新城一味 〜油断大敵編〜

 日差しが少しずつ強くなり始めた、正午前の街角。

 町の通りを歩く人々の笑い声や、自転車のベルの音が微かに響いてくる。

 ここ桑折ベーカリーには虎道たち幼馴染四人と、他に数名の学生らしき客の姿があった。

 壁に掛けられた時計が十一時を指すのを確認すると、翠鳥は軽く息をつきながら口を開く。


「もういいわね。本日の営業は終了!」


 軽やかな声とともに翠鳥はテーブルを拭いていた手を止め、軽快な足取りで入り口へ向かい、貼り紙を新しいものに変えてから扉を施錠する。

 店内には幼馴染の面々の他に、彼らと無関係のはずの人間たちも閉じ込められたことになる。

 翠鳥の行動を見た虎道は眉をひそめた。言葉は出ないが、表情には驚きと疑問が浮かんでいる。


「さあ、あんたたち、もういいわよ!」


 その声に応じるように、カウンターの影からは見慣れた二つの顔が飛び出した。


「じゃじゃーんっす! 新城絵馬、登場!」

「灯未ちゃんも登場……。いい加減待ちくたびれたよ」

「お前ら……」


 戸惑う虎道の視線が他の客席に向けられる。

 そこで初めて、見知らぬ━━と思っていた客たちの顔ぶれに強い既視感があるのに気づく。

 その一人一人をじっと見つめるうちに、胸の奥に眠る記憶がざわめいているようだった。


「ほら、あんたたち名乗りを上げなさい!」


 翠鳥がそう促すと、まずは新城家の妹たちが名乗りだす。


「新城卯衣です。お兄ちゃんの妹です」


 虎道の真横にいた卯衣はぺこりと会釈をすると、小さく手を振る。


「新城絵馬です! 同じくとらくんの妹っす!」


 絵馬は何故か少し得意げに胸を張って見せる。


「……新城灯未。兄ちゃんの妹」


 灯未は手をポケットに突っ込んだまま、明後日のほうを見ながらぼそりと呟くように言った。


「あんたたちはしなくていいの!」


 翠鳥が思わず鋭いツッコミを入れると、三人はそれぞれ「えへへ」「えー?」「そりゃそうだ……」と三者三様の反応を見せて、さらに場を騒がせた。


「やっぱり最初は親友のこのオレ、古門竜雅さんからだよな」


 竜雅はどこか芝居がかった仕草で、虎道に向けて親指を立ててみせる。


「あんたももう済ませてるでしょうが!」


 翠鳥は近くにあった丸いトレイを手に取ると、竜雅の頭をゴン! と叩いた。


「愛が痛いよ、みーちゃん……」


 頭を抱えながら痛みに顔をしかめる竜雅に目もくれず、翠鳥は「ほら、早く誰かやんなさい」と冷たく言い放つのだった。


「では、拙者が」


 挙手したのは、肥満体の体型と黒縁の眼鏡が印象的な少年だった。虎道より少し身長は低いが、横幅は一倍半はありそうな程の。

 その上、青を基調とした美少女キャラのフルグラフィックTシャツを着ており、いかにも典型的なオタクだとわかる。


「よりによって、なんであんたからなのよ」

「拙者の扱い、酷くない? ……でござる」

「取ってつけたかのような語尾やめなさい。……まあ、いいわ。ほら」


 そんな漫才のようなやりとりの後、彼は虎道に自己紹介を始めた。


「ご無沙汰でござる、とら吉どの。小学校から級友のいずみ雨季うきでござる。交通事故とはいやはや……。いくら天下無敵のとら吉どのと言えど、油断大敵でござるよ」


 その挨拶を聞いた虎道は、思わず彼のTシャツに目をやる。胸元に描かれた派手なキャラクターに見覚えがあるような気がした。


「……そのTシャツのキャラ、見たことあるような気がする」


 虎道の言葉に、雨季の顔がぱっと明るくなる。


「やや! このTシャツを気にかけるとはさすが我らがリーダーのとら吉どの、お目が高い! これは魔法少女クリスタル☆フロラディアに出てくるエアリスウインドこと、風森かざもり涼葉すずはタンでござる! フロラディアはとら吉どのも愛する鋼鉄戦士の後に放送してるゆえ、記憶に残ってたんでござろうなぁ」

