霊骸対策総本部呪葬師管理協会

宵宮祀花

壱章◆罪を知る

非日常への跳躍

 ――――俺がなにしたっていうんだ。


 知らない住宅街の知らない路地に飛び込んだのが十分前。

 病院着のまま病室を飛び出して、アレから裸足で逃げたのが一時間前。

 医者から検査の結果を聞いたりあれこれ手続きをして、疲れ果ててやっとベッドに倒れ込んだのが十時間前。


 そして……得体の知れない化物が見えるようになったのが三日前。


 事故に遭って病院に運び込まれたことを自覚したのも、それくらいのことだった。覚えている日時から一週間も経っていて、軽く浦島太郎状態だ。気付いたら知らない天井を見上げていた、なんてフィクションのような体験をして、自分に繋がる計器の音を聞きながらぼんやりしていたときだった。


「……………………」


 突然、白い骸骨のような大きな顔が俺を覗き込んだ。

 人間驚くと声もなにも出ないようで、俺は暫く呆けたように固まっていた。それがあまりに現実離れした存在だったというのもあるし、たとえば知らない人や上司とかだったら「うわ」とか何とか叫んだかも知れないけれど。

 無言で俺の顔を見つめる骸骨顔と、同じく無言で固まる俺。

 暫くまじまじと見つめていたら、どうやらその骸骨顔はお面のようなものを被っていることに気付いた。まあ、だからなんだというレベルで全体的に現実離れしているわけなんだが。白いジャケットの中身は肋骨模様の黒いシャツ。全身に絡みつく鎖は背後に背負われているデカい十字架にも絡まっている。片側だけが長い不思議な形の

マントを羽織っていて、風もないのになびいている。髪は灰色。骸骨面のせいで目の色や顔かたちはわからない。声を発しないから誰かもわからない。

 もしやこれが俗に言う死神というものなのか。実は何処か打ち所が悪くて予後不良だったりするのだろうか。

 そんなことを考えていたら、目の前の死神(仮)が首を振った。

 白い手袋に包まれた手が伸びてきて頬に触れる。手袋越しなのにやけに冷たくて、でも触れ方がひどく優しくて混乱した。


「おはようございまーす、検温ですよー」

「うわ! は、はい!」


 ぼうっと死神(仮)を眺めていたら、看護師さんが入ってきた。

 やっぱり、日常の延長にあるような声には普通に驚くらしい。なんて自分に知見を得ている場合じゃない。

 こんなのが病室にいたら看護師さんが怖がるんじゃないか……と思ったら、一瞥もくれずに真っ直ぐ俺のところへ来た。


「顔色だいぶいいですね。明日には検査の結果が出るので、それ次第ではすぐに退院出来ると思いますよ」

「そ、そうですか……良かった」


 死神(仮)は、ベッドの足元でじっとしている。朝が来たからって消えるわけではないらしい。開け放たれた扉の外を行き来している人たちも、同室の人たちも、誰もあの目立つ存在を気にしない。

 看護師さんは検温と血圧測定を済ませ、点滴を確認するとお大事にと言って部屋を出て行ってしまった。そのとき死神(仮)の傍を通ったんだけど、ぶつかることなくすり抜けていった。


「何なんだ……」


 まだ朝になったばかりだというのにドッと疲れた気がして、ベッドに倒れ込む。

 どうやら、アクセルとブレーキを踏み間違えた年寄りの暴走車に追突されたらしいことは先生との会話で判明した、というか思い出したんだが、そのとき先生に「当時誰といたか覚えていますか?」と聞かれて「いえ、一人じゃなかったんですか?」と答えたときの、あの何とも言いがたい表情が引っかかっている。


『――――そうですか。では、今日はこれで。暫く安静にしていてくださいね』


 あのとき先生が言葉を飲み込むほうを選んだらしいことは、俺でもわかった。

 俺はあの日、誰かと一緒にいたのか。それともたまたま近くにいた人を巻き込んでしまったのか。其処の記憶だけが綺麗に抜けている。……いや、違う。記憶がないという自覚すらない。言われなければ違和感すら抱かなかったんだから。

 俺はなにを忘れてしまっているのか。

 入院中というものは余程体調が悪くなければただの暇な時間で、なにもすることがないと思考だけがグルグルと渦巻いてしまう。

 ぼうっと天井を見上げて、時々窓の外を見て、昼間は動けそうなら売店や中庭まで降りてみたりして。何処へ行くにも死神(仮)が着いてくるのが気になって、中庭に出るときは頭の中で「ついてこないでくれよ」と念じた。

