第4話:漆黒の白昼夢
いくつかの村を、町を通り過ぎ乗客も乗り続けたり入れ替わったり、乗客の目的色々、人生色々、風を感じるもよし、世間話に耳を傾けるもよし、
(……眠いのぉ)
のんびりとした馬車旅、アハトは何度も目を瞑り睡魔と戯れる。若い身体となり比較的しゃっきりするようになったが、こと睡魔相手は老いた感覚が近い。
目に映る景色は故郷のそれとは違うが、世界中を放浪した時に見た景色のどれかと近く、かつてのような新鮮さはあまりない。若き日の経験値が低いからこそ得られた感動と言うものは、記憶が引き継がれている以上あまりないのだ。
学校とやらへ行くと何かが変わるのか、と少しばかり期待しているが、あまり期待し過ぎると経験上がっかりすることが多く、すでに心の中で予防線を張っている。これもまた心の処世術と言うか、何と言うか。
とにかく、睡魔の存在を忘れるほどの興奮、経験はあまりない。
(日課の瞑想も終えとるしのぉ。あんなもん長々やっても意味はなかろうし、はてさて……こりゃあちと眠気覚ましに徒歩も悪くない気も――)
次の停留所で一度降りて、しばらく歩きで体を動かすとするか、とアハトは一つ結論を出した。そちらの方が路銀の節約にもなり、母へのお土産代とすることもできる。一石二鳥、わしって頭ええのぉ、と自画自賛しつつ、
「スヤァ」
ジジイ、再びのお昼寝。
「久しぶりに隣町に顔を出すよ」
「市での買い物が楽しみねえ」
「お菓子も買ってね!」
「はいはい」
平和の声が耳朶を打つ。きっと親子であろう。話しぶりを聞くに次は少しばかり栄えているらしい。市で軽く腹ごなしも悪くない。
アハトはちびっと涎を垂らしつつ惰眠を貪り――
「失礼」
馬車の進路上に突如、真っ黒な人影が現れる。すらりと伸びた、全長二メートルはゆうに超える大男なのだが、不思議とそれほど大きくは見えない。
まるでその規格の生物としては小型かのような感覚を得る。
ただ、
「小生、小腹が減ったので、一つまみさせていただく」
その声は闇の底より響くような、根源的な恐怖を与えるものであった。恐怖と言うよりも畏怖か、とにもかくにも謎の男は現れてすぐ、掌を馬車へ向ける。
すると、
「ヒヒーン!?」
馬の嘶きと共に、馬が存在する場所そのものが歪み、捩じれ、それは世界を侵食するように御者の方へと迫る。
「ひっ!?」
わけのわからぬ現象を前に御者は眼を瞑り、
「油断大敵。すまぬの、馬太郎よ」
絶対的な死を予感した間に、アハトが剣を抜き割って入る。剣を虚空に突き立て、その場で侵食が停止した。
「許せ」
斬。
侵食を、歪みを、捩じれを両断し、ついでとばかりにその現象を引き起こした謎の男の、こちらへ向けた片腕をも斬り飛ばした。
「……英雄ミシェルか?」
「誰じゃア、そりゃあ」
アハトの気迫を受け、男は警戒の表情を浮かべながら断ち切られた断面に触れると、そこからにょきっと腕が生えてくる。
「も、魔族だ!」
「なんで、条約でミクトラン以北まで全て退いたはずなのに!」
乗客の誰かがそう言った。
モンスター、魔族、アハトも噂には聞いていた。この世界での父が戦死したのは、魔族との戦が原因であると母から聞いていたのだ。そうでなくとも十二年も辺鄙な村とは言え生きていれば、そういう話の一つや二つ聞いたことはある。
ただ、出会ったのは初めて。
そして、
「異能の怪物。要は……魔族とは鬼であったか」
アハトは獰猛な笑みを浮かべた。それは意識的に出たものではない。むしろ、ずっと抑えていた、剣豪としての一面。
覗かせたそれが、
「魔境・闇貪(アンドン)」
男に最大限の警戒と最上級のもてなしを構えさせるに至った。
口から、眼から、全身至る所から闇が溢れ出て、一瞬で周囲全てを塗り潰す。
「何も見えない!?」
「どうなっているの!?」
「ママ! パパ! どこにいるの!?」
視界も消える。音も、双方向には届いていない。闇は全てを飲み込み、消す。視覚、聴覚、嗅覚、さらには味覚に触覚、五感全てを飲み込む闇の世界。
