第2話 夢を見ました

 素敵な上司は、部下とのコミュニケーションを、大切にするマメな人でもありました。

 廊下ですれ違うと時に、人がいなければ、さりげなく肩をポンとしてくれたりします。


 一度手をにぎられながら、「君は立派な仕事が出来る、綺麗で素晴らしい女性だ。 これからも私の事を助けて欲しい」と言われた事もあります。


 私は〈ぽーっ〉とのぼせて、その日は仕事になりませんでした。


 何回か私も、飲み会に誘われたのですが、子供の事もありことわっていました。

 仕事終わりに、嬉しそうにしている同僚を見て、悔しい思いになりました、「良いな」私も行きたいよ。


 私が家で「ふぅ」と溜息を吐くと、〈夫〉が話かけてきました、私の事を心配したのでしょう。


 「溜息なんか吐いて、どうしたんだ。 会社で嫌なことでもあったのかい」


 「嫌なことはないけど、皆が飲み会に行くのがうらやましいんだよ」


 「そっか。ママも息抜きが必要だな。 仕事の都合をつけるから、今度いってきなよ」


 「えっ、良いの。 パパありがとう」


 私は嬉しくて、思わず〈夫〉に抱き着いてしまいました。

 まるでおねだりをかなえてもらった、うふふっ、娘のようだわ。


 それと〈夫〉に抱き着いたのは、何年振りだろう、気持ちが悪い〈夫〉に触れさすほどのパワーを、上司は持っているんだわ。


 すごいよ。


 その夜私は、〈夫〉の横で眠りながら、上司に抱かれる夢を見ました。

 彼はとても優しいのに、とても強引で、とても強いのです。


 私はメロメロにされてしまい、「好きよ」「キスして」「愛してる」「もっと」と、夢の中でうわ言のように叫んだのです。

 それほどまでに私は、上司に恋していたのでしょう、飲み会に期待していたのでしょう。


 股間がおらしをしたようになったのは、初めての経験です。

 私はお布団の上で、しばらく陶然とうぜんとしていましたが、〈夫〉の顔を見たらゲンナリです。


 見なければ、もう少しひたっていられたのに、大変な失敗をしました。

 「はぁ」と大きな溜息が出るのは、しょうがありません。



 一週間後、上司が主催する飲み会へ、私は元気良く「参加します」と声をあげました。

 上司がニコッと笑ってくれましたので、もう胸はキュンキュンです。


 朝早く起きて、私は身支度みじたくを入念にしています、恋していますので当然ですよね。

 お化粧は飲み会へ行く前に直すとしても、念入りにしておこう、一緒に歩くのが恥ずかしいと思われたら、死んじゃうよ。


 下着は秘蔵しておいた、豪華な薔薇の刺繍のものしよう、ふふっ、万が一まんがいちがあるかも。

 もうかないから、良い機会でもあるね。


 口紅はどうしよう、あれだ、深い〈薔薇色〉で綺麗なものがあったな、大人っぽくて良いと思う。

 出産の記念に、〈夫〉が買ってくれたブランド品だ、すごく嬉しくて私はキスしたんだっけ。


 想い出のプレゼントだけど、浮気や不倫をする訳じゃないから、平気だよね。

 妻が片想いで、リフレッシュ出来るのだから、お安いものよ。

 このくらいのことで、文句は言わせないわ、恋しい人と少し飲んで、ほんのわずかなときめきを味わうだけだわ。


 黙っていれば、片想いはしていないと同じだもの、中学時代の純なものと差は何も無いはず。


 飲み会には、友人の〈はるか〉を含めて五人程度の人数だった。

 会社は女性の方が多いのだけど、それにしても、女性が多いな。


 男性は上司直属の部下が、一人いるだけだ、それも楽しそうじゃない。

 ブスッとした顔で、手酌てしゃくで飲んでいる、嫌なら、こなくて良いのに。


 上司は入れ替わり立ち代わり、女性職員にお酌をされているわ。

 もちろん私も何回かがせてもらった、「美味しい」と言われて、心が舞い上がってしまう。


 お酒じゃなくて、上司に酔ってしまいそう、いいえ、もう私は恋に酔っているわ。

 私は上司の顔を見詰めながら、ぽっとほほを赤らめていたと思う。


 そんな時、驚くような夢みたいなことが、私の身に起こったの。

 上司がテーブルの下で、私の手を握ってきたんだ。

 私はもうパニック寸前よ、真っ赤な顔でうつむいてしまってた。

 胸がドキドキして止まらない、まるで女子中学生のようだ。


 だけど私の体はもう大人の女だ、恋がかなうと分かって、体が反応しているわ。

 ジュンと濡れてきちゃう、胸も心なしか張ってくるような気がする

 上司を受け入れる気に、もうなってしまっているんだ。


 〈夫〉の事は、頭の片隅にも無かった、ただただ上司を感じていたと思う。


 上司は私に、箸袋はしぶくろに書いたメモを渡してくれた。

 私のうずきはさらにひどくなり、上司の唇を見詰めていたはずだ、それが私に喜びを与えてくれるのを予感して。


 〈三十分後、この先にある赤いネオンの近くで、待っていて欲しい。 素敵な夜を二人ですごそう〉


 赤いネオンの先は、ホテル街へと続いている、もう片想いじゃなくなった。


 飲み会が終わった後、私はどう三十分を潰したのか、覚えていない。

 フアフアした頭になっていたので、何も考えていなかったのだろう。


 約束通り上司が来てくれたので、私は小躍こおどりしてしまった、本当に跳び上がってしまったかも知れない。

 恥ずかしいけど、それほど嬉しかったんだ。


 上司は私の腰を抱いて、体を私へ密着させてきた、少しも嫌じゃない。

 お尻も触られたけど、少しも嫌じゃない。


 もっと触って欲しいと、私はお尻を上司に密着させていたわ。

 路上だけどキスされたら、私は喜んで応えていただろう。

 これから、上司に愛される事しか、考えていなかったんだ。


 れるほど濡れている、私はまだ女なんだ、それがとても嬉しい。


 「えっ」


 通りの向こう側の、それもかなり遠くの方に、男性と小さな子供が見えた。


 私は反射的に、上司から体を離した、けれど見られてしまったと思う。

 体が冷たくなり 今は冷や汗ひやあせが垂れてくる。


 人通りが少なくなった、通りの向こう側に見えるのは。

 間違いなく、〈夫〉と私の子供だ。


 薄暗くてまだ遠いけど、私には分かってしまう、家族だから何かでつながっているのだろう。


 〈夫〉が怒っているのも分かってしまう、悲しそうな顔もしている。


 私はもうパニックだ、〈どうして〉〈どうして〉〈どうして〉と頭の中で、言葉が飛び回って混乱するしかない。

 浮気現場をよりによって、〈夫〉に見られてしまったんだ、ヤバイどころじゃない。


 どうしたらいいの。


 なぜ、ここにいるのよ。


 私は自分勝手な怒りにもおそわれる。


 上司との恋を邪魔されたから、それもあると思う。

 浮気じゃないと弁明する必要があるから、苦しい言い訳になってしまうわ。


 だけど一番腹が立つのは、子供に浮気するところを見られた事だ。

 まだ幼いから、ママが何をしているのか理解出来ないだろうけど。


 パパ以外の男に腰を抱かれて、お尻を触らせていたんだ、いやらしい女の顔を見せたのが、どうしようもなく辛くて悲しい。


 「どうして子供を連れてくるのよ」

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