7話 記憶に残っていて

 エドガーの不在。

 それは私の中の何かが息ができなくて苦しさにもがくのをずっと感じているようだった。悲鳴に似た泣き声が聴こえる。


「サニー・ポーター。起きなさい」


 羽の先で撫でるような柔らかな声に私は目を開いた。視線の先に暖炉が見えた。窓の外の景色に視線が奪われる。


「……雪」


 私の言葉に先ほどの声が賛同した。


「珍しいこともあるものだ」


 私たちは黙々と本を探した。時折将軍が書庫と軍部を行ったり来たりしたが、時間だけが過ぎていった。


 何日も、音沙汰ないままに過ぎていった。


 書庫の本はだんまりを決めていて、私は途方に暮れていた。あの後エドガーの魔法の痕跡をたどったのだけれども、彼の淡い痕跡は水に溶けた淡雪のように見えなくなっていた。私は目の前が真っ暗だった。


 国王様が湯気のたった取手付きの器を二つ持って隣りに座った。片方の器を私に国王様は渡す。はちみつ入りの牛乳、だろうか。


「その指輪、あなたにとてもよく似合う。エドガーが帰ったあかつきに、あなたがなんと返事をするつもりなのか、私は興味がある。明敏な軍師である彼がここまですんなりと帰ってこないところをみると、深刻な状況なのが私でもわかる」


 私は手の中の器を眺めた。


 やはり今の状況は普通ではないのだ。

 私はひとくち器から液体を口に運んだ。国王様は珍しくためらいがちに言い淀んだ。


「……あなたは聡い人だから、わかっているかもしれない。だから私と同じ覚悟をさせるのは酷だとも思う。だが……そのままの軍師が帰ってくる可能性は低いと、覚悟して欲しい」


 私は視線を落として、閉じた。今のように誰かの無事を祈ったことなんてあっただろうか。


 書庫に一人の兵士が入ってきた。何事かを王に囁くと、王は一瞬黙り込み、ああ、と呟いた。それからまた何事かを兵士に告げると軍人はそれらしい敬礼をして部屋を出ていった。


 無言の私に国王はそっと席を離れた。


「サニー・ポーター。例の本はここには無い可能性が高い。だが、思い出したのだよ。この王宮の地下牢。特に魔封じの牢獄。今頃、将軍がどうにかしてるころだろう。あなたも行ってごらん。きっと誰よりも、あなたの力が適任だろうから」


 私は立ち上がると器を長椅子に置いて書庫の扉を飛び出した。


 私は魔法に道を尋ねてとにかく走った。途中で転んで靴が片方脱げ、煩わしくなってもう片方も脱ぎ捨てた。裸足で冬の冷たさを感じる。

 中庭が見え、空から舞い落ちる雪が私の頬に触れた。その途端、エドガーの声が聞こえた気がした。


 エドガーに会いに行くのだ。


 中庭の渡り廊下を歩いて進んだ。この曲がり角に地下牢へと続く階段がある。


 階段を降りるとあの首から胸の辺りを締め付けるような圧迫感と、この前はなかった異様な冷たさを感じた。


 石の階段を降りる音が嫌に響く。


 魔封じの牢獄の階に近づくと男性の叫ぶ声が聞こえてきた。


「そっちへ行くなっ! 記憶を消される!」


 魔封じの牢獄の階は、辺り一面が氷と霜で覆われていた。

 両脇にならぶ牢獄。その長い廊下の奥で将軍がエドガーと闘っていた。


 エドガーは氷で大きな槌を振りかぶりそれで将軍の腹に叩きつけて吹き飛ばした。

 少なくとも三メートル以上はある距離を将軍は吹き飛んだ。廊下の石畳に将軍は転がる。


「……もうっ! まじで、勘弁してくれよ、何をどうしたらそんな馬鹿力でるんだよッ!!」


「将軍!」


 私は将軍に駆け寄った。


「えー!! サニーちゃんここに来ちゃダメだって。どうせ国王が行けっていったんだろうけどさぁ! 軍師、なんかわからんけど混乱してるッ!」


 将軍は飛んできた氷の両刃斧を両手で挟んで食い止めた。


「わかると、思うけど、今ヤバいから避難してくれる?」


 私は首を振って断った。


「いやです」

「はああ? 命令だから聞けよ! 俺将軍、あんた軍師の弟子。とにかく今いろいろ無理なの!」


 将軍も切羽詰まってるせいか少し様子がおかしかった。他の兵士たちは盾を前にジリジリとエドガーに距離を縮めていた。


 一人が銃を構えて撃ったところ、銃は発砲されることなく銃身が爆発した。そして違う兵士が吹き矢を飛ばしたところ、その針先がエドガーの数ミリ手前で水に飲み込まれ凍る。また待機していた兵士には両刃斧が飛び、盾が真ん中から割れていた。


 私はよく目を凝らした。


 エドガーの後ろに、アーサーがいる。怖さなのか寒さなのか彼は遠目に見ても震えていた。そして手には見覚えのある銀の杯を持っていた。


 私は魔法に頼ることにした。風圧でアーサーを思いきり前に押し出した。突然のことにアーサーは口を開けて宙を一回転する。その拍子に杯が彼の手を離れた。私は強風で杯を足元まで運ばせ、それを拾う。


 杯の中には一滴の血が入っていた。

 

 転がったアーサーを兵士の一人が吹き矢で眠らせ、もう一人の兵士がアーサーを抱えて撤退した。そこにいたら邪魔になる。


 将軍が私のそばに来た。


「サニーちゃんよくやった! この杯を頼む。軍師は俺が止める」


 私は杯を将軍に押し付けた。


「私がエドガーをどうにかします。皆さんは下がっててください」


 私のただならぬ低い声に、将軍は黙って杯を受け取った。将軍は兵士たちに撤退の命令を下した。


 私は牢獄の奥のエドガーを見た。彼は、無表情のまま私を眺めた。


 なんの前触れもなく空気中から鋭い氷の槍が投げられる。

それは私の心臓をまっすぐに狙っているのが嫌なくらいわかる。


 私は圧力でその氷の槍を粉砕する。氷が粉雪のように砕けて飛び散っていく。


 エドガーは不敵に笑った。


 次の瞬間、私の背後の空間が急速に冷えた気がした。私は背後に風圧の盾を用意。その瞬間に斜め横から氷の槍が脇腹を狙う。私はそれも圧力をかけて粉砕した。


 次から次へと繰り出される攻撃を、私は踊るように粉砕し跳ね返し防いだ。一回粉砕するのが遅れて右肩に痛みが走る。それでも空気は私に従った。空気中の水分が私に触れる隙を与えない。


