第二十話 選択

緊迫した状況の中、ふっと空気が変わる――


「――まぁ、こんな時間に一体何をされているのかしら?」


夜の静寂を破る、涼やかな声が響いた。


 まるで、風が方向を変えるように。

 透き通るようなその声は辺り一片の空気を一気に変え、その場の雰囲気を全て奪いさる。


冷えた夜気の中、その声はどこか 優雅で余裕に満ちていた。

この場の空気を支配しながらも、力ずくではない。

ただ、存在するだけで周囲を飲み込むような、そんな雰囲気。


男たちの動きが、一瞬止まる。

そして、西条もまた、反射的にその方向へと顔を向けた。


 そんな様子を見たピアスの男が、ニヤリと口を開く。

 

「なんだよ、女一人でこんな時間にお散歩か?変な正義感持つのは良いが、あんま下手に首突っ込まねぇ方が身のためだぜ?」


それに同調するようにフードの男が合わせる。


「まぁ、この調子乗った男に教育した後、俺たちが遊んでやっても良いけどな」


 そんな彼等の言葉に一切反応せず、くるりと西条方を向く。


月明かりに照らされ、艶やかな黒髪が身体の動きに合わせゆるやかに舞う。

整った顔立ちは冷静そのもので、

どこか 品格を感じさせる微笑を浮かべていた。


「……あら、西条さん。これはまた、ずいぶんと遅いご帰宅ですのね?」


まるで何でもないような口調。

路地裏で、男たちに囲まれているというのに、

その表情には 一切の怯えも、焦りもない。


「ふぅん、この男のツレって訳ね。 ビビって女の子を助けに呼んだのか?」


ピアスの男が再び挑発を行うも、急遽邪魔が入った事に少し苛立っていた。

フードの男も、煙草を指先で弾きながら 何か言いたげに星羅を見据える。


「まぁまぁ、ご挨拶が遅れましたわね」


星羅は静かに微笑んだまま、

ほんのわずかに首を傾げながら、優雅な足取りで歩を進める。


「私は花ヶ崎星羅――"花ヶ崎"と言う名に聞き覚えは無いいかしら?」



ただ名を名乗っただけだったが、その場の空気が一変する。


「……花ヶ崎?知らねぇな」


ピアスの男が、困惑するように繰り返した。

どこかで聞いたことがある名前なのか、

それとも、彼女の異様な空気に気圧されたのか。


「花ヶ崎って……あの、名門の……?」


フードの男が僅かに眉を寄せる。


「あら、ご存知でしたか。まぁ所謂、少々“面倒な家柄”ですのよ?」


柔らかい微笑のまま、さらりとそう言い放つ。

その余裕に満ちた振る舞いが、じわじわと相手に “理解”を与えた。


ピアスの男は、その意味を悟ったのか 「チッ」と舌打ちをした。

花ヶ崎家に手を出す、それがどれほど面倒な事になるのかを少しは理解しているらしい。


一方、西条は呆れ混じりに星羅を見つめていた。


(……こいつ、何考えてんだ?)


この場に踏み込むとか、正気か?

俺にとっては、戦う理由を削がれた形になったが――

こいつ自身が、危険に晒される可能性は考えなかったのか?


「……お嬢様が何しにこんなとこに?」


ピアスの男が皮肉っぽく問いかける。


「たまたま通りかかっただけですわ」


星羅は 涼やかに微笑む。

全く動じた様子もない。


「ですが、こんな夜更けに道端で大声を出すのは、あまり品がよろしくありませんわね」


言葉こそ穏やかだが――

その目は どこまでも冷ややかだった。


西条は、静かに息を吐く。


(……さて、どうする?)


