心霊相談所・新(しん)
@hyuga72mikan
第0章
『ァァ……アアァ……』
「うわああああ〜〜〜〜〜〜〜〜!」
拝啓、母さん、父さん。
それから、最近会ったばかりの、じいちゃん、ばあちゃん。
東京の学校では、時々変な声を上げたり、頭が痛いと保健室に行ったりを繰り返して迷惑をかけましたね。
体には異変がないから、何かストレスがかかっているんじゃないかと言ったお医者さんの一言で、転地療法としてじいちゃんたちの家がある奈良の中学校に転校してきたのが今週の初め――月曜日のこと。
何事もなく土曜日を迎え、この一週間は平和に過ごせるんじゃないかと思っていましたが、とうとう『アレ』に目をつけられてしまいました。
オレはもう、ダメかも知れません……。
あなたは、幽霊やお化けの存在を信じているだろうか。
こう聞くと、たいていの人は笑ってこう言うだろう。
「そんなもの、あるわけないじゃないか」って。
実際、オレも小さい頃はそう思ってた。
小学校に上がる前までのオレは、おばけが出てくる絵本を読んでも、怖がったりしなかった。
――そう、小学校に上がる前までのオレは……。
小学校に上がってしばらくした頃からだったかな。きっかけが何だったのかは、さっぱり覚えていない。
あるときからオレは、幽霊が見えるようになってしまったんだ。
幽霊が見える……と言っても、本当に幽霊なのかは分からない。はっきりと人の姿をしている、テレビや映画で見るような幽霊の姿ってやつは、見たことがないからだ。
今まで見たことがあるのは、黒い……それも、ただの黒じゃない。あらゆる光を吸収した、真夏にできる影よりも深い黒。漆黒って表現がぴったり来るような、そんな色をしたモヤのかたまりだ。
モヤには目も耳もない。だけど、じっと見続けたり怯えている様子を見せたりしたら、頭の中に直接響いてくるような、不気味に響く声で唸りながら追いかけてくる。だから、もし『ソレ』を見つけてしまったら、なるべく目を逸らして見えていないふりをするんだ。何事もないかのように、何でもない顔で、でも素早くその場から離れる。もし見つかってしまったら、とにかく必死に逃げて神社やお寺に逃げ込む。そうすれば、『ソレ』はしばらく辺りを探したあと、諦めたようにどこかへ消えていくんだ。
東京の学校にいた頃は、家の近くに一箇所しか神社がなかったから、大変だった……。
母さんは「田舎の学校なんて、不便じゃないかしら」と言っていたけれど、オレはとても助かっている。
なにせ、小さなものも含めれば、本当にたくさんの神社がある!
これで、オレの日常生活もだいぶ楽になるだろう。
そう、思っていたんだけどな……。
『ヒヒ、アア、アアァ、アアアァ…!』
「うわああああ! やめ…、こっち来んなよおおおおお!」
――はい、現実逃避は終了!
ああ、どうせ見えるなら、かわいい女の子の優しい幽霊がよかった!
『ソレ』との距離は、もう数メートルしかない。
早く神社にでも逃げ込みたいところだけど、今オレがいるのは学校の校舎裏に広がる、やたら広い林というか森というか、山の中。
「なんっでこんな広い山があるんだよ! 田舎ってみんなこうなの!?」
走っても走っても、木や草ばかりしか見えない。わかるのは、山の斜面を登っているということと、足が疲れてきたということだけ……。
ドシャッ!
ズササササ!
『ヒヒ……アアアァァ……』
やべっ!
突然、足をひねった感覚と共に、今まで駆け上ってきた斜面を後ろに滑り落ちた。どうやら、木の根っこに足を取られて転んだらしい。
目の前には、モヤの中に浮かぶ不気味なほど赤い口……。
ああ、とうとうオレもここまでか……。
オレは、どうすることもできずに目をつむる。
『ソレ』に近づきすぎたせいか、走り回ったせいか、頭が割れるように痛い……。
「そこのあなた……下がって!」
ヒュン!
