第8話 ご紹介します。こちら海賊の皆さんです。

 レオンはすっかり遠く小さくなった港からいまだに目を離せないでいた。シーアが不在のままの出航に困惑気味に目を凝らしているその背を、ギルが呆れたように叩く。

「子供じゃないんだ。そのうち船を乗り継いででも帰ってくるさ。それより問題はあっちだな」

 顎で沖を示され、つられてそちらを振り返ると沖に一隻の船影が見えた。

「スミス一家だ」

 ギルが厳しい表情で低く唸るように口にしたそれは、海賊の名であった。


 一見、一般の中型帆船のようだったがドレファン一家の船員が見誤る事はない。

 航路を変える事もなく、まっすぐこちらへ向かって来る様子にまわりの船員達にも緊張が走る。

 ギルが素早く操舵席へ移動し、レオンも続いて動きかけ━━相手の船を二度見した。

 船首近くで大きく手を振っているのは出航に間に合わなかった相棒、シーア・ドレファン。その姿であった。


 スミス一家に背を向け右手を高く上げて大きく手を振りながら、背後に隠すようにシーアは左手を胸の前でひらひらと動かしている。

 <安全。戻ル>

 ドレファン一家特有の手話がそう告げていた。


 ドレファン一家は沖へ舳先を向け、スミス一家の船は港へ舳先を向けた状態で二隻の操舵士達は絶妙な操作で船を並列に並べた。

 ウォルター・ドレファンは海王と呼ばれるだけあり、世界中の船乗りから良くも悪くも一目置かれる存在だ。

 代々からの呼称のため、実は本人はその呼び名を「重い。完全に名前負けなのに」と嫌がっているが、無益な争いを好まないその主義は同じく流血を嫌う船乗り達からは篤い信頼を得ている。


「悪いな、ウォルター。おたくの嬢ちゃんに世話になった。叱ってやるなよ」

 向こう側の船からそう声を張ったのは、四十代後半なのだろうがずいぶんと見目の良い金髪の男で、整えられたひげが印象的だった。


 海賊船の船員、つまりは海賊がドレイク号に板を渡す様子にドレイク号の船員は皆一様に警戒した。

 ウォルターはそんな船員達を落ち着かせるかのように、渡された板の傍に海面に足を投げ出すように縁に腰を掛ける。

「わざわざ送り届けてくれるなんてさすが紳士だな、スミス」

 そう笑いながら。

 海賊の中でも、スミス一家は穏健派だと知られていた。


「面倒かけたな、嬢ちゃん」

「おたくも大変だね、じゃあ」

 シーアはスミスに軽口をたたいて板に飛び乗った。


 ……あのおっさん、あっちの船長じゃねぇか。

 ギルは派手に眉間に皺を寄せた。


「おい海姫、金は?」

 金髪の若い男に呼び止められたシーアは海上で振り返る。呼び止めたのは優美な顔立ちの男で、実にスミスによく似ていた。


「金の話でもしないと信用しなかっただろ? わたしもちょっと用事があったんでね。お兄さん何かと役に立ったし、サービスにしとくよ」

 言われて初めて思い出したかのように振り返ったシーアは、そう言ってあっさりと笑う。

 その言葉にエミリオは唖然とし、彼の父親はシーアの気風の良さに盛大に吹き出して大笑する。

 それが面白くなくて、エミリオは憮然とした面持ちで口を開いた。

「━━借りとく」

「好きにしたら? ま、送ってもらっちゃったし八十でいいよ。海賊から返してもらえるとは思ってないけどね」

 シーアは笑って板を渡って行った。勝ち気で生意気な態度だった。

 エミリオにとってそれは今迄に出会ったどんな女とも違った。

 長い三つ編みを背中で揺らしながら渡って行くその後ろ姿を見て、早まったと思う。

 つい男の意地を見せてしまったが、あんな女に借りを作ったのは間違いだった事に気付いたのだ。

 いっそ倍額でも払って清算しておくべきだったと後悔した。

 それが海賊エミリオ・スミスと海姫シーア・ドレファンの出会いだった。


 ああ、あれが世界中の港に恋人がいるっていうスミス一家の跡取り息子か━━ドレファン一家の船員はみな一様に納得した。

 日頃から帆を張る横棒ヤードの上を走り回っている成果だろう、波で揺れるのも海面からの高さも物ともしない様子でシーアは軽快に板を渡って戻ってくる。

 海賊船から橋渡された板を足で押さえていたレオンは、シーアが戻ると右手を差し出し彼女は何のためらいもなくその手を取った。

「ぎりぎり間に合ったー」

 ひょいと甲板に降り立つと大げさに声を上げ、シーアが渡り切ると同時に板は外された。


 海賊の船長はそんなシーアを見やってからウォルターに声をかける。

「そいつが次の跡取りかい?」

 スミスの視線の先を見たウォルターは「どうだかねぇ」と、はぐらかすように肩をすくめてはぐらかした。


「嬢ちゃん、嫁の貰い手がなけりゃうちの馬鹿息子のとこに来ないか」

 スミスの揶揄を含む声に、シーアは大げさなまでに顔をしかめた。

「嫌だよ、そんな女好き。船長さんならちょっと考えるけどね」

 珍しく茶目っ気たっぷりに可愛く言って見せる。


「残念だな。俺は愛妻家でね」

 スミスも笑って答えて手を振り、縁に腰掛けていたウォルターもそこに立ち上がった。

 まるでこれで仕舞いだというように。

 海賊の船からは見えなかった。

 シーアは差し出されて取ったレオンの手を最後まで放さなかった。

 またドレイク号でも、二人が右手同士をつないでいたため、重なるようにシーアの背後に立ったレオンに阻まれてそれを見た者はほとんどいなかった。

 よって、誰一人として気づかなかった。


 レオンの手を握ったままのシーアの手が震えていた事も、その手がとても冷たかった事も━━

 繋がれた人間にしか、それは分からなかったのである。


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