第三十六話 【番外編】魅惑の雷娘参上(前編)

「姫さま、姫さま、大変っ! 大変でございます~~っ」


 ばあやが朝から騒々しい。


 いつもは温かくて滑らかで最高に肌触りの良い旦那様に包まれて、至福の眠りに就く。そして柔らかくて麗しいおはようのキスで起こしてもらう。アヤメの朝は最上級に贅沢な寝覚めで始まるはずなのに。


「姫さま、姫さまってばっ! 呑気にお眠りになってる場合じゃございませんわよ?」


 寝ぼけ眼で旦那様の温もりを探していると、ばあやに容赦なく揺さぶられた。


 ああ、そういえば。


「父王の外交に付き添って砂漠のオアシスまで行ってくる。明日は出立が早いからアヤメは起こさずに行くよ」


 昨夜、旦那様はそう仰っていた。


 外交にお出かけになる旦那様を絶対にお見送りしようと決めていたのに、どうやら寝過ごしたようだ。


 反省と反芻が交錯する。


 ……だって。旦那様が。

 寝ても覚めてもずっとお離しになられないから。


 喜びと恥じらいがじわじわとアヤメを赤く染める。


 なんだかずっと甘いまどろみを彷徨っているような感じだ。

 口づけよりも幸せな営みがこの世にはありましたのね……


「……姫さま? どうして寝ながら顔を赤らめてらっしゃいますの?」


 幸せの余韻をばあやがぶった切る。

 そうだった。余韻に浸っている場合ではない。起きなければ。


「ご覧ください、姫さまっ! 変身してますっ!」


 アヤメがしぶしぶ目を開けると、ベッドの脇から皺くちゃな妖怪が覗き込んできた。鏡を片手に仁王立ちしている。


「きゃあ、ばあやが鬼婆に……っ」

「……誰が鬼婆じゃ、こら」


 どこかで聞いたようなばあやの名台詞が炸裂する。

 目を瞬きよく見たら、普通にいつものばあやだった。


「……んんっ。……おはよう、ばあや。いい朝ね」


 さりげなく咳払いして誤魔化してみると、


「何にもよくありませんよ、姫さま。これっ! よくご覧になって!」


 ばあやが手鏡を掲げてズイズイとアヤメの前に差し出してきた。


「……あら?」


 必然的に鏡に映る自分の姿を見ることになったアヤメは、戸惑いの声を上げた。


「……猫かしら?」

「なんか虎柄とらがら入ってますけどね」

「……虎かしら?」

「なんかつの生えてますけどね」


「じゃあ……」


 ばあやと顔を見合わせる。


「……鬼っ?」


 鏡に映っているアヤメは、頭の上に大きな耳と角が生え、口を開けると牙が見え、身体には黒と黄色の縞々模様を有している。布団をめくって自分の身体をさらに観察してみると、下着に縁どられた胸はいささか膨らみを増して、その下には縞々の尻尾らしきものまで生えている。


「ええっ? 鬼に尻尾ってどういうこと?」

「もしや姫さま、雷娘になっちゃったんじゃないですか?」


 ばあやがアヤメの全身をまじまじ観察しながら慎重に分析する。


「……雷?」


 アヤメはもともと雷の心臓を持つ人造人間アンドロイドだったのだが、ガマニエルの愛を得て生まれ変わった。今や正真正銘の極ありふれた普通の人間である。

 

 しかし、……

 アヤメはこのところの自分の行いを振り返ってみた。

 実は今、「変身薬」作りに着手している。


 先日旦那様と一緒にボッチャリ国に赴いた時、父王がこれまで閉鎖していた母の研究記録を見せてくれた。膨大な研究データ、使いこまれた実験器具、設備。母の試行錯誤と考察、たゆまぬ努力と再試行の跡が色濃く刻まれている。

 父が言うように、母は探求心の塊だったようだ。驚き、喜び、忍耐。そこには母の弾むような情熱の記録がそのまま残っていた。

 父王の許可を得て母の記録を持ち帰ったアヤメは、かつてガマニエルが閉じこもっていたレンガ造りの天文塔を借りて研究に勤しむようになった。


 時折訪れる魔王とラミナ妃も興味深そうに協力してくれる。アヤメはガマニエルが言っていたように科学技術と魔力の融合を試みていた。今のところ失敗ばかりだが、思いもよらない結果に驚かされる日々は楽しい。


