二杯目 幸せをもたらす夏いちごのガスパチョ⑦

「いらっしゃいませ。お待ちしていました」


 すれ違う二人のために、この場を用意したのはシーナである。


「彼が婚約者のヴィセンテよ。彼も、シーナさんのスープを楽しみにしているわ。ヴィセンテ、そうよね?」


 サラはぎこちなく、ヴィセンテを見上げた。


「シーナさん、はじめまして。お招きありがとうございます」


 ヴィセンテは被っていた帽子を取る。表情は硬いが、態度は極めて紳士的だった。


「はじめまして。足を運んでいただき嬉しく思います。こちらへどうぞ」


 シーナは二人を奥の席へと案内した。


「シーナさんにヴィセンテを紹介しなくちゃね……ええと、何から話せばいいのかしら」


 サラはそわそわしながら早口で言った。


「ヴィセンテは、家族と一緒に色々な大陸を旅してきたのよ。だから、知識が豊富でいくつもの言語を話すことができるの。ご両親は商店を営んでいて、食料や日用品だけでなく珍しい特産品も扱っているから、町の人たちに重宝がられているわ。ヴィセンテも幼い頃から家業を手伝ってきたのよ。何日もかけて、遠方まで仕入れに出かけることもあるんだから」


 ヴィセンテを語るサラは、とても誇らしげである。

 当のヴィセンテは、サラの話に相槌を打つこともせず、終始無言だった。


「そうでしたか。では、そろそろ料理を……」


 シーナはスープの準備をしに調理場へ戻ろうとするが、サラの話は止まらない。


「シーナさんのとうもろこしのスープ、楽しみでしょうがなかったの」


 おそらく、二人きりになるのを怖がっているのだろう。

 シーナには心当たりがあった。


「もちろん、ヴィセンテも楽しみにしているわよね。そうでしょう?」


 ヴィセンテの故郷ではとうもろこしが主食と聞き、この日のために腕によりをかけて作った、とうもろこしのスープだ。ところが。


「あ、ああ」


 ヴィセンテは、たいして興味がなさそうである。


「私、シーナさんのスープがどれだけ素晴らしいか、町の人たちにも話して回ったわ。だって、一人でも多くの人に知ってほしかったんだもの」


 客がちらほら増えはじめたのは、サラのおかげだったようだ。


「サラさん、ありがとうございます」


 サラの親切心を、シーナは心から嬉しく思ったが。

 やはり、ヴィセンテは小さく首を振り苦笑するだけだった。


「なっ……」


 ヴィセンテの態度に気付いたサラは、不服そうに頬を膨らませる。


「言いたいことがあるのなら、はっきり言ってくださらない? 私たち、これから夫婦になるというのに、こんなことでいいのでしょうか」

「…………」

「私の話、聞いています?」

「…………」


 聞いているのかいないのか、ヴィセンテは押し黙ったままだ。


「もういいわ」


 返事のないことに呆れたのかサラまで黙り込み、少々険悪な空気が立ち込める。

 だが、シーナにさほど心配はなかった。


「他にお客様もいらっしゃいませんし、ゆっくりしていってくださいね」


 サラの指輪にちらりと目をやり、そっとその場を離れる。

 本人たちが気付いていないだけで、二人は互いを思い合っていると、すでにシーナは知っていた。

 二人にそれぞれの思いを伝えれば、簡単な話かもしれない。しかし、互いが相手を理解しようと努力することのほうが、ずっと大切なはずだ。


 二人なら乗り越えられる……。


 シーナは、二人が会話をしやすいように奥へ引っ込み、食事の準備を進めることにした。


 愛し合う二人のために、心を込めて……。


 とろりとした黄色いスープを、器に流し込む。

 黄色いスープは、茹でたとうもろこしを丁寧に裏ごしし、野菜の出汁と牛乳で伸ばした、冷たいスープだ。

 ヴィセンテの故郷のとうもろこしスープは、鶏肉からとった出汁で作る濃厚なスープで、裏ごしせず粒感を残すのが特徴だと知ってはいたものの。

 シーナはあえて、夏の暑さに疲れ気味の町の人たちに合わせ、喉越しの良い冷たいスープに仕上げてみた。


「味もちょうどいい」


 口に含めば、とうもろこしの甘さとほのかな塩味が、舌の上でゆっくりとほどけていく。とろけるように滑らかな食感の、優しいスープだ。

