ナイトプールに理性を溶かして【短編】
河野美姫
第1話
「
八月の夜の、懐かしい顔ぶれが集まった飲み会。
それが終わった直後に、一年ぶりに会った友人の
彼が一滴も飲んでいないことは知っている。
ただ、心の奥にしまい込んできたものを、今さら刺激されたくない。
少しだけ弱っている今夜は、津田の笑顔が眩しく見えて仕方ないから……。
ふたりきりになるのが、なんだか怖かった。
「いいよ、酔い覚ましに歩くし」
「蚊に食われるぞ」
なんとも色気のない誘い方だ、と思う。
もちろん、そんなものを出されても困るんだけれど。
「田んぼに突っ込む未来も見えるな」
ほらやっぱり、色気なんてあったものじゃない。
そんな風に思いながらも、この憎まれ口が心地よくもあった。
「津田さ、気を使ってもらっておいてこんなこと言うのはあれだけど、もうちょっとマシな誘い方はないの?」
「……俺と来いよ。お前とふたりきりになりたいんだ、とか?」
最後に首をわずかに傾けた彼との間に、沈黙が降りる。
「……ないな」
「……ないね」
数秒後、お互いの声が揃う。
そのまま小さく噴き出し、ふたりで笑った。
ククッと笑うときには肩を竦めるところが変わっていなくて、また懐かしい気持ちになった。
「ほら、もういい加減に乗れよ」
田舎には似合わない、クロスオーバーSUV。
黒い車体が、まるで夜に溶け込むように見えた。
「じゃあ、まあ……」
お邪魔します、と小さく断って、ドアを開けてくれた助手席に乗り込む。
「閉めるぞ」と確認した津田に頷けば、彼はドアを閉めて運転席に回った。
「二丁目の町内会館の先まで」
「タクシーか。てか、言われなくても知ってるから」
「それは失礼しました」
微妙にふざけた態度になってしまうのは、お酒のせいか緊張のせいか。
たぶん後者じゃない。
エンジンをかけた車の振動を感じながら、そうであることを祈っていた。
「幸せそうだったな」
「え?」
「あいつら、いい笑顔だったよな」
「そうだね」
少し前まで会っていた、五人の友人たち。
その中のふたりが、来月に結婚することになったのだ。
埼玉県の片隅にあるこの町は、よく言えば自然が多く……少し悪く言えば田舎だ。
バスは、一時間半に二本。
電車は、ラッシュ時は一時間に二本だけれど、日中は一時間に一本程度。
コンビニは一軒だけ、もちろんショッピングモールなんてない。
おしゃれなコーヒーショップも、可愛いカフェも、ゲームセンタ―もない。
自転車で行ける範囲には、老夫婦が営む食堂とか、気まぐれに開店するさびれた喫茶店、一通りの日用品と食料が揃うスーパーがあるだけ。
だから、若い子たちは中学か高校を卒業すると、だいたい町から出て行く。
高校なら全寮制か下宿を、大学なら寮か一人暮らしをして、そのままここには戻らずに別の場所で就職する――といった感じだ。
津田と私も、同じだった。
彼は県内の全寮制の高校に進学し、東京へ。
私は隣町の高校を卒業したあと、千葉県にある大学に進学した。
そして、就職した今も千葉にいる。
今夜は、お互いに同級生の結婚祝いに駆けつけた。
「まさかあのふたりが結婚するなんて思わなかったな」
「うん、わかる」
「今だから言えるけど、絶対にすぐに別れると思ってた」
「縁起でもないこと言わないでよ」
「だから、ここだけの話な」
前を向いたまま悪戯っぽく微笑む津田は、ちっとも悪びれがなさそうだった。
正直、共感してしまったことは言わなかったけれど、彼はわかっていた気がする。
彼氏側は、いわゆる中学時代からヤンキーっぽい雰囲気だった。
すぐにでも浮気しそうな見た目通り、あまりいい印象はない。
女子の方は、可愛くて優しく真面目。いわゆる、委員長タイプ。
そして、私にとって親友と言えるくらい仲がいい友人でもある。
正反対のふたりがくっついたときには、クラスや学校どころか町中で噂になった。
多くの人が、『すぐに別れるよ』なんて陰口を言っていた。
私は一度も口にはしなかったけれど、否定できない気持ちもずっとあった。
だからこそ、ふたりからグループメッセージで結婚の報告を受けたときは、驚きながらも嬉しかった。
休日出勤をした土曜の昼下がりに電車に飛び乗って、弾丸で帰省するくらいには。
「二十三で結婚か」
「この町じゃ早くもないだろ。同級生も半分近くが結婚したし」
「そうだね」
田舎にはわりと多いのか、祖父母も親世代も二十代前半で結婚する人が多い。
同級生でも、十代や二十歳そこそこで結婚した子もいる。
この町では〝これが普通〟なのだ。
地元に残っていると、二十三歳でも独身の方が珍しいかもしれない。
「でも、それならなおさらここを出てよかったよ」
「牧野、今って彼氏はいる?」
「それ訊く?」
「まあ話の流れ的に?」
「……いません。先月別れましたー」
「マジかよ」
やけくそな言い方をすれば、津田がなんとも微妙な顔で笑う。
「はいはい、マジです。ついでに言うと、また浮気されましたよ」
「おいおい、またかよ?」
呆れた物言いの彼は、私に男運がないことを知っている。
高校生で初めてできた彼氏も、大学生のときに告白してくれた先輩も、社会人になって付き合った同僚も、みんな漏れなく浮気してくれた。
いったい、私がなにをしたというんだろう。
反抗期や、ちょっとした校則違反。
人生を振り返れば反省点はあるものの、こんな目に遭うような悪行はしていない。
学生時代はそれなりに遊びながらも真面目に過ごしていたし、仕事はできるタイプじゃないなりにコツコツ頑張っている。
マルチタスクが苦手だから、忙しくなるとつい恋愛にまでリソースを割けないけれど、それでも私なりに大事にしてきたつもりだ。
にもかかわらず、毎回浮気されるのだから、もう男運が悪いとしか思えない。
というよりも、男運のせいにしておかなければ、わりと本気で立ち直れそうになかった。
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