第2話

 しゆんりんとうこくに嫁ぐため出立したのは、季節をまたいだ秋の終わりのことだった。

「私なんかを妻にするなんて、なんて不運で可哀想でお気の毒なお方。前世で国でも滅ぼしたのでしょうか?」

 嫁ぎ先へ向かう馬車に揺られながら春燐はひとりごちた。慣れぬ振動は案外快く、考え事に没頭するよい手助けになってくれる。

 考え事の相手はまさに今嫁ごうとしている男──唐陀国の王、りようがくだ。

 唐陀国はえいこくの西に位置する国で、国境が長く接しているせいか昔から頻繁に争いが起きている。そのたびに戦ったり同盟を結んだりまた戦ったり……そんな腐れ縁を切れない男女みたいなことを繰り返している、仲がいいのか悪いのかよく分からない国だが、今回は王女を嫁がせることで友好を深めたいらしかった。

 その道具として選ばれたのが春燐なのだが……春燐自身はいったいどうして自分がと、不思議に思えてならなかった。自分は絵を描くことくらいしか趣味がない退屈な女だし、学があるわけでも教養があるわけでもないつまらない人間だ。とても唐陀国の王の気に入るとは思えない。その日のうちに離縁されてもおかしくないと春燐は思う。

 何よりこの醜悪な姿……こんな醜い人間が、いったいどうやったら気に入られるというのだろう?

 とはいえ、春燐は夫に愛されたいと思っているわけではないのだ。

 だって、自分はきっと夫を愛することはない。

 愛してもいない夫に愛されたいとは思えない。

 昔から、人に心が動かない。

 人を愛したことがない。

 大事な人なんて一人もいない。

 大切なものなんて一つもない。

 自分の心は空っぽなんじゃないかとよく思う。

 けれどそれが悲しいとか寂しいとか思うわけでもない。

 自分は薄情なのだとよく思う。

 心はいつもひどく鈍くて、目の前で何が起きても何も感じはしないのだ。

 自分はきっと、この世で一番空虚で薄情で醜悪な人間に違いない。

 だから……こんな人間を妻にする相手が気の毒だなと思うのだ。



 王宮を出立した馬車を、栄国王は楼閣の最も高い場所から眺めていた。

「春燐姫は無事に旅立ったのですね」

 背後から言われて目をやると、左右でくっきり白と黒に分かれた不思議な衣装の若い男が立っていた。頭には珍しい形の冠を被っていて、それも王宮に勤める普通の官吏とは違っている。

「ああ、娘が無事幸せになってくれることを願うとしよう」

 肩の荷を下ろして王は言った。すると男は真剣な顔で言った。

「本当は違うのでしょう?」

「……何がだ?」

 げんそうに聞き返すと、男は小さく消えてゆく馬車の影を眺めて目を細めた。

「陛下が春燐姫を他国へ嫁がせた本当の理由は違うのでしょう?」

「……何のことだ」

 王は渋面で否定を示したが、男は緩く首を振った。

「この王宮にその事実を知らぬものはおりません。みなが心の中で密かに同じことを思っているはずなのです。あの姫を……他国へ追いやれてよかった……と」

「そのようなことは考えておらぬ!」

 思わず怒声が出た。荒い息をする王に、男は深々と礼をする。

「無礼を申しました。陛下のこころが平安であることを、私はいつでも願っております」

 王は苦々しい思いでうつむいた。きつく握ったこぶしに爪が刺さる。

「春燐に栄国の王宮は合わなかっただけだ。異国であれば……」

「ご安心ください。春燐姫のことは、この私が陰ながら見守ることといたします。唐陀国の王宮とも、すでに通じておりますので」

「……お前のことは信用している。春燐の行く末を頼んだぞ」

「お任せください」

 男は再び礼をした。王は馬車の見えなくなった通りを眺めた。晩秋の雲の下、自分の選択が誤りではないことを祈る他なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る