「エドガー。私が誰だかわからないんですか? サニーです。サニー・ポーターです。風の魔女です!」


 エドガーは眉ひとつ動かさない。霜に覆われたまつ毛を瞬かせて首を傾げた。


 込み上げてくる感情に声が歪む。


「覚えて、いないんですか?」


 その瞬間足の裏が酷く冷たいのを自覚した。そうだ、裸足だったっけ。


 途端に脚が凍り出した。その氷は、私の体を覆い出した。動けない。私はどうしたものかと一瞬迷った。その隙にエドガーは距離を詰めて拳を握っていた。


 私は痛みを覚悟した。

 もう、仕方がないのだ。

 それがなぜか可笑しくなった。


「……もう、あなたのペリウィンクルですよ」


  その時、左手の薬指が暖かで。不思議なことが起きた。


 指輪が光り、するりと私の手を離れ、エドガーの顔を照らした。


 光はやわらかで、見つめると、瞳の内にこんな光景が映った。


 見たことのない部屋でエドガーは紙に鉛筆で何かを描いていた。彼が描いていたのは、指輪のようだった。そして彼はおもむろに呟いた。


「サニーは喜んでくれるだろうか……」


 次の瞬間ひやっとした感覚が顔を包んだ。でも痛みはいつまで経っても来なかった。代わりに首周りに何かが巻き付いた。


 その何かは、私を押しつぶすわけではないが四方から押してくる。

 私が押し除けようとするとそれは笑い声を立てた。


 ああ。


「そんなに笑っていいんですか……? 将軍や部下たちが見ていますよ」

「いいんです。もう、後がどうなろうと。私にとっては今が大事ですから」

 エドガーは腕を離し、私の首周りは解放された。


 少し上を見上げると、エドガーの穏やかな表情があった。

 それだけで私は十分幸せだった。




「おーおー、お二人さん。仲睦まじいことでぇ」


 いつの間にか将軍が傍らに立っていた。エドガーと私はお互いから少し離れた。将軍は目の下にくまを浮かべながら、銀の杯を差し出した。


「サニーちゃん、これ壊してくんない?」


 私は杯を手に取った。古い物なのが見て取れる、作りの良い器だ。


 私はそれを手のひらに乗せると、心の中で願った。


 杯はぐちゃりと潰れ小さな鉄の塊になった。


 それをエドガーは摘み上げ、手の中で転がした。次に見たときにそれは銀の指輪に変わっていた。


「王に献上しましょう」





 その後アーサーは再び牢獄に入れられ、鎖に繋がれた。眠りから覚めたばかりの彼は、エドガーに額を触れられてなお、放心していた。


 その足で私たちは国王様のいる書庫に行こうとして、使いの者に、王は玉座でお待ちです、と案内される。


 謁見の間に行くと国王様が一冊の本をしげしげと眺めていた。


「なぁ、エドガー? あなたは自分のしたことを理解しているのか?」


 国王様は嫌に冷たい声で問いかける。エドガーはただこう呟いた。


「ええ」

「言い訳になるものを見せろ」


 エドガーは国王の命令で手袋を片手だけ外すと、王の玉座へと進み、王の額に二回触れた。記憶を見せているのだ。ついでに王の手に指輪に変形された銀を握らせた。


 エドガーはそれが済むと私の隣に静かに戻った。


 国王様は瞬きした。


「ほお……あなたの弟が悪魔の力であなたに幻影を見せ、あなたを利用し、脱獄を試みた。その間あなたは幻と戦い正気を失った、と?」


 王は、掠れた声で言った。


「サニー・ポーターの幻を追跡し、サニー・ポーターの幻を被った弟を助け、それを守るために我が軍と戦い、そしてサニー・ポーターにより正気を戻した、と」


 国王様は声をあげて笑った。それはとても愉快そうに。


 エドガーはその間、微動だにしなかった。


 ひとしきり笑い終えた国王様はやんわりと微笑んだ。と思えば冷徹な声でこう言った。


「軍師を辞めろ」


 国王は玉座の肘置きに肘をついて微笑んだ。


「あなたは最後の仕事を終えたら解雇だ。莫大な富もある。その頭脳を使い作家にでもなればいい」


 エドガーは無言で宮廷式の会釈をした。


「そして」


 国王様は私に視線を移した。


「サニー・ポーター。風の魔女よ。あなたは今回の活躍により、私の側近となることを命じる。軍師という人の器に収まりきらない戦力を一人で丸め込んだ豪快で善良な魔女よ。私の読み違いでなければ、あなたは誠実で真面目だ。あなたを思い浮かべるとき、裏切りという文字が浮かばない」


 善良、という言葉に私は心の中で疑問を抱く。そんなつもりはなかったから。


 国王様は玉座の背もたれに寄りかかった。


「……早く、サニー・ポーターの手当をしてあげなさい。エドガー、婚礼の時には私を呼ぶように」




 謁見の間を後にし、エドガーは二重扉を背中で閉めると、宙を仰いだ。


 束の間の沈黙。


「あの国王が……私の願いを、叶えてくださった」


 ため息混じりの彼の声を私は忘れない。


Closed.

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