空の向こう
マン太
第1話 金星食
俺、
まだ暗い早朝の空はどこまでも清々しく、気持ちいい。その空に浮かぶのは、白く輝く三日月。
そして、その傍らに寄り添うのは──。
「──すばる!?」
ああ、この声は──。
「
スッとした立ち姿。百八十センチはあるだろうか。俺と並ぶと十センチ以上の差はある。
茶色っぽくて猫っ毛の俺とは違って、真っ黒の髪に少しだけグリーンの混じった茶色の瞳。凛とした眼差しは、幼い頃からちっとも変わらない。
俺の幼なじみだ。
けれど、本当はそんな単純な言葉ではくくれない。
「どう…して?」
ここにいるのかと、尋ねてくる。俺は肩を竦めて見せると。
「だって、約束だったろ? ここで、
街から少し離れた、公園の小高い丘。
街の灯りが小さくなるから、夜空を見上げるのには丁度いい。
そこは、俺たちのお気に入りの場所で。
「──っ…」
清は顔をくしゃくしゃに歪めて、泣き出しそうな顔をすると。
「すばる…!」
その長い腕を伸ばして、抱きしめてきた。絞り出すように、俺の名前を呼んで。
物心つく頃には、当たり前の様な顔をして傍らに清がいた。
大人しく物分りがいい、#所謂__いわゆる__#優等生な清と、やんちゃで一本気、嫌な事は頑として受け付けない俺。
正反対な性格だが、そのお蔭でバランスは取れていた。
俺にとって清がいるのは当然で、何をするのにも一緒が前提だった。
けれど、ある事件を境にそれが一変したのだった。
「清、どうしたんだよ?」
自分の部屋さながらに、隣家の離れに住む清の自室を訪れた。
すっかり暗くなった部屋で、畳の上に丸くなる清の背中に声をかける。
清の家は純日本家屋で、祖父母のその前から引き継いだ、小さいながらに雰囲気のある平屋の建物だ。
清はその離れの一室あてがわれ、悠々自適に暮らしている。玄関から入らずとも、庭先の勝手口から、清の部屋を訪れるのが常。
今日は部活の仲間同士で、夏祭りに出掛けたのだった。部活は弓道部。清の希望で入部してはや三年。
すっかり打ち解けた部員同士、卒業前の思い出作りに祭りでも、と誰かが言い出したのがきっかけで。
男四人に女子が三人。そこには清も勿論参加していた。元々、気心が知れた仲だったから、俺は特に何も考えず、気楽に参加したのだけれど。
神社に出店に、打ち上げ花火に。傍らには、ずっと微笑む清がいた。
「すばるは、花火好きだよな?」
その言葉に、打ち上げ花火に照らし出される、清の横顔に目を向けた。
「おう。光るものは何でも好きだ。星も月も、な?」
「太陽は? 光ってるだろ?」
「う~ん。太陽も勿論だけどさ、じっと見てられないだろ? 目ん中に残像、残ってさ…」
一際大きな花火が上がって、そちらに目を向ける。
「うわっ、デカ!」
まるでこちらに降ってくる様。俺の喜ぶ様子を、清は笑って見ていた。
そんな清に俺は徐ろに提案する。
「あのさ。今度、
「金星食って、月に金星が近づく、あれか?」
「そう! 望遠鏡も要らないくらいだけどさ。折角だから、何時もの公園でちゃんと見ようかと思ってさ。興味ある?」
「行くよ。あってもなくても」
「うわっ。言い方!」
清は笑う。
「俺は、すばるの誘いなら、何だって行くよ…」
どこか考える様な目付きになって、清は返してきた。
「ふーん…」
俺はそんな清の言葉に照れくささを感じつつも、素直に嬉しかった。
思いっきり祭りを楽しんだ、その帰り道。
三人いた内の一人の女子が、俺の服の袖を引いてきた。傍らにいた清も、勿論気がつく。
うつむき加減の女の子の頬は赤い。参加した中で、一番大人しく控えめな子だった。
長めの髪が、恥ずかしそうにうつ向く頬を隠す。
──あぁ、またかぁ…。
これは、清の友人として傍らに立つようになって、すっかりなじみのパターンと化していた。
この後続くのは──。
『清くんと、話したいんだけど…』
──だ。
俺は快く清とのつなぎ役を果たす。どうも俺は話しかけ易いらしく、いつも、その隣にいる為、必然的にそうなるのだ。
けれど、女の子に呼ばれて、俺の傍らを離れた清は、なぜかいつもその場ですっぱり断って、俺の隣に戻ってくる。
それは、どんなに美人でも可愛い子でも、揺らがない。
おかしいだろ? と言ったことはあるが、清は『知らない人とは付き合えない』と、きっぱり口にした。
いや。みんな初めはそうだろう?