「そんなTシャツ着たままウチに入ってくるんじゃないわよ……。営業妨害で通報してやろうかと思ったわ」


 熱弁を振るう雨季に、翠鳥が呆れたように溜息をつきながら口を挟む。


「放っておいたら長くなるよ」

「そうね、次いきましょ、次」


 灯未の言葉に頷く翠鳥。手をひらひらと振りながら、さっさと話を切り上げるよう促すのだった。


「なら、俺がいくか」


 低めの声で応じたのは、がっしりとした体型に日焼けした肌が特徴的な短髪の少年だった。どこかスポーツマンらしい雰囲気を漂わせている。

 先に挨拶をした雨季の軽妙さとは対照的に、どこか爽やかで落ち着いた雰囲気を漂わせていた。


藤原ふじわら先輩」

「おう、なんだ宮木みやぎ。お前が先にやりたかったのか?」

「いえ。先輩の骨は拾います」

「いや、別に戦いに行くんじゃねぇんだけどな……」


 隣にいた後輩と思わしき少年とのやりとりの後、彼は改めて虎道のほうを見る。


「藤原亥緒いおだ。災難だったな、大将」


 彼は虎道のほうを真っ直ぐ見据えると、少しだけ口元を緩めた。


「学校が一緒なのは中学からだけど、お前や竜とは冠帯トリトンズっていうリトルリーグのチームでプレイしてた時期があるんだ」

「トリトンズ……」


 虎道が小学四年生のときに少しだけ在籍していたという、冠帯区の野球チームだ。どうして野球をしていたのか、それも小学校の部活ではなく区の運営するチームでだったのか。そして、どうしてすぐに辞めてしまったのか。記憶はまだ曖昧な部分も多く、明確には思い出すことが出来ない。

 ただ、新城虎道という人間はズバ抜けた身体能力を持つ反面、とんでもなく不器用だ。経験のないことに挑戦すれば、最初は上手くいかないことが多い。



 当時は投げるフォームはぎこちなく、捕球もままならず、キャッチボールさえまともにこなせなかったことを思い出していた。

 チームメイトやコーチからも足が速いだけとか、パワーが合ってもボールに当たらなきゃ意味がないと笑われたような気がする。


 それでも虎道は、どこまでも真っ直ぐな気質があったのか、一度始めたことを簡単に諦めることはしなかった。

 朝目覚めて、学校の休み時間、放課後。時間が許す限り、毎日ボールをひたすら壁に向かって投げ続けた。

 指の皮が剥けても、腕が動かなくなるまで繰り返し、竜雅や学校の野球部員にコツを聞く毎日。

 また初めこそ上手くいかなくても、一度コツを掴むとその運動神経も相まってとんでもないスピードで技術は向上した。


 その並々ならぬ熱意に、徐々に周囲も応えるようになっていった。

 そうして短期間で投球のコツを掴むと、虎道はエースピッチャーとなり、チームを優勝に導いた。


 目の前の亥緒の顔には、優勝記念の集合写真に写っていた少年の面影が確かにあった。

 そして━━虎道が奪った正投手の座こそ、元はこの少年のものだったのだ。



 虎道がふっ、と口端を上げる。……絵馬や灯未が「あ、笑った」と言っているがそれは気にしない。


「不貞腐れるのは、もうやめたのか?」


 一瞬驚いた表情をした後、亥緒もまた笑ってみせる。

 

「はっ、抜かせ。今じゃ不動のエースだ」


 亥緒は「弱小チームのだけどな」と付け加えると手を差し出し、虎道もそれに応じる。


「思い出してくれたみたいで何よりだ」

「ああ」

「その、なんだ……。……油断大敵だぜ」

「せっかく悪くない流れだったのに、バカが気の利いたことを言おうとしたせいで、前のコメントと被ってる!」

「亥緒どの、拙者まで滑った空気にするのはやめてもらえるでこざるか……?」


 亥緒が最後の言葉を口にした瞬間、翠鳥と雨季がすかさず反応するのだった。


「……まあ、いいわ。ほら、次、次!」


 辺りを少し見回した後、「じゃ、じゃあ、僕が」と控えめに挙手したのは童顔で中性的な雰囲気の大人しそうな少年だった。アクの強い面々に囲まれると個性がないのが個性と言えるような。


「ひ、姫宮ひめみや知勇ちゆうです。先輩と同じ写真部の後輩です」


 彼は言葉を紡ぎながら、視線を何度も泳がせていた。どうやら緊張しているらしい。細い肩が少し震えているのを、虎道は目敏く気づいた。


 そんな彼の羞恥を助長するかのように、外野は「ちゆちゃん、がんばっす!」「女装させたい」「たまらん」とやたら煩かった。


「その、先輩にはお世話になってます。写真部でも、いつも親身になってくださって、先輩の撮る写真は斬新で力強くて、本当に憧れてて……。その、あの……。す、すみません、別に僕が記憶喪失になってるわけじゃないのに……。先輩にとって今が初対面みたいなものかと思ったら、何だか初めて会ったときみたいに緊張しちゃって……」


 言葉を探すように視線を伏せる知勇。その耳元はじんわり赤くなっている。

 まるで出会ったばかりの頃の卯衣を連想させるような、小動物のような仕草が庇護欲を掻き立てる。


 虎道は知勇の前に立つと、彼の頭をポン、ポンと優しく叩いた。


「あ、頭ポン……!」

 

 まだ紹介を済ませていない女子のひとりがそれに強く反応する。


「いいなぁ……」


 卯衣も二人のやりとりを見ながら頬を膨らませている。


「…………」


 虎道はそれらの反応をすべて無視することに決め込んだ。


「ちゃんとお前のこともわかるぞ、知勇」

「せ、先輩……」

「ああ」

「あ、あの……」

「おう」

「えーっと……。……油断、したら、駄目です……よ?」

「…………」

「思いっきり前の二人に引っ張られてるじゃないの!」


 虎道は言葉を失い、翠鳥は頭を抱える仕草を見せていた。

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