理想の家族
鹿嶋 雲丹
第1話 五本指
『親指はお父さん、人差し指はお母さん、中指はお兄さん、薬指はお姉さん、小指は赤ちゃん! 面白いよねぇ、まさに理想の家族像って感じ! ……ねぇ、わたしの理想叶えるの、手伝ってくれない?』
早番の日は、朝七時前に会社に着くように家を出る。
チン!
しんとしたダイニングに響く、いつもの音たち。
生ぬるい風を吹き出すエアコンの低い音、放り込んだ市販の食パンが焼きあがったことを告げるトースターの音、インスタント珈琲を飲む為に沸かしたヤカンのピーという甲高い音。
それらがなかったら、このキッチンには虚無ばかりが広がるだろう。
行ってらっしゃいと笑う妻、
ドロドロ、だらだらとした肉と熱の固まりになったナニカは、別々にしている寝室にいるが。
わかってる、笑美は悪くない。こうなったのは、仕方ないことなんだ。
ぼんやりと眺めるテレビのアナウンサーが、我が国の出生率低下がどうのとか言っている。くそ、こりゃ朝から気分が悪い。当然、リモコンの電源ボタンを押す。
俺たちは貢献できなかった側だ……いや、あの子たちがちゃんと生きていたら、二人分も出生率に貢献出来てた。
子どもは無事に生まれて健康に育ち、やがて幸せな家庭を築く。笑顔が絶えない、賑やかで明るい家庭を。
こんな幸せの偶像、いったいいつから埋め込まれたんだ!
「いけね、もう行かないと間に合わない」
『子どもはまたつくればいいじゃない。大丈夫よ、まだまだ若いんだから』
二人目の子を流産した笑美に、うちのおふくろが言った無神経な言葉。
違う、歳なんか関係ないんだ。
冷えきった車内が温まり始めるのは、会社に着く頃だな。ハンドルが冷たい……指がかじかんでうまく動かない。
(親指はお父さん、人差し指はお母さん……)
ここまでは、順調だった。
笑美と俺は高校で三年間、同じ化学部に所属していた。付き合うようになったきっかけは、高校を卒業して二年後に共通の部活動仲間がセッティングした飲み会だった。
『親指はお父さん、人差し指はお母さん、中指はお兄さん、薬指はお姉さん、小指は赤ちゃん! 面白いよねぇ、まさに理想の家族像って感じ! ……ねぇ、わたしの理想叶えるの、手伝ってくれない?』
幼稚園教諭になろうと通っていた短大卒業を間近に控えていた笑美が、きらきらした目で高卒で働いてた俺に告白してきて、気づいたら俺は頷いていた。
「中指はお兄さん、薬指はお姉さん、小指は赤ちゃん」
ここが問題だ。二十八歳で結婚した俺たちには、五年も子どもができなかった。
『ごめん……だめだった』
目に入る、青いジャージ姿の中学生と思しき背中を追い越す。
もしあの子が生まれて成長していたら、あのジャージを着てたんだよなぁ。
『しかたないさ、笑美のせいじゃない。神様が、楽しみを先延ばしにしただけだよ』
あの時のうすっぺらい慰めの言葉は、子ども好きの笑美の傷口をどのくらい塞げたんだろう?
『……ねぇ、わたしはどれだけ待てばいいの?』
『……もう、俺たち二人だけの家族でもいいんじゃないか?』
(面白いよねぇ、まさに理想の家族像って感じ! ……ねぇ、わたしの理想叶えるの、手伝ってくれない?)
なあ笑美。理想は、理想なんだよ。現実とは違うんだ。
また次頑張れば。そんな風に神様に責任を負わせるのは、もう俺にはできなかった。二つの命を失ったことで、笑美は完全に生きる力をなくしてしまった。
「指先……ちょっとだけあったまってきたな」
さあ、俺のちょっと毛深いごつい指たちよ、仕事の時間だ。
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