だいたい、好みの子を見つけて、どんな子か知る為に付き合って。上手く行けばそのまま付き合うし、駄目なら別れるし。
そう言うもんだろ?
けれど、清は。
『知りたいと思わないから』
真っ直ぐ俺の目を見て、そう答えた。
強い意思のある、大人びた眼差し。その瞳にひたと見つめられ、一瞬、ドキリとする。
清は小さい頃、虚弱体質で入院を余儀なくされた時期があった。
その所為で、実は高校を一年、留年している。本当は一コ上なのだけれど、学年は同じで。
時折、こうした大人びた視線に、ひとつ上の差を感じさせる。
告白してくる女の子に対して、そんなやり取りがままあって。
それ以降、清との引き継ぎ役を頼まれる度、気が引ける。答えは決まっているのだから。
「ハイハイ、清だろ? ちょっと待ってね──」
今日も八百屋の旦那よろしく、威勢良く傍らの清に声をかけようとすれば。
「違うの! 話したいのは、──すばる君の、ほう…」
最後は消え入る様な声で。
「お、俺?!」
思わず声がひっくり返ってしまった。
新たなパターン。
その後、俺は人気のない所へ引っ張って行かれ、いわゆる告白を受けた。
それを、清は少し離れた所でずっと見つめていて。
その刺さるような視線を頬に感じつつ。
俺はしどろもどろになりながらも、何とか初めての告白を乗り越えたのだった。
答え終わって戻ってくると、清はかなり不機嫌そうだった。俺は構わず、
「な? 俺がどう返事したか、聞きたくねぇ?」
ニヤニヤ笑いを浮かべる俺を、清はじろりと睨み返すと。
「聞きたくない」
フン、と聞こえてきそうなくらい顔を背け、そのまま突然、走り去ってしまったのだった。
「清?」
呼び止めても、一度も振り返らなかった。
+++
そして、今。
俺はこうして、清の部屋を恐る恐る訪れたのだった。
「なあ、どうしたんだよ?」
清は俺の問いに、ピクリとも動かない。
そっと近づいて、畳の上に膝を付くと、その肩に手をかけた。薄いブルーのシャツ越しに、清の息づかいを感じる。
「清、俺何かしたか? ・・・悪いことしたなら謝る」
シュンとしながらそう言えば。
「・・・すばるは、──悪くない」
「清?」
「悪いのは・・・、俺のほう」
「何で? 清、何かしたか?」
すると、こちらに背を向けたまま清はクスリと笑った。
「・・・すっごい悪いよ。俺──」
どうして──?
そう問いかけようとした俺の手を、起き上がった清が、振り向き様いきなりつかんできた。
そのまま引かれ、気がつけば清が俺の上に覆い被さっている。
「・・・清?」
ゴロンと畳の上に転がって、暗がりで表情の見えない清を見上げる。清が、つかんだ手に力を込めるのを感じた。
「俺は、さ。いっつもすばるのこと、汚してる・・・」
「はぁ? 何で? 俺、どこも──」
言い終わらないうちに、唇に少しひんやりとした、でも柔らかいものが触れた。
それは、ほんの僅かに触れてすぐ離されたが。
「もう、限界なんだ・・・」
掠れた、切ない声音。
ああ、これって──キス・・・。
ようやく事態を理解して。まだ、唇が触れそうなほど先で、俺を見つめる清。
「って、清・・・?」
カアッと頬が熱くなる。
「好きなんだ。──すばるの事。ずっと、前から──」
もう一度、泣きそうな声と共に降ってきたキスはかなり大人なそれで。
「──っ」
途中、喘ぐように息を付くが、すぐにそれを飲み込まれた。
いつの間にか、頬に添えられた清の掌が、とても熱い。キスだけなのに、身体全体が熱くてたまらない。
苦しくて、清のシャツを掴んでクシャクシャにする。
その清の手が、俺のTシャツの裾を捲り、腹の辺りに触れてくる。熱いその手に、思わず身体を震わした。
その時、ようやく我に返ったのか、清が動きを止めた。身体を覆っていた熱がすっと去っていく。そうして。
「──ごめん・・・」
相変わらず、暗くて清の表情が分からない。
けれど、ぽたりと頬に落とされたものが何かは分かった。ほんのりと温かいそれは。
──泣いて、る・・・?
「・・・ごめん。俺、どうかしてる──! こんな──、ごめん・・・っ!」
離れた清はそのまま、部屋を飛び出して行く。俺はしばらくそのまま、天井の木目を眺めていた。
清のやつ、何処行ったんだ? ここ、あいつの部屋なのに──。
飛び出していくべきは、俺の方だろう。投げ出したままの手首に残る、清の熱。それは、触れられたそこかしこに残る。
「・・・あいつ・・・、俺の事──?」
好き、なんだって──。
それから。
清は俺の傍らに立たなくなった。毎日、顔を会わせない日は無かったのに。
それが、清との関係が一変した始まりだった。
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