第47話 自称ロミオに執着されてます。(19)兄編

「今日はみんなに報告する事がある」

 

 父がおもむろにそう言った。家長の言葉に、背筋を伸ばす。朱里は半ば忘れかけていたが、そうだ。今日はそれが目的で家族全員揃ったのだ。

 

「イギリスのミオくんが、4月からこっちの大学に半年間留学するそうだ」


 ──ジュリ。


 笑顔で名前を呼ぶミオの事が浮かんだ。

 

「ミオくん……」


 思わず名前を小さく口にする。一緒にピアノを弾いた事以外の事を思い出そうとして、眉間に皺がよる。瞬間頭がもやがかかったように、ぼんやりする。

 埃っぽさを伴った古書の匂いを感じたかと思えば、それが塩辛くも甘い香りに変わる。浜辺の香りだ。

 朱里は父をじっと見た。藍色に混じる本当にわずかな赤との境目が紫がかっている。

 あの時、朱里は右手で大きな手を握って、父を見上げていた。

 でも、左手で握っていたのは、誰の手だったんだろう。

 

「そこで、その間はうちの母屋から通ってもらうことになった」

「な、父さん……!」


 隣の琉斗が声を上げて立ち上がったので、思わず肩が跳ねる。

 

「ミオくんも過ごした事のある場所から通った方が、慣れるのも早いだろう?なぁ幸子」

「え?……えぇ。確かミオくんは朱里の2歳上でしたっけ」

「そうだ、今年で23歳だな。去年大学を卒業して時の写真が……これだ」

 

 父が母に携帯の画面を見せた。

 

「まぁ、かっこいい!朱里、あなたミオくんと仲良かったじゃない!恋人になれるかもしれないわよ」

「え……」


 母に期待の眼差しを向けられて、朱里は戸惑った。

 他人や、家族の内情を否が応でも知ってしまう彼女に取って、恋愛は1番遠ざけたい事だった。

 

「母さん、いい加減にしてください。父さんも、あいつのせいで朱里が倒れたって事、覚えてないんですか?」


 琉斗は両親を睨みつけてそう言い放った。とても怒っている。琉斗は最初からミオの事が気に入らなかったように思う。


 「医者も熱中症と言っていただろう」と兄を宥めようとする両親の声を聞きながら、朱里はにわかに緊張した。

 ミオ君が、また家にやってくる──。今度はあの頃違って、拙いけれど英語で話ができる。そう思うと、自然胸が高鳴った。彼の写真は、見ないことにした。実際に会って、今のミオの事を知りたかった。


 部屋に戻ってから携帯をいじっていると、部屋の戸が叩かれた。


「はーい。あれ」

 

 扉を開ければ、着た琉斗が立っていた。茶色い革のジャケットを着ている。

 

「お兄ちゃん泊まっていかないの?」

「あぁ、帰る」


 その言葉に朱里は少し俯いた。お正月ぐらいしか、琉斗は泊まって行かない。ちなみにこの間の年末は一緒に、オンラインゲームをして年明けをした。朱里はオンラインでのRPGなどやった事がなかったから、何度も死んでしまい。最終的に彼の肩に寄り添って寝落ちするまで、ずっと琉斗がプレイするのを見ていた。目覚めた時には自分のベッドだったから、彼が運んでくれたらしかった。

 本当に、昔から朱里は琉斗に甘え通しだった。18の冬にピアスを開けた時だってそうだ。

 

 朱里は日曜日琉斗がお昼ご飯を食べ終えた頃合いで、母屋に向かった。稽古部屋の襖をそっと開けて覗くと、琉斗が着物姿で本を読んでいた。師範である父はいなかった。

 今がチャンスだ──。そうほくそ笑むと、朱里は襖を勢いよく開けた。

 

「お兄ちゃん、ピアス開けて」

「……はぁ?」


 開口一番そう言われ、彼は本を畳に落とした。

「似合ってないのなんでだ。それにピアスなんて、まだ早いだろ」


 拾いながら面倒そうに答える。時々琉斗は兄というよりかは父親っぽい。


「みんな進路決まったから、開け初めてるんだって。……琉兄だって、17の時にはもう自分で開けてたくせに」

「そうだったか?」

「聞いたら言ってたじゃん、自分で」


 ピアッサーを持って彼の前に座れば、顔を背けられた。


「それはいいとして。なんで俺なんだ。医者に頼め」

「病院行くの、やだ。……風邪だって流行ってるし」


 朱里は昔から病院と名のつく場所の、特有の匂いが苦手だった。


「つべこべ言わずにいけ」

「1人で行くのやだ」

「じゃぁ連れ添ってやるから」

「怖いからやだ」

「なら開けるな」

「やだ、開けたい」


 朱里は基本、誰の前であれいい子で聞き分けがいい。けれど唯一琉斗に対してだけは、わがままな時がある。

 裏を返せば、本当の意味で朱里が心を許しているのは、両親でも、友達でもなく、兄である彼だけなのだ。


「琉斗に、開けてほしいの」


 その言葉に琉斗目を閉じて、ため息をついた。そして立ち上がって襖を開けた。


「どこいくの?」

「手、洗ってくる」


 その言葉に、彼女は灰色の瞳を輝かせた。

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