そう、これが――
「ほう、結界術とは洒落とるの。鬼でも相当の大物、大鬼か、それともその上か……便利でええのぉ」
人視点で魔族と呼ばれる男が持つ、至高の結界術であった。
しかし、
「……馬鹿な」
男は気づく。自分には届くはずの悲鳴、叫び声が、すぐさま届かなくなったことに。この結界の中に、世界の中にある限り、気配は全て、どれだけ小さくとも感知できぬことはない。ないのに、消えた。
ただ一人を除いて――
「結した世界を……切ったと言うのか!?」
闇の中、小さな、自らの世界においてすら聞き取り辛いほどの足音が迫り来る。そう、そうなのだ。自分は辺鄙な土地で運の悪い人間をつまみ食いしようと、跡形もなく喰らい神隠し、行方不明ならばよかろうと気を使い、戦う気などなかった。
人間など大半が相手にもならない。されど、和平相手を刺激するのも大人気ない、とあえて弱く、薄い相手を狙った。その中に隠れていたのだ。
「間合いじゃぞ?」
魔族をも超越する、化け物が一人が。
「……何故、見える?」
「……」
違う。見えていない。聞こえてもいない。何も感じていないのに、五感全てを剥奪されているにもかかわらず――小動もしない。
「結界全てを断ち切ることも出来たろうに……あえて相手十分、胸を貸す、か。人の世に、これほどの傑物がいようとは」
来い。
受けて立つ。高みより見下ろされることなど何百年ぶりか。
「出来れば、名を聞いておきたかった」
決着の前にこぼした未練。それを知ってか知らずか、男にだけ届く声が小さく耳朶を打つ。その気遣いに男は苦笑し、
「偶然か、それとも音すらも魔力探知のみで捉えるか……どちらにせよ――」
異形に、自身の本当の姿に変身し、
「いざッ!」
偶然の出会い、それとも引き寄せられたか、小腹が空いたので『おやつ』を食べに来た魔族の男は――
「一の太刀・一文字」
自身が誇る、代名詞でもあった闇の結界術ごと、全身全霊の攻撃ごと、文句のつけようもなく、疑問を挟む余地もなく、真っ二つに切り裂かれた。
真一文字に。
「……悔いはない。もう、腹が減ることも、ない」
「よぉ踏み越えた。つくづく、わしらは鬼よなァ」
最後にアハトは、
「静かに眠れ」
四つ道を区切り、彼の遺体を囲うよう結界を切り取った。格上と認識し、それでもなお立ち向かった者への敬意である。
死体がさらし者にならぬよう、彼自身の誇りを棺とした。
それゆえに、
「あ、あれ? あの子、だけ?」
「あのモンスターは?」
魔族の死体は馬車の御者や乗客の目に触れることはない。無論、その勝負の結末を知ることもなかった。
そも、白日の下ですら、常人に勝負の綾を見ることはかなわなかっただろうが。
「わしもよぉ知らん。白昼夢じゃろ」
「え、でも、馬が、その……捩じれて半身が消えて――」
「南無阿弥陀仏」
「え?」
「奇妙な白昼夢にさらわれた哀れな命に祈りを捧げただけじゃ。では、わしはこれで失礼する。ちと、昂った気を徒歩にて沈めんとの」
「は、はぁ」
「さらばじゃ」
ひょい、と馬車にて自分の荷物を手に取り、再びアハトは自らの足で地面に立つ。
「ありがとー! かわいいおにいちゃん!」
よくわかっていないのか、それとも幼子ゆえの勘か、大人が混乱する中、子どもはアハトに感謝の言葉を告げる。
それを聞き、
「ふはは! 親子仲良ぉ、達者での」
ひと笑いしてアハトは一人歩き出す。
少し侮っていたがなかなかこちらの世界にも腕が立ち、覚悟も定まった鬼がいるようである。もしかすると自らをも超える鬼がいてもおかしくはない。
まあその時は、
「わしの番が来た。それだけよなぁ」
自分の命が尽きるだけ、とけらけらと笑い飛ばす。
その貌は、今際にあの魔族が浮かべたものと同じものであった。
ひとまず馬車旅を終え、アハトは気分よく徒歩の旅へと移行する。
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