06:庇ってくれた!
頰にガーゼを貼り、ジャージ姿で階段を上る拓馬には、通りすがりの生徒たちから好奇の視線が注がれた。
好奇に混じって熱烈な視線もある。
見目美しい拓馬は多くの女子生徒を虜にしていた。
やがて教室に戻ると、誰よりも拓馬のファンであるクラスメイトの
「黒瀬くん! 大丈夫だった!? 怪我の具合はどう!? なんて痛々しい姿になって……!」
ばっちりカールした睫毛に守られた目を大いに潤ませながら、吉住さんは拓馬の頬のガーゼを撫でた。
吉住さんの取り巻き二人もまた、駆け寄って拓馬の周りを固める。
「お、姫だ」
「姫が帰って来たぞ」
数人の男子生徒が拓馬を見て軽口を叩いた。
教室にいるほとんどの生徒たちは談笑に興じているけれど、何人かは拓馬たちの様子を遠巻きに眺めている。
私の友達の
「うん、大丈夫」
やんわりと吉住さんの手を払いながら、拓馬が答えた。
「腫れてるから一応湿布してガーゼしてるだけで――」
「まああ、腫れてるですって、大変! その美しい顔が腫れるだなんて、人類の損失だわ! それというのも……!」
吉住さんたちから一斉に睨まれて、私はびくりと身を揺らした。
「野々原さん、あなた、自分が何をしたのか自覚はあるんでしょうね! あなたのせいで黒瀬くんは大怪我を負い、私たちだって授業どころじゃなくなったわ!」
「……ごめんなさい」
私は頭を下げたけれど、その程度のことでは彼女たちの怒りは解けなかった。
「まあ、白々しい! 本当に悪いと思っているならちゃんと皆の前で謝りなさいよ! 誠意を見せなさい!」
「そうよ、土下座でもしたらどう?」
「黒瀬くんの顔を傷つけたんだもの、それくらいして当然――」
「おい」
容赦のない糾弾をただ一言で止めたのは、他ならぬ拓馬当人だった。
「黙って聞いてれば、部外者が勝手なこと言ってんじゃねえよ。野々原は授業が終わった後、保健室にすっ飛んできておれに謝罪した。誠心誠意謝られたからこそ、おれも許した。それで解決したっていうのに、なんでお前らがぎゃあぎゃあ騒いでるわけ? 一体何の権利があって野々原に謝罪を要求してるんだ? なあ、何様のつもりなんだよ」
拓馬は強烈な怒気のこもった眼差しで吉住さんたちを怯ませた。
「授業を中断させたから見世物みたいに皆の前で土下座しろって? 馬鹿馬鹿しい、小学生でも言わねえよそんなこと」
拓馬は鼻を鳴らして、私に歩み寄り、ぐいっと肩を掴んで引き寄せてきた。
え、えっ?
動揺している間に、拓馬は宣言するような強い口調で釘を刺した。
「もう一度言っとくけど、おれは野々原を許した。被害者が加害者を許したんだ。この件に関して野々原をどうこう言う奴がいればおれが許さないからな」
意中の人に睥睨され、吉住さんたちは青くなって立ち尽くしている。
私は拓馬が庇ってくれたことに、強い意志を感じる拓馬の手の感触に、ただ呆けていた。
「まあまあ」
と、凍り付いた空気を溶かすように、緑地くんが割って入ってきた。
彼は拓馬の幼馴染で親友。
明るい茶髪に、笑ったときに覗く八重歯がチャームポイント。
社交的な爽やか系イケメンだ。
「その辺で許してやれよ拓馬。そこまで言えば十分だって。吉住さんたちもわかったよな?」
緑地くんに笑いかけられ、吉住さんは泣きそうな顔で何度も頷いた。
「ほら、わかったってよ。急がないと次の授業始まるぞ。着替えて来いよ」
緑地くんが持っていた拓馬の制服を差し出す。
「ああ、ありがとな幸太。で、おれ、お前に言いたいことがあるんだけど」
拓馬は受け取った制服を、何故かそっくりそのまま、流れ作業のような自然な動作で私の手に押しつけてきた。
これは一体どういうことなんだろう。
戸惑いながらも、私は拓馬の制服を両手で持った。
「うん、何?」
感謝の言葉を予想しているらしく、笑顔で緑地くんが促す。
「おれは誰よりお前に怒ってんだよ!!」
「ギャーッ!?」
こめかみを拳でぐりぐりされて、緑地くんが悲鳴をあげる。
「な・ん・でよりにもよって姫抱っこなんかしやがったんだ!? 気絶したならその場で叩き起こしてくれれば良かっただろ、口さがない連中に格好のネタを提供するような真似しやがって、おかげでこの先おれの陰口は姫で確定だ! どうしてくれるんだこの馬鹿!!」
「いやだって、人を運ぶなら姫抱っこが一番楽じゃん、オレだってお前が倒れてパニくってたんだよ、暴力反対! 野々原さん助けて!」
緑地くんは拓馬の手から逃れ、さっと私の背後に隠れて両肩を掴んだ。
臆病な小動物のように震えているのが手のひらを通じて伝わって来る。
「待って黒瀬くん、元はと言えば私のせいなんだから! 緑地くんを責めるのは筋違いだよ!」
私は緑地くんに両肩を掴まれたまま手を振り、無言でこちらに距離を詰めようとしていた拓馬の進行を食い止めた。
「ほら、着替えないと! あと三分で次の授業始まるよ!? はい!」
有無を言わさず制服を押しつける。
拓馬は不満げな顔をしつつも、制服を持って教室を後にした。
拓馬の姿が見えなくなったタイミングで、ほっと安堵の息をつくと、その吐息はぴったり緑地くんのものと重なった。
私たちはきょとんして顔を見合わせ、それから笑った。
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