ここで手を出せば、星羅も巻き込む可能性がある。

だが、こいつらがこのまま引くとも思えねぇ。


西条が一歩踏み出そうとした、その瞬間――


「……まぁ、西条さん?」


星羅が、不意にこちらへ視線を向けた。


「こんな無駄な時間を過ごすのは、あまりにももったいないのではなくて?」


その目は、西条の内心を見透かしているようだった。

今にも暴れ出しそうな “獣”を、静かに押しとどめるような眼差し。


「お前……」


西条が言葉を探すよりも早く――


「さて、どうなさいます?」


星羅は まるで何でもないような顔で、不良たちを見つめた。


その目には、怯えも、焦りも、怒りすらもない。

ただ、ひとつの選択肢を提示するような “余裕” だけがあった。


「ここで無駄に騒ぎを大きくするのか、

それとも、大人しく手を引くのか――どちらが賢明かしら?」


ピアスの男が 歯噛みするように舌打ちをする。


「……チッ」


面倒事になると察知したフードの男が「引くぞ」と言わんばかりに、顎を反対側の通路に向かい、軽く動かす。


「さぁ、どうぞお好きに?」


星羅は、ただ優雅に微笑んだまま、彼らを見つめ続ける。


その数秒後――


ピアスの男が 「クソが……」と吐き捨てるように言い、背を向けた。

フードの男も無言でそれに続く。


そして、二人は夜の闇へと消えていった。


西条は、一度深く息を吐き、いつものお調子者の仮面を被り直す。


「いやぁ、変な男たちに絡まれてさ。本当に助かったよ、ありがとうな」


西条は軽く肩をすくめ、苦笑混じりに言う。

だが、その軽い調子に対して、星羅の目は僅かに細められた。


「いえいえ。ですが――そもそも、なぜこんなところにお一人で?」


彼女は、まるで “最初から疑問に思っていました” と言わんばかりの落ち着いた口調で問いかける。


「こっから行くと近道なんだよ」


西条は、何でもないことのように言うが、星羅は小さくため息をついた。


「この時間に、こんな裏路地を通るのは、少々不用心ですわね」


「そうかもな。でもさ、早く実力テストの勉強したくてさ。結局、余計な時間取られちまったわ」


星羅はその言葉に、ほんのわずかに微笑んだ。


「勉強熱心なのは感心いたしますが――」


ジトっとした目で見つめるその微笑は、どこか意地悪なものだった。


「私が来なければ、どうしていたのですか?」


西条の表情が、一瞬固まる。


「……」


「一度、立ち向かおうとしていましたわね?」


それを見逃すほど、彼女は鈍くない。

そして、その問いは、西条の内側にある “答えたくない真実” を静かに突きつけていた。


星羅は、ふっと路地裏の合間から、微かに顔を覗かせている夜空に目を向け、静かに言葉を続ける。


「腕に自信があったとしても、二人相手にどうにかできるものではありませんわよ」

「映画のようにはいきません。現実の喧嘩は、そんなに甘くはありませんもの」


その言葉には、護身術を学んだ彼女だからこそ “経験” を踏まえた重みがある。


「くれぐれも、お気をつけくださいませ。――次は、私がいるとは限りませんよ?」


そう言いながら、星羅は優雅に微笑んだ。

だが、その笑みの奥には、微かな “忠告” と “警告” が込められていた。


逆に気になっていたと言わんばかりに、西条は星羅をじっと見つめる。


「けど、花ヶ崎さんも一人だろ?……相手がそのまま襲いかかってきたら、どうしてたんだよ」


少し探るような口調。

彼女がいくら余裕を見せていたとはいえ、この状況で女一人は危険すぎる。

にも関わらず、あまりにも堂々としていた。


「あら、そのことに関してはご心配なく」


星羅は、涼やかに微笑むと――


パンッ。


軽快な音を立てて手を鳴らした次の瞬間。


路地の薄暗い闇の中から、スーツ姿の屈強な3人の男たちが、静かに現れる。

まるで影のように、星羅の背後に並び、

厳しい表情のまま無言で周囲を見渡していた。


西条も、思わず目を見開いた。


「何かあってからでは困りますもの」

 

「淑女たるもの、備えあれば憂いなし――ですわ」


さらりとした口調。

だが、彼女の言葉には確かな説得力があった。


「私のお付きの護衛の方々ですわ」


星羅は、まるで「当然でしょう?」とでも言うように、優雅に微笑んだ。


西条は、その様子を見て (……あっぶねぇ!!) と内心で冷や汗をかく。


(もし……もし俺がここで暴れてたら、どうなってたんだ!?)


スーツの男たちは、無駄な動きひとつせず、ただ星羅の後ろに控えている。

だが、その目つきと佇まいから、一瞬で “並の相手じゃない” ことが伝わってきた。


 西条は、ごくりと唾を飲み込みながら、表には出さず、静かに思う。


 (……ヤベェ。これ、下手したら俺も死んでたぞ!?)


 鼓動が早まる。

 先ほどまでの空気が一変し、肌を撫でる夜風がやけに冷たく感じられた。

 だが、西条はそれを悟らせまいと、努めて平静を装う。


 そんな彼の様子を、じっと見つめる視線があった。


 西条は気がついていなかったが、3人のうち、唯一細身の男が、じっとこちらを観察していた。

 何も言わず、表情を変えず、ただ静かに――まるで獲物を見定めるかのように。


  薄暗い路地に沈む静寂の中で、その男の視線だけが妙に冷たく、研ぎ澄まされていた。

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