7.その美少女は綺麗に立つ

「すみません、先輩」


 委員会が終わった直後。

 椅子から立ち