第31章: 知っていた
タクはしばらく黙っていた。指は膝の上で軽くリズムを刻み続け、視線は公園の舗道を舞う数枚の枯葉へと向かっていた。
ヒマは言い訳か、またしてものらりくらりとした返事を待っていた。だが彼はついに口を開いた。
「……なんで俺を好きなんだ?」
ヒマは瞬きし、膝の上のぬいぐるみを強く握りしめた。「え?」
タクがゆっくりと彼女を見た。唇の端がかすかに痙攣している。「ユカ先生のことをあれこれ聞く前にさ。逆に聞くぞ」首を傾げながら、「なんで俺なんかを好きなの?」
ヒマの口が開いたが、言葉が出ない。常に何かしら話す彼女が、完全に不意を突かれた瞬間だった。
眉を寄せてベンチの上でそっと体勢を変え、「それは違う――」
「違う?」タクが前のめりになり、肘を膝についた。「俺の視線や行動にやけに敏感だろ? ずいぶんと『気にかけて』くれてるみたいだな」
ヒマはふんっと息を吐き、ぬいぐるみを胸に押し当てた。「核心ずれてるわよ」
「そうかな」タクは肩をすくめた。「でも答えは聞いてないぞ」
ヒマの唇が細い線になる。自分が動揺しているのか、苛立っているのかすら分からなかった。
ゆっくりと息を吐き、彼女はぬいぐるみの耳を弄び始めた。普段なら動じないはずの自分が、タクの逆質問に完全に足元をすくわれていた。
タクの方を見ると、相変わらずの平静な表情。だが瞳の奥に何かが潜んでいて、逃げ場を封じられたような感覚に襲われた。また躱せば、彼は容赦なく追及してくる。
だから――本当のことを話すことにした。
「……この学校に来た初日」普段より小さな声で話し始めた。「クラスの名簿にあなたの名前を見つけたの。ただの他人の名前だったけど……なぜか気になって」軽く笑い、首を振る。「『どんな人なんだろう』って」
タクは眉を上げたが、口を挟まない。
ヒマは白いぬいぐるみをきつく抱きしめ、視線を地面に落とした。「でも実際会ってみたら……想像とぜんぜん違った」かすかな微笑。「クールぶったり、目立とうとしない。ただ……等身大のあなたで」
タクは瞬きし、わずかに動揺した。「それだけ?」
「それだけよ」ヒマが彼を見た。表情が柔らかくなっている。「頭もいいし、話しやすくて……」少し悪戯っぽく笑った。「単純な人だから」
タクは小さく笑い、首を振った。「それで人を好きになるのか?」
「私の好みなの」ヒマは肩をすくめた。
タクは深い息を吐き、ベンチに背中を預けた。「……へえ」
二人の間に沈黙が流れ、葉ずれの音だけが響く。
ヒマが首を傾げた。「驚いた?」
タクはゆっくりと息を吐き、表情を読めないまま。「まあな」
「派手な男の子が好みだと思ってた?」ヒマが嘲るように笑った。
彼はすぐには答えず、空を見上げた。「……さあな。まさか俺にそこまで興味持ってるとは」
「持ってるわよ」ヒマの笑い声が小さく響く。
再び訪れた沈黙は、今度は重かった。気まずさではなく――言葉にならない何かが充満していた。
やがてヒマの声が低く、真剣さを帯びる。「……あなたは?」
タクが視線を向ける。「俺は?」
「また煙に巻こうとして」ヒマはぬいぐるみを握りしめた。「ユカ先生への想いは尊敬だけなの? それとも――」
タクは答えを知っていた。彼女を傷つけずに誤魔化すこともできた。だがヒマの瞳は、もうすべてを見透かしていた。
「……先生は尊敬する人だ」ようやく言葉を絞り出した。「必要な時にいつもいてくれた」
ヒマの視線が鋭く迫る。
タクはため息をついた。「でもそれは――」
「『違う』って言いたいの?」ヒマが割り込んだ。「好きじゃない? それとも……」
沈黙が答えだった。
ヒマは鼻息を漏らし、空を見上げた。「……初めてあなたたちを見た日、もう付き合ってるのかと錯覚したわ」
タクの眉がわずかに動く。
「屋上階段でのこと。まるで世界があなたたちだけみたいに並んで立ってた」ヒマがベンチに肘をつき、「修学旅行も……その後も、どこであってもあなたは必ず彼女の隣にいる」視線をタクに戻す。「尊敬だけじゃ説明つかないわ」
タクは黙った。初めて言葉を失っていた。
ベンチから立ち上がると、黒い小さなぬいぐるみを手に取った。「……これ、ありがとな」感情を殺した声。「貰っとくよ」
ヒマは無表情で彼を見つめた。「それだけ?」
タクはポケットにぬいぐるみをしまい、手を突っ込んだ。「ああ」
「私の気持ちに……何も感じない?」ヒマが前のめりになる。
彼は一瞬視線を交わし、肩をすくめた。「何を言えばいいか分からん」
「……そうね」ヒマは諦めたように息を吐いた。
短い沈黙の後、タクは背を向けた。「またな、ヒマ」
彼女は止めなかった。ポケットに隠された黒いぬいぐるみを抱えたタクの背中を見送る。
ヒマは深く息を吐き、膝の上の白いぬいぐるみを見下ろした。柔らかな布地を指でなぞりながら――ふとスマホを取り出した。
メモアプリを開き、文字を打ち始める。
「最初から分かっていた。彼が私をそんな風に見るはずないって。でも、それでも期待しちゃったんだよね」
画面をじっと見つめ、胸が締め付けられる。
「拒まれたわけじゃない。でも……そう思えた」
指が止まり、再び動く。
「もし私が最初に出会ってたら。もし私が別人だったら。もし私が――」
文を消し、書き直す。
「後悔はない。ただ……こんなに苦しいのは嫌だ」
スマホをベンチに置き、小さな縫い目の笑顔をしたぬいぐるみを見上げる。ヒマも弱々しく笑いかけたが、瞳は笑っていなかった。
ぬいぐるみを胸に抱きしめ、その柔らかさに安らぎを求めるように。
公園は変わらず、風は葉を揺らし、遠くで子供たちの笑い声がし、老夫婦がゆっくり歩いていた。
でも――彼女の世界だけが、重たく澱んでいた。
顎をぬいぐるみに乗せ、地面を見つめる。
「知るべきだった」
側にいられればそれでいい――何度も自分に言い聞かせてきた。だが本音を口にした今、痛みを誤魔化せない。
耳の縫い目を撫でながら呟く。
「タクくん、バカ」
でも本当のバカは自分かもしれない。
小さなため息と共に立ち上がり、隣の空いたスペースを見つめる。ぬいぐるみを胸に押し当て、その場を後にするのだった。
継続すること。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます