第21話 魔物、吠える
走る。
俺も、母さんも。
向こうは自転車だし追いつくのは厳しいかと不安だったが、大した速度はでていなかった。
タイヤがパンクしているせいだろう。
母さんもそれに気づき、自転車を捨てて己の足で走る。
「待て!! 止まれ!!」
「はぁ……はぁ……」
やがて人通りの多い駅前付近まで来たところで、母さんが転んだ。
「ぎゃっ!!」
アスファルトに引きずられ、頬から血を流す。
「はぁ、はぁ、久しぶりだな、母さん」
「りっ、りっくん……」
「ずいぶん見違えたな。整形でも失敗したか?」
「あんたね!! あんたが通報したのね!!」
「悪運の強いやつ。お出かけ中だったのかよ」
「何なのよ、何なのよあんたは!! だいたいどうしてここを……サユね!! あのクソガキがあんたに助けを求めたんだ!!」
ついにサユをクソガキ扱いか。
クソガキではあるが、相当母さんに尽くしていたのに。
「長い逃亡生活も終わりだ。この悪魔め」
「だ、誰が悪魔ですって!? 母親に向かって!!」
「母親は息子や娘の人権を蔑ろにしない。己の幸福のための道具にはしない!!」
「黙れ!! 子供の分際で親に逆らうな!! 全部お前が悪いのよ!! 私はただ、ただ恋愛をしていただけなのに。お前があんなことするから!! サユが酷い目に遭ったのも、私がこんな姿になったのも、お前のしょうもない嫉妬心のせいでしょ!?」
「…………」
「なによ、私は誰かを好きになっちゃいけないっていうの? 幸せになっちゃいけないっていうの? 私だって人間なのよ!! 心があるの!! ただ働いてご飯を作るだけのロボットじゃないのよ!! うぅ、うおぉぉぉ……」
化け物が泣き始めた。
悍ましい獣のような嗚咽。
日が暮れたとはいえまだ19時。行き交う人々は怪訝な顔で怪物を素通りしている。
「これだけ、こんなにタケシさんに尽くしてきたのに、それすら台無しにして、なんで私を不幸にしたがるのよ。そんなに私が嫌いなら、さっさと金だけ渡して縁を切ればいいじゃない。なのに、しつこくしつこく……」
「お前なんかにやる金なんか、一円だってない」
「誰がりっくんを育ててやったと思ってるのよ!! あなたを育てるのに、どれだけ金がかかったか理解してる!? そのぶんぐらいよこせって話をしてんのよ!! 私あなたに謝ったわよね? 悪魔はあんたの方よ!!」
ぺらぺらぺらぺらと、この期に及んで。
「……本当はとっくに気づいてるんだろ。ぜんぶ自分が悪いって。だから逃げ続けていたんだ」
「そ、そんなこと……」
「だけど傷つきたくないから、認めたくないから、ぜんぶ他人のせい。なにもかも他人のせい。自分を守るためなら平気で他人を蹴落とす。自分が一番可愛くて、自分さえ良ければどうでもいい。……どうせサユが家出したのだって、サユやタケシのせいにしてんだろ? いい加減自覚しろよ、お前は、クズなんだよ」
「この恩知らずっ!!」
怪物が飛びかかってくる。
反射的に足で蹴飛ばしてしまう。
「うぎゃっ!!」
「あんた俺が小さい時に教えてくれたよな? 悪いことしたらごめんなさいするって。あんたはどうなんだよ。心から誰かに謝ったことがあるのかよ!!」
「わ、私は悪くない!! 悪いのはお前やサユなのよ!! 私に寂しい思いをさせた連中なのよ!! そ、それに元はと言えば真壁くんが……そうよ、真壁くんが私を口説いたりしたからいけないのよ。真壁くんのせいでサユだって不幸になった。怒るならあいつに怒ってよ!! 私に怒鳴るのは筋違いでしょう!?」
「お前のようなカスが筋を語るな」
「くっ!! うるさいうるさいうるさい!! お前なんか産んだのが間違いだった。死ね!! 死ねよ!! 私の人生を返せ!! お前が私に謝れよ!!」
「このっ!!」
タクシーのなかで多少は冷めた精神がまた高ぶった。
ここまで言っても、こんな状況に陥っても、まだ自分の立場を理解できないのか。
村野もサユも謝った。
追い詰められ、俺に対し心の底から謝りはした。
あの真壁ですら、最後は己の過ちを認めたのだ。
なのにこいつは、こいつだけは……。
さっき拾った石はない。走っている最中に落としてしまった。
だけど俺には腕がある。首を絞めて殺してやる。
殺して……。
「藤井くん!!」
花咲さんの声がした。
振り返れば、いるはずのない彼女が、確かに眼前にいた。
どうしてここに?
追いかけてきたにしても、道は渋滞していたし……。
そうか、電車か。
ここは駅の近く。きっと花咲さんも気になって電車でアパートに向かおうとしたんだ。
そして偶然にもこの場に、鉢合わせた。
花咲さんは瞬時に状況を理解したようで、物悲しげに俺を見つめた。
「花咲さん……」
必死な顔で、彼女が告げる。
「やめて、藤井くん」
「だけどこいつは!!」
「私は、藤井くんに協力したおかげで、母親への恨みを忘れられるようになったんだよ。お互い新しい人生を楽しもうよ。私、藤井くんと温泉旅行がしたいよ」
「…………」
「藤井くんの運転するバイクの後ろに乗って、遠くにいきたい」
「俺は……」
俺には、未来がある。
おじいちゃんは、宝くじの15億は神からのご褒美だと祝福してくれた。
村野の父がそうであるように、俺の父さんも俺が健やかに生きることを望んでいるのかもしれない。
対して、眼の前のモンスターはどうだ。
集まってきた野次馬の視線を恐れて、額を地面に擦り付けるように蹲っている。
「見ないで!! 私を見ないで!! 私は、私は誰も傷つけてない!! 私は被害者!! みんな勝手に不幸になっただけなのよ!! 私はなにもしていないのよぉおお!!!!」
こいつには、未来などない。
もはや社会的には死んでいるのだ。
花咲さんが俺の手を握る。
まっすぐ、俺を見つめる。
あぁ、わかったよ。
「母さん」
「?」
「俺、まだ口座に13億近く残ってるんだ」
「まさか、くれるの?」
「母さんは今後臭くて冷めた飯しか食えないだろうけど、俺は違う。母さんをブタ箱にぶち込んだら都内の高級焼肉店に行くよ。行きたいとこ行って、良い家に住んで、足が伸ばせる広いお風呂に入って、好きな漫画やゲームを楽しんで……母さんが望んでも手に入らない生活をしてやるよ」
「…………」
「髪も染めてみようかな。今のスキンヘッドになった母さんと違って髪ふさふさだし。あ、脱毛もしよう。汚い落書きだらけの母さんと違って綺麗な肌だし。俺も試しにホストに行ってみようかな。男でも楽しめるんだろ? あそこって。母さんと違って金持ちだから、きっと歓迎されるよ。ていうか母さん、どうせホストからも対して相手にされてなかったんでしょ?」
「り、りく……」
「母さん、本当に本当に、俺を産んでくれてありがとう。母さんの代わりに幸せになるから、母さんは安心して社会のゴミクズにふさわしい人生を送ってくれ。そして最後にーー」
すぅ、と大きく息を吸う。
これで最後だ。
「てめぇに幸福になる権利なんかねぇんだよ。独り寂しく野垂れ死にやがれ、このハゲババア!!」
「うわああああああああ!!!!!!」
母さんが俺に背を向けて走りだす。
ギャラリーをかき分け逃げだす。
まだ逃げるのか、凝りないやつだ。
そして母さんは大通りを突っ切ろうとして、
「あ」
車に跳ねられた。
車は直前でブレーキをかけて減速していたとはいえ、衝撃は凄まじいものだろう。
「あ……あが……かっ……」
すげぇな、意識があるよ。
血も出てないし、まさにゴキブリ並の生命力だ。
ギャラリーが不謹慎にもスマホで撮影している。
その内の一人が救急車を呼んだ。
いっそこれで死んだほうが本人のためだろうが、助かる予感がするな。
ていうかこんな簡単にしなれては困る。閻魔大王だって会いたくないだろうぜ、こんなクズ。
はぁ、とため息と共に力が抜けていく。
終わった。これで全員。
俺を地獄に叩き落としたクズ共を、成敗できた。
「花咲さん、サユと母さんの分、合わせて2000万円振り込んどくよ」
「……うん」
「あれ? もう報酬はいらないとか言ってなかった?」
「うーん。貰えるもんは貰っとく主義」
「なんだそりゃ」
「あはは」
彼女と手を繋ぐ。
ピタッと、俺に体を寄せてきた。
肩と肩がくっつく。
「妹ちゃん、どうするの?」
「そうだなぁ……」
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※あとがき
ドラレコ搭載車かつ法定速度を守っていた車なので、飛び出してきた母側が100%悪いです。
だけど大事な車がヘコんだりしてたらかわいそう。
最後の最後まで迷惑なやつでした。
応援よろしくお願いしますっ!!
あと2話で終わり、かなぁ。
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