何かが、オレの頬をかすめて『ソレ』に向かって飛んでいった。
『ウ、ヴヴゥ……ッ!』
「な、何っ!?」
「ハァイ、大丈夫? ごめんね、来るのが遅くなっちゃって」
オレの目の前、『ソレ』との間に立ちふさがるように現れたのは……女の子だ。
歳は、オレと同じくらい。肩のあたりで切り揃えられてぴょこぴょこと外にはねる髪は、中学校ではなかなか見かけない、モンブランの茶色いクリームみたいな色。制服の白いシャツに、紺色のスカートから伸びて、ピンクのスニーカーに続く足がすらっと長い。女の子は、肩にかけたポシェットから何かを取り出すと、背中を向けたままオレに問いかけた。
「あなた、『アレ』が見えるんだよね?」
「え……うん、はい。……もしかして、あなたも……?」
「あたしは、まあ、少しだけね。声は聞こえる?」
「はい、まあ……ずっと、唸ってて……」
「OK、こいつは違うみたいね。じゃあ、やっちゃいますか、っと!」
女の子は手に持っていた……何だあれ、紙を巻いた石? それを、もう片方の手に持っていたパチンコマンガの中で、鼻の長い海賊が持ってるやつだ――に乗せて、ひもを引く。ギリギリとゴムが伸びる音がする。
「ごめんね、うらみはないんだけど、あたしたちも忙しくて……じゃあね、バイバイ!」
パシュン!
パチンコから放たれた石が、『ソレ』に命中する。
『ヴ、ウウ、アアア……!』
黒いモヤが少しずつ形をなくし、ちぎれていく。
『ヴ、ウ、ヴウゥゥゥ……!』
「消えた……?」
「うん、これで討伐完了ね。探し物と違ったのは残念だけど……まあ、人助けもできたことだし、いっか」
女の子がパチンコをポシェットにしまい、こちらを振り返る。
(う、わ……かわいい子……)
すこし日に焼けた肌、きりっとした大粒の瞳。長いまつげがクルンと上がって、強気そうな目元をふちどっている。きゅっと吊り上がった唇のピンクが、よく似合う。
「あたしは、江東(えとう) 美琴(みこと)。二年生よ。あなたは?」
「あ……オレは、設楽(したら) 由鶴(ゆづる)。一年です」
女の子――って呼ぶのも、先輩だと失礼なので、江東さん――は、にっこりと笑う。
「変わった名前ね。『アレ』を見たのは、初めて?」
「いえ、小学生の頃から……あの、本当に『アレ』を倒しちゃったんですか?」
「倒した……ってのは、ちょっと違うわね。『アレ』は、人の未練や思いが凝り固まったもの。一度散らしたところで、また時間が経てば元に戻るわ」
「そうですか……」
この時の気持ちを、どう表せばいいんだろう……。
まずは、初めて同じものを見る人に出会った驚き。それから、オレだけがおかしいわけじゃなかったという安心感。『アレ』を簡単に倒してしまった江東さんへの、驚きや少しの恐怖、尊敬……。
「設楽くん、どうかした?」
いろいろな気持ちがごちゃまぜになっていたオレは、はっとする。そうだ、この人に助けてもらったんだった。
「あ、あの! 助けてくださって、ありがとうございました。オレ一人だったら、今頃……」
「別にいいのよ。元々、あたしたちは『アレ』に用事があっただけだから。ね、それよりあなた、このあとの予定はある?」
「え?」
「その顔だと、特に予定はなさそうね。それなら、ちょっと付き合ってくれない?」
「へ? ええっと……それは、別に構いませんけど、どこへ……?」
江東さんはオレの手を取ると、ニンマリと目を細めた。
「まあ、ちょっとしたアフターフォロー、ってやつよ」
江東さんは「そうだ、そういえば」としゃがみこむと、オレの足に触れた。
「足、転んだんでしょ。痛まない?」
「ああ……大丈夫です。ちょっと、木に引っかかっただけですから」
「歩けそう?」
「はい、なんとか」
「それは良かった。じゃ、とりあえず学校に戻るわよ」
江東さんは立ち上がると、オレに背を向けて歩き出した。ほんの少しゆっくりとした足取りなのは、オレに気を使ってくれてるのだろう。
「あの、江東さん。どこにいくんですか?」
「美琴でいいわ。あなたは……設楽由鶴、ゆづる……ゆずる、ユズ。うん、決めたわ。ユズね」
「はあ……」
「今向かってるのは……そうね、うちの部室よ。あなた、部活は帰宅部?」
「いえ、まだ決めてなくて……オレ、この月曜日に転校してきたところなんです」
「そう、それはちょうど良かった。せっかくだし、うちに体験入部でもしていく?」
「それは、ありがたいですけど……部活って、何部なんですか?」
「うーん……難しい質問ね。見せたほうが早い、と言いたいところだけど……そうでもないか」
オレは、とたんに心配になってくる。いったい、何に巻き込まれようとしてるんだ?