 それが通じたのか、死神(仮)は病室の隅から動かなかった。

 これで少しは気が休まるだろう。


 そう、思っていたのに。


「なんだ、あれ……」


 中庭のベンチでくつろいでいたときのこと。

 遠くに黒いモヤのようなものが見えた気がして、眉を寄せた。小さな子供くらいの大きさで、ぼんやりとした輪郭。左右に揺れているようにも見えて、思わず凝視してしまったのだが。

 それが良くなかった。


『見エテルノ? 見エテル? 見エテル? 見エテル?』


 同じ言葉を繰り返しながら、その黒いなにかがひょこひょこと近付いてきた。

 周りを見回しても、中庭にいる他の人たちはそれに気付いていない。片手で子供の手を引いてもう片方の手でベビーカーを押している若い母親も、お年寄りの車椅子を押しながら話しかけている看護師さんも、一時帰宅の許可が出たとうれしそうに電話している男性も。誰もアレを気にしていない。

 もう目の前まで来る。逃げられない。怖い。捕まったらどうなる?

 固まったまま動けずにいた俺の肩に、不意に誰かの手が乗った。


「わあ!?」


 文字通り飛び上がって勢いよく振り向くと、同じく驚いた顔で俺を見下ろしている女性がいた。記憶が欠けている時期に出会っていなければ、初対面の人だ。

 日本刀でスパッといったみたいに真っ直ぐ切られた綺麗なボブカットの黒髪と鋭く研ぎ澄まされたつり気味の大きな黒目が特徴的な、背の高い和風美人だ。パッと見ただけでも、スタイルがいいことが服の上からでもわかる。


「突然失礼致しました」

「い、いや……俺のほうこそ大袈裟に驚いたりして……なにか?」


 俺が訊ねると、女性はチラリと視線を外してから静かに口を開いた。


「暫くじっとしておられたので、もしや眠っていらっしゃるのではと思ったのです。この頃は温かくなって参りましたが、外で眠れるほどではありませんので……余計なお世話やもと思いつつ、お声がけを」

「ああ、なるほど。すみません、陽気につられてぼんやりしていたんです」


 まさか白昼にお化けを見て固まってましたなんて言えず、適当なことを言った。

 怖々と、さっき妙な影がいた辺りに視線をやる。横目で見た限りではなにもない。だいぶ近付いてきていたはずだが、消えたのか移動したのか。


「そうでしたか……勘違いで驚かせてしまい、済みませんでした」


 女性は改めてといった感じで頭を下げた。正直其処まで謝られると、こっちが悪いことをしているような気分になる。


「いえ、そろそろ戻ろうと思っていたので……じゃあ、俺はこれで」

「はい。お大事になさってください」


 軽く手を上げて、病室へと戻る。

 彼女も誰かのお見舞いだろうか。見たところ患者ではなさそうだったし。

 そんなことを考えながら病院の入口を越えたときだった。


「は…………?」


 俺は思わず足を止めて呆けた声を漏らした。

 何故なら院内には、さっき見た影と似たようなものが其処ら中にいたから。

 看護師さんに付き纏ってブツブツとなにかを呟いている影。待合を走り回り、壁に激突するかと思えばそのまま消えていく影。具合が悪そうなお年寄りの隣に座って、じっと顔を覗き込んでいる影。

 さっきまではなにもなかったはずだ。あんなものは見えなかった。やっぱりなにか脳に障害でもあるんじゃないか。そう思う一方で、頭の片隅で警鐘が鳴っている。

 目を合わせてはいけない。見えている素振りをしてはいけない。


 気付いていると、気付かれてはいけない。


 俺はなるべく平静を装って、自分の病室に戻った。

 足元を駆け抜けていく子供くらいのサイズの影をうっかり避けようとしてしまい、躓きかけたときは「おっと、まだ本調子じゃないな……」とか適当なことを呟いた。我ながらわざとらしいとは思ったが、その影が此方を窺っている気がしたからなにも見てない気付いてないと自分に言い聞かせるのが大変だった。


「はぁ……」


 病室に入ると、此処までの道中に山ほどいた影が一つもなかった。

 別の病室にはいたりいなかったりしたので、此処も偶然いない部屋なのかなと思う傍ら、隅っこで手持ち無沙汰にしている死神(仮)がなにかしているのかとも思う。

 ベッドに寝転がっても、もう死神(仮)は覗き込んでこない。俺がビビってるってわかったらしい。

 このまま退院までなにも起きなければいいのだが――――そう思うこと自体が波乱フラグなんだって、このときの俺に言いたい。

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