集める様に光の柄を形成する。柄を上に、刀身を下に向けてゆっくり引き抜くと、そこには異様な紋様が刻まれた打刀が出現する。

「刻駆魔弾(プライマシー)」

 ほぼ同時に今度はアサクリが右手で指を鳴らしながら名喚び(コール)する。先ほどと同様、右斜め上の空間が黒く歪み始める。鳴らした指をゆっくり前に出すと、まるで人差し指に張り付くようにして空間異常も共に移動する。そのままシームレスに銃のハンドサイン。それから親指を下向きに傾けると黒い空間が銃の容に一瞬で広がる。銃、というか紛れもない擲弾発射器だった。途端にアサクリが前のめりになって倒れる。

「こ……このくそジジイ……。だから刻駆魔弾は拳銃に戻しとけっつったろ…… 」

 片手で突然出現した質量を支え切れず、アサクリは擲弾発射器に圧し潰されてしまう。

「ふむ、戻したと思っておったが。なんせ氷漬けになっておったからな。まぁよいアサクリ、主はそのまま寝ておれ。着物と空雙焉刄さえ手に入れば主にもう用はない」

「くそ……が…… 」

 怨念に似た怒りの感情が重火器の下から垂れていたのも束の間、すぐに観念したように静かになった。

「もうええか?俺の連れが世話になった分、たっぷりお礼せなあかんからなぁ」

 ユーマは怒りに満ちながらも、驚くほど冷静だった。瀕死ではあるが麗奈は生きている。生か死かの境とはかくも大きな差である。すぐに治療を受けさせるためにもここは冷静に対処して、それからぶっ潰す。叩きのめす。ユーマは至って冷静だった。


「おぉ本当に、待たせ過ぎじゃ紅條ユーマ。では、第2回戦といこうかの」

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