自称ロミオに執着されてます。 後輩君編
第29話 自称ロミオに執着されてます。(3)後輩君編
明修大学2年生の栄藤朱里は、その日玄関で靴を履いて外に出る時点から憂鬱だった。季節は2月。大学はすでに春休みだったが、弓道部の練習と学内の図書館でのアルバイトがあるため、朱里は変わらず大学に通っていた。
正確には朝、父親であり江戸時代から続く香道の家元である寿雄と朝食をとっていた時点から、そうだった。ちなみに、母はいなかった。母は紀平香道の経営で忙しく、月の半分も家にはいない。
「食事?」
「あぁ。明日久しぶりに4人で食べよう。話したいことがある。母さんにはもう伝えてあるから。松江さん、明日はすき焼きでお願いします」
「はい、かしこまりました」
松江さん、とは栄藤家の家政婦である。住み込んではいないが、徒歩10分圏内の場所に住んでおり、朝昼晩の食事の他、家事の一切を行っている。彼女はそれこそ朱里が物心つく時より前からずっと働いているが、歳がよくわからない。50代といえばそう見えるし、30代といえばそうとも見える。
「それって何時から?」
「ん?2人には18時前ぐらいにって話してあるな」
「……お父さん、明日、私アルバイトあるんだけど」
なんでそういうことを前日に言うんだろう──。香道の稽古時は厳格で作法に厳しい父だが、普段は飄々としていて、抜けたところがある。朱里は大学内の図書館でアルバイトをしている。明日は14時から17時半までシフトが入っていた。18時には間に合わない。
「……遅れてもいい?」
「ん?そうなのか?遅れるのは、だめだな。春休みだし、そんなに利用する人いないだろう?休みをもらいなさい」
その言葉に朱里は箸を止めた。だめ元で聞いたがやはりだめかと思う。理由は知れている。朱里の兄である琉斗と、母は仲が悪いからだ。正確に言えば、母は兄のことを昔から溺愛しているが、琉斗はひどく毛嫌いしているようだった。
丁度、母方の祖母の葬儀の翌日からだ。それまでも、親に対しては何処か素っ気なかった琉斗が、完全に敬語を使うようになったのは。当時、琉斗は13歳で、朱里は9歳だった。まるで、赤の他人みたいに。そうして彼は寮のある高等専門学校に入学すると、家に寄り付かなくなった。
正確に言えば、”離れの家“に来なくなった。栄藤家の敷地内には、香道の稽古場であり、普段父が生活している日本家屋の母屋と、蔵を挟んで、母と朱里が生活している一軒家の離れがある。
現時点で瀧由流を継ぐのは琉斗と決まっていた。都内でシステムエンジニアとして働き、1人暮らしをしている琉斗だが、週末は香道の稽古のために"母屋"には来ていた。だけれど、"離れ"には決して来ようとしない。夕飯も、食べないで帰ってしまう。琉斗の態度は徹底していた。
きっと朱里がいないと、父は気まずいのだろう。差し詰め2人の緩衝材としていろ、ということらしい。ため息がつきたくなった。
確かに、始終眉間に皺を寄せて無口な琉斗だが、朱里といる時は表情が穏やかだった。朱里も、琉斗の前では兄妹であるから、何も気を遣わずにいられる。けれどもそうすると、今度は母の方が冷めたような目線を向けてくるのだ。
その視線を受けると、朱里は気まずいようで、悲しいようで。
しかし心の底には嬉しさが滲んだ。
基本自分には無関心な母が、どんな理由であれ自分に目線を向けるのだから。
「春休みでも外部の人が利用するから結構忙しいの。一緒にシフト入ってる子にだって迷惑かけちゃうし……」
朱里はむくれた顔をしながら、そう反論した。
「そうか。でもこっちが優先だ。家庭の事情でって休ませてもらいなさい」
「……分かりました」
そう凄まれて、肩をすくめる。この家で、は当主である父の言う事が“絶対”だった。
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