「ああ、心配しないで。別に怪しいことしてる部活じゃないの。うちは新聞同好会よ。表向きは、だけどね」
「表向き?」
「小説なんかでよくあるでしょ? 表の顔はご隠居、しかしてその実態は……ってやつ」
……もしかしなくても、そのご隠居の正体は水戸藩の偉い人で、小説じゃなくてテレビで見たんじゃないだろうか。
「部員は今のところ、あたしの他には二人いるの。ゲンジもメイも、あんまり話しやすいほうじゃないけど……まあ、いいやつよ。多分だけどね」
江東さん――ここからは、本人にならって美琴さんと呼ばせてもらおう――の後をついていくと、学校まではすぐだった。さっきはむちゃくちゃに走り回っていたから広く感じたけど、この山、意外と小さかったんだな。
美琴さんは靴を履き替えると、東の旧校舎へ入っていくので、オレもそれに従う。
「あたしとしては、せっかく見つけた新人にはぜひとも入部して、仲良くやってもらいたいけど……まあ、まずは顔合わせね。ここよ」
美琴さんが立ち止まったのは、旧校舎に入ってすぐの教室の前だった。
教室の扉には、ガムテープで貼られたチラシの裏紙に『新聞同好会』の文字。
「たっだいま~!」
美琴さんが扉を開ける。ガラガラとうるさい音を立てて開いた扉の先には、二人の男子生徒が立っていた。
「……」
一人は、ふわふわとした茶髪がテディベアを思わせる小柄な見た目。無言で手を振る表情はどこか眠たげで、ぼんやりとした様子だけど、あくびの一つもないところを見ると元からの表情なんだろう。少しだぼついた制服に、薄手のカーディガンを着ていると、ますますぬいぐるみみたいに見える。上靴のつま先部分がグリーンだから、この人は二年生だな。
「ほう、きみが裏山で襲われていたという転校生だね。美琴が遅くなって、すまなかった」
腕を組んだままこちらに視線だけを向けるのは、黒い長髪に切れ長の目をした三年生だ。後ろでひとつに結ばれた黒髪がそこらの女の子よりずっとつやつやしていて、切れ長でつり上がった目に、びっくりするほど白い肌、ひょろりとした長身も合わさると、まるでマンガやテレビアニメから出てきたように見える。
「なによゲンジ、ちゃんと助けたんだからいいじゃない。こちら、新入部員候補の設楽由鶴くん――ユズよ」
「ど、どうも……部員候補?」
ちょっと待て、オレはそこまで聞いてないぞ。確かに体験していけばとは言われたけど。
「で、こっちがゲンジとメイ――えっと、そっちのかわいい方が上坂(うえさか) 命(めい)。かわいくない方が仁科(にしな) 玄二(げんじ)よ」
また、無言で今度はぺこりと頭を下げる命さん。玄二さんはというと、フッと小さく片頬を吊り上げる。
「仁科玄二だ。玄二でいい……美琴、彼にここの紹介は?」
「まだよ。新聞同好会、とは言ったけどね」
そうだ、美琴さんは「表の顔は」って言ったんだ。つまり、裏の顔があるってこと。
「ふむ……転入生。きみは、『アレ』をなんだと思っている?」
「『アレ』、って……幽霊のこと、ですか?」
「『幽霊』か。ふむ、おおむね間違いではない。ヒトの思いや未練が残り、固まってしまったモノ。たいていは、死者のモノであることが多いな」
「あなたも、見えるんですか?」
「ここにいる者は、多かれ少なかれそういうモノを認知している。美琴はわずかに、命ははっきりと、おれはさらに強く。きみは『アレ』の声も聞くのだったな。なら、命よりもわずかに強いか」
『アレ』が見えるのは、オレや美琴さんだけじゃなかったんだ……。
「話が逸れてしまったな。つまり、ここはそういう者たちのための場所だ。『アレ』を見聞きし、『アレ』にまつわる縁を抱える者のための、な」
玄二さんは黒板に向かうと、コツコツとチョークで文字を書く。
――心霊相談所 新
「ここにいれば、美琴やおれがきみの盾になるだろう。代わりに、きみには美琴の耳になってもらいたい。もっとも、きみが今までどおり、『アレ』から逃げまどうばかりの日々を送りたいというなら、止めはしないが……さあ、どうするかな」
オレに手を差し出す玄二さん。それを見守る命さん、美琴さん。
この手を取れば、オレは平穏に暮らせるのか……?
悩むオレに、誰も、何も言おうとはしない。
「……まずは、体験入部ってことで、お願いできますか」
恐る恐る、玄二さんの手を取る。
「いいだろう。きみを歓迎する、由鶴」
このときの選択が、果たして正しかったのかどうか……。
オレは、これから始まるたくさんの事件と出会いを、まだ知らずにいた。
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