 仕上げに香草を飾り、オイルを垂らせば、爽やかで豊かな香りがふわりと漂う。


 二人がこの味を気に入ってくれるといいけれど。


「シーナ、さっきは……」


 大きな麻袋をかかえやってきたのは、アルバだ。


「すまない。まだお客さんがいたのか」


 アルバは身をかがめながら、こそこそと調理場に回り込んでくる。


「いつもの、採れたて野菜だ」


 小声で言いながら、アルバは麻袋をどさりと床へ置いた。


「こんなにたくさん……いいのですか?」

「今年は特に豊作なんだ。それに、いつも大盛りにしてもらっているだろ。世話になりっぱなしだから」


 世話になっているのは自分のほうだと、シーナは怪訝に思う。


「ところで……何かあったのか?」


 重い空気を感じ取ったアルバが、そっとシーナに耳打ちした。

 静まった店内に、ヴィセンテが深く息を吸い込む音が響く。


「僕の前で、無理をする必要はない。君が町の人たちの前で、わざわざいい人を演じているのを、僕は知っている」

「えっ…………」


 サラは驚いたように目を丸くしていた。


 サラさんが演じている?


 ヴィセンテの言葉に違和感を覚え、シーナは調理の手を止める。

 シーナには、サラの人の良さは演じたものではなく、彼女の本質だと思われた。


「地主の娘として、社交的であるよう求められてきたことも、もちろん知っている。だから、僕といる時は、無理しておしゃべりをする必要はない」


 どうやら、ヴィセンテにも思うところがありそうだ。

 シーナが考え込んでいると、アルバも同じように思案している様子だった。


「いったい、どうしたの……今日は、あなたのほうがおしゃべりね」


 サラはきまずそうにうつむく。


「おしゃべりな私は嫌い?」


 頼りなくつぶやいた。


「ノン・イータ!」


 ヴィセンテは声を張り上げたあと、しまった、という具合に頭を抱える。

 聞き慣れない言葉にアルバは眉間に皺を寄せ、シーナはその言葉が別の大陸の言語だと気付いた。


「す、すまない……そうじゃないんだ」

「私なら、大丈夫よ」


 サラは平然としている。


「……君のおしゃべりのおかげで、僕たち家族は救われた。麦の国にやってきたばかりで、この国の言葉をまだうまく話せなかった頃から、サラは気さくに僕たちに話しかけてくれただろ。他の人たちのように、よそ者の僕たちを陰で笑ったり、あからさまに避けたりすることもなかった」


 ヴィセンテはすでに落ち着いていたが、言葉には強く訴えかけるものがあった。


「僕たちはいつも、サラが遊びにきてくれるのを心待ちにしていたんだ」


 サラは咄嗟に顔をあげる。


「だけど昔から、ヴィセンテは私と話をしてくれなかったじゃない」

「何を話せばいいのか分からなかったんだ。それに……あの頃は、今よりずっと言葉も上手じゃなかったし」

「私のこと、よく知っているのね。興味がないのかと思ってたのに」

「サラの家の庭は通りに面していて、外からよく見えるんだ。だから、木陰で静かに本を読むことや、編み物をするのが好きな女の子だって知っていたよ。家に閉じこもっていないで友達と遊ぶようにと、いつも注意されていたこともね」


 ヴィセンテはほんの少し声を弱める。


「あなたの言う通りよ。私、親に言われて、ヴィセンテの家に遊びに行っていたの。私の父は、いずれあなたたちがこの町を潤してくれると分かっていたのよ。だから、私を使ってあなたたちと親しくなろうとしたのね……ごめんなさい」


 過去を悔いているかのように、サラの瞳はわずかに潤んでいた。


「だとしても、君が気にすることじゃない。そもそも僕たちは、この町の質の良い麦を扱いたくてここへやってきたんだから、お互いにとって有益な関係でしかないだろ。それに、あの頃の僕はただ、おしゃべりな女の子のことを……いい子だなと思っていただけで……」


 ヴィセンテの声は、ますます小さくなっていく。サラの様子に、動揺しているのだろう。


「ヴィセンテはやっぱり、昔のままだったのね」


 サラは泣きそうな顔で微笑んだ。

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