第3話

 依存しすぎるのがおろかであるならば依存しないというのもおろかであると人は言う。口々に言うことになる。すべてをゆだねてしまえば楽になれるというのに、社会に投げ出してしまえば、社会に依存してしまえば楽になれるのというのに、と口は身勝手にも語る。その身勝手さに身を投げ出すことができるのであれば、社会適合性に問題はないのだろう。貴文がそういったことができる男ではない。

 いまだに元恋人の死を一流の顔をして傷んでいるような男だ。死んでいるとも決まっていないのに、その死に感化されて浸りきって死んでしまいそうで、それでも死ねずにいるような軟弱な男だ。それがどうして何もかもを空っぽにしてすべてをゆだねてしまえるというのだろう。ゆだね方すら忘れて己の殻の中で反芻のように自傷の追憶を繰り返しているのに。

 

 しかし、社会は傲慢にも知っているような顔をしていた。本当に必要で効果的な処置かという点はともかくとして、こういう男に必要な処置は、無理やりにでも外の刺激を与えることであるということにしていた。それからわずかばかりの幸せを感じさせること、とも追記していた。そういったわけで貴文に与えられるのはより死に近いような精神性の人間との接触機会だった。

 何もこれは貴文の益のためだけではない。貴文には一つ期待されていることがあった。期待というには軽すぎるかもしれないが、貴文という人間は決して人の死を肯定しないという強さがあった。それはとりもなおさず自分の死であるからだ。

 他者境界線の緩さという表現を妥当と呼ぶことさえできる。人の死を肯定しない強さなどとかっこうよくいうことができるそれは、その実なんらの恰好が付く要素など内包できず、己の死の恐怖心を他人の死からも享受してしまうという弱さの権化だ。ただし、それは死の淵においてあまりにも貴重であった。



 舞台の説明などとうの昔に置いてきてしまったが、ここは江戸だ。スペース・えりきてる・江戸だ。そこに住まうハノン・貴文が貴文の本名であり終生の名でもあった。元服のような改名の機会があるわけでもない、たった一つの貴い文が彼の名前だった。その名に恥じぬだけの生き方ができているかどうかはともかく。

 これは、彼の生き様とそれをわずかばかりと評するべきか、過大にもと評するべきかは判然としないものの、とにもかくにも買った「社会のぜんまい」たちの意図の話、となるのやもしれない。

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