 そして、現在開発に没頭している「変身薬」は、人や動物、獣人や魔族など、異なる種族の相互理解に役立つのではと期待している。


「つまり、姫さまの変身薬が完成したと?」

「昨日試した時は全く効き目がなくて、また失敗かと思ったんだけど」

「忘れた頃にやってくるっていうあれですわね」

「でも私、ウサギ獣人に変身するはずだったんだけどな」

「逞しい姫さまは兎のか弱さにそぐわなかったんじゃありません?」


 アヤメとばあやが無言で見つめ合う。


「……んんっ。もしかしたら姫さまの中にはかつての雷が残っているのかもしれませんわね。まあともかく、いずれにせよ、姫さまが薬の効果で変身したのなら心配いりませんわ。時間がたてば効き目は切れるでしょうから」


 ばあやがわざとらしく咳払いをしてからまとめに入る。


「……雷娘かあ。どんな特性があるのかしら」

「そりゃあやっぱり稲妻で一撃ですよ」


 アヤメが小首を傾げながら指を伸ばすと、指先から閃光が飛び散り、ばあやの髪が燃えた。


「ひひひ、姫さまっ。何なさるんですかっ! 念願のセクシーお色気系になったからって調子に乗りすぎですよ」

「ごめんなさい、ばあや。大丈夫? すぐ冷やしましょう」


 一体誰がいつセクシーお色気系を願望したのだろうと訝しく思いながら、ばあやを水に突っ込んでいると、ノックの音が聞こえた。


「アヤメ姫様、失礼いたします。こちら、お召し替えと朝のお手水ちょうずのご用意が、…」


 朝の用意のため部屋に入ってきたアヤメ付きのメイドたちが、いつもと違う姫君の様子に目を留め、


「きゃああ~~っ」

「アヤメ様、可愛いいい~~っ」


 手水もタオルもひっくり返して絶叫した。


「はいは~い、魅惑の雷娘かみなりむすめと握手したい人はここに並んで下さ〜い」

「一人一握手ね。お触りは禁止ですよ」

「お触り一回につき、罰金千ゴールド」

「あ、でも。五千シルバーで握手三秒延長しまーす」

「更に七千シルバーで微電流のサプライズあり」

「はいは~い、最後尾はこちらでーす」


 ……おかしなことになってしまった。


 カレイル国の王宮庭園には、雷娘のアヤメを見ようと長蛇の列ができている。彼女を取り囲むように巨大な輪が広がり、何とか触れ合おうとごった返して大騒ぎになっていた。


 居室内で雷姿のアヤメを見たメイドたちが可愛い可愛いと大盛り上がりで、ああでもないこうでもないと着せ替え三昧し、その騒ぎを聞きつけたほかの従者や客人たちが様子を見にやって来て、あれよあれよという間に魅惑の雷娘の噂が広まり、ただでさえ賑わいのあるカレイル国王城に、更に大勢が押し寄せる結果となったのだ。


「はいはい毎度~」

「雷娘、握手会はこちらです」


 例のごとくカレイル国に入り浸っていたアヤメの姉アマリリスとアネモネがこんな面白そうな機会を見逃すはずもなく、アヤメに似合う衣装をとっかえひっかえして、よく分からないぼったくりの握手会が開催されている。


「アヤメ、今日可愛いね」「すごく可愛い」「尻尾触っていい?」

「アヤメ様、大変麗しゅうございます」「なんとお美しいのでしょう」


 いつも一緒に蓮池の泥水に足を突っ込んでいる子どもや町の人たちもやってきて、なんやかんやとアヤメの容姿を褒めそやす。昨日まで至近距離で蓮根を洗ったり、料理の味見をしたりしていた人たちが、はにかみながらアヤメの指先を握り、顔を赤らめる。


 生まれてこの方、人の注目を集めたこともなければ容姿を褒められるなどあり得ず、地味にじみ~~に暮らしてきたアヤメは、急にこんな大勢の視線にさらされて戸惑いを隠しきれない。

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