第36話 自称ロミオに執着されてます。(10)後輩君編

「先輩、何かありました?」


 普段着に着替え終えて、朱里が靴を履いていると、先に道場の外に出ていた晴樹がそう声をかけた。結局その後も、朱里は四射射ったが、三射落とした。


「ううん?ちょっと今日は調子悪かったかな」


 その問いに、下を向いてつま先を突きながら答えた。まっすぐ向けられたその目を、受け止めることができなかった。

 晴樹と他愛のない話をしながら、駅までの道のりを歩く。晴樹は駅近くのアパートで1人暮らしをしている。図書館でのアルバイトの他に、コンビニでも働いており、この後もシフトが入っていると言っていた。生活費は仕送りしてもらっているが、趣味のオンラインゲームに結構お金がかかるらしい。


「あ、そうだはるき君。明日のバイトなんだけど、私休むね」

「え、何か用事ですか?」

「そう、でも大したことではないんだけど。久しぶりに家族で食事するから。お母さんとも、兄さんとも」

「そう、なんですね」


 ずっと横にいる朱里の顔を見ながら朗らかに話していた彼の顔が、一瞬冷たく陰ったように見えてた。その表情を朱里は不思議な心地で見つめていた。何か嫌な事でも思い出したのだろうか。すると晴樹は茶色の目を見開いたかと思うと、そうだ、と独り言を言った。そして朱里の方を向いて、今度は真剣な顔をした。


「朱里先輩、お願いがあるんですけど。実は俺、今度竹弓買おうかと思いまして」

「え、そうなんだ。はるき君、アルバイト頑張ってるもんね」

「はい。でもやっぱ高いから、自分で買うのちょっと不安で。朱里先輩、高校の時から竹弓使ってますよね?一緒に付いてきてもらってもいいですか?」


 晴樹は心底困った表情で、朱里を覗き込むようにして顔を傾けた。

 今、晴樹はカーボン製の弓を使っていたはずだ。カーボン製の弓が5万円前後なのに比べ、竹弓は軽く10万を超える。現在、部内で竹弓を所有しているのは朱里と主将だけだ。ちなにに朱里の竹弓は15万円した。

 晴樹のお願いに、朱里は少し困った顔をした。

 竹弓の魅力は伸縮性を活かした、強い矢を打てる所だ。一方愛着が持てる反面、メンテナンスはそれなりに大変になる。


「私がアドバイスしてはるき君の力になるかは……。実力も上だし。そもそも女だと男とは弓の引き感も違うし。やっぱり男同士の方が」


 朱里は顎に手を当てながらぶつぶつ言い始めた。高額で扱いも難しいので、自分がアドバイスしていいものなのか、と考えていた。


「ははっ」


 すると晴樹が息を漏らすようにして笑った。

 それから、優しげでやや切なそうな顔でこう懇願してきた。


「朱里先輩と、選びたいんです。だめ……ですか?」


 朱里は目を見開いた。それは彼の本心であるようだった。

 学生弓道界のエースである晴樹に、ここまで頼りにされているという事実が、嬉しかった。

 それと同時に、無性に恥ずかしさが押し寄せた。


「うん、わかった。私に力になれれば」

「本当ですか!?ありがとうございます!」

「わっ!」


 感極まったのか、両手を握られ礼を言われた。その行動に、朱里はぎこちなく笑う。

 これは誰にでも人懐っこくて、愛想のいい、はるき君がやっている事だから──。別段、意味はないのだろう。

 普段異性に対して警戒心の強いはずの朱里が、完全に晴樹のペースに巻き込まれていた。

 思い返すと、あの時もそうだった。

 

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