陰陽師の裔

高倉アツシ

第1章 関東御三家

第1話 油瀬美夜子の苦悩

◆◆◆◆


 深夜一時、まがつ虫という巨大なナメクジの形をした妖を二匹討伐した後だった。

 空から雪がちらつき始め、吐いた息が白い。

 冬の夜風は刺すように痛くて、私は巻いていたマフラーを少し持ち上げた。


流石さすが、一瞬でしたね姉様ねえさま(上目)」

 乃愛のあが私の手を取って見上げてくる。

 見れば、乃愛の背後にも黒く焼け焦げたまがつ虫が転がっている。

「無事に終わったわね。悪いけれど、辰次おじい様には乃愛から連絡しておいてくれる? ほら、私はあの人とあんまり仲良くないから……」

「むぅ、姉様と一緒に帰りたかったです(涙)」

「ごめんね。今度池袋で買い物に付き合うから」

 私が宥めるように言うと、そこでようやく乃愛は渋々ながら頷いてくれた。

 私はにっこり笑って乃愛の頭を撫でると、携帯電話の画面を見る。

 母親から『メリークリスマス』のメールの着信が一通あった。

 十二月二十五日。あと六日で二十世紀が終わる。

 ふと、溜め息が零れる。 

 大学生活も残り三か月で終わり。

 嫌だった陰陽師という仕事を辞めて服飾デザイナーの道に進もうとした私を、あの人は否定した。

 元々両親も陰陽師として陰陽寮に勤務しており、私は両親について簡単な仕事を物心ついたときから見ていたから、十二分に知っている。

 陰陽師は簡単に死ぬし、戦って死んでも誰からも感謝されない。

 私は父親が死んでから陰陽師という仕事が嫌いになった。

 そんな私が美術大学に進学するために一人で上京すると言ったときにも、辰次おじい様は陰陽師を続けろと言ってきた。

 なぜ私の人生をおじい様に決められなくてはならないのか。

 学費や生活費を払ううえで、陰陽師としての収入はとても大きかったから簡単な依頼だけ受けては来たが、来年の春からは本格的にデザイナー事務所で働く予定だ。

 それを母親やおじい様に説得しなければいけないのだが、考えるだけで憂鬱になる。

「姉様、悩み事ですか?(心配)」

 乃愛が顔を覗き込んでくる。はっと我に返って首を振る。

「違うわ。もう今年も終わりだなって思って。それより、明後日なら予定空いてるから、乃愛がいいならその日に池袋に行きましょう」

「はい! 乃愛、楽しみにしてます!(喜)」

 嬉しそうに手を振って家路につく。私も笑顔で手を振って見送った後、自身が住んでいる荻窪おぎくぼのアパートに向かって歩く。


 五十五年前の第二次世界大戦後、妖が突如として日本に現れ、次第に人を襲うようになった。

 当時日本を占領していたGHQは銃火器が通用しない化け物を相手に撤退。日本政府は京都にあった陰陽寮を東京に移管し、国中の陰陽師を集めて妖に対抗した。

 何千人もの被害を出しながら陰陽寮は妖を撃退することに成功したものの、妖たちは横悌門おうていもんと呼ばれる洞穴を通って異世界からこの世に現れており、夜になっては街に忍び込んで人を襲い続けている。

 その調査や、そこから出てきた弱い妖の始末が私たち第四階級の陰陽師の仕事だ。

 更に強い妖は第三階級の陰陽師が請け負い、複数の陰陽師を取りまとめて複数の妖と戦う第二階級の陰陽師も世の中にはいる。

 年間百人以上の死者が出る職業で、政府は陰陽師の報酬を高給にしたうえで、更に陰陽師の家系に多額の奨励金を配っている。

 命がけの仕事だから当然なのかもしれないが、お金のために命を投げうったとして、残された家族の気持ちはどうなるのか。

 私は父の遺影を見たとき、悲しみよりも怒りの方が勝っていた。

 私は絶対に陰陽師の仕事は辞める。

 そう決心して、自宅の扉を開けた瞬間、ソレ・・はいた。

 珊瑚礁のようないくつもの枝が伸びている頭が、エビのような甲殻類独特の殻を纏った胴体から伸びている。

 その妖はヒタヒタとタコの足のような触手を動かして私に近づいてくる。

「ちっ!」

 私は腰に差していた特別製の警棒を取り出して、軽く振るう。

 警棒は中に収納していた穂先を伸ばし、一メートルほどの簡易的な槍に変わる。

 禍つ虫を始末したばかりなのに、もう他の妖が出てきているということは、近くに横悌門が発生している可能性が高い。

 おじい様に報告することができてしまい、内心で苛立ちが募る。

「さっさと終わらせましょう」

 穂先に霊力を流すと、薄い黄色い光を放つ。

 私はその槍を真っすぐに妖に突き出した。

 うねうねと動いていた妖は倒れこむような低い姿勢で槍をかわすと、驚異的なキック力で床を蹴って私に突進してくる。

 咄嗟に槍を正面に構えて受け止めるが、頭の枝が伸びて腕や肩に突き刺さる。

「あっ!」

 痛みに悲鳴が出る。

 懸命に力をふり絞って妖の胴体部分を蹴る。

 少し後ろに倒れた隙をついて自宅のドアを閉めて必死にアパートの廊下を走る。

 雪で滑りやすくなっている共用階段を慎重に下りたところで携帯電話を取り出そうとするが、空から降ってきた触手に気が付いて慌てて側転する。

「もう、何なのよこいつ!」

 苛立ちから叫び、持っていた槍を妖に向かって投げる。

 妖は触手で槍を受け止めると、いとも容易くべきんと槍を半分に折ってしまった。

「冗談でしょ……」

 初めて見る妖だが、かなり強い。第三階級の陰陽師でないと勝てなさそうだ。

 私は緊急時用の番号に電話しようとして、携帯電話がないことに気づく。

 見れば、先ほど側転したときに落ちたのか、携帯電話は妖の足元に落ちていた。

 目の前に迫ってくる妖。

 

  ――ああ、死にたくないな。


 視界が霞む。

 来るであろう衝撃に備えて唇を噛む。

 死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない。


 溢れ出てくる涙。

 陰陽師なんてなるんじゃなかった……。


 後悔した一瞬の後、妖が朱色の光に囲まれる。目前まで迫ってきていた妖はその光に阻まれてそれ以上は進めず、触手を動かしてじたばたと暴れている。

 次の瞬間、光の内側がまばゆく爆ぜた。

 燃え盛る炎の音が閑静な住宅に響き、私の鼓膜をつんざく。

 焼け焦げた妖が灰色の煙を上げて薄らと雪化粧をした道路に倒れこむ。

 何が何だか分からない私の目の前に、修験者のような法衣を着た若い男が現れた。

「ご無事だったかな、お嬢さん。拙僧、修行の旅をしている者だが、この辺に旅館はあるかな?」

「え、旅館? というか今のは?」

 驚く私に、男はああ、と笑った。

「拙僧の結界術だな。ご安心めされよ、化け物は死んでおる」

 倒れた妖を指さす。

 私は困惑しながらも、妖と一緒に燃えて煙を上げている携帯電話を見て、ぺたんと地面に座り込む。

「私の携帯電話……」

「む、あいや済まぬ! 拙僧としたことがまったく気付かず」

 申し訳なさそうにぺこぺこと頭を下げる男が懐からハンカチを取り出して私に差し出してきた。

 そこでようやく私は自分の顔が涙でぐしゃぐしゃになっていることに気付いて、差し出されたハンカチを手に取り涙を拭う。

「ごめん、私こそ。助けてもらったのに……。私は油瀬美夜子ゆせみやこ。第四階級の陰陽師よ。あなたは?」

「拙僧は安食有あじきゆうと申す。済まぬが、旅館の場所を教えてくれ」

 微笑む有。

「この辺に旅館とかホテルはないわ。少し歩いて高円寺の方まで行けば旅館があったと思うけど……この時間だともう営業してないんじゃないかしら」

「教えていただきかたじけない。そうか、また野宿か……」

「その、えっと、あー……」

 私が口ごもっていると、有がいぶかしげに私の方を見た。

「えーと、助けてもらったから、お茶ぐらい出すわ。私の家、すぐそこだから」

 私が自分の住んでいるアパートを指さすと、有が申し訳なさそうに頭を下げた。

「ありがたい。それでは少しだけご厚意に甘えようかな」

 座り込んでいる私に手を差し出してくる。

 私がその手を掴むと力強く手を引いて助け起こしてくれる。

 妖と携帯電話の残骸を尻目に、私は有を自宅に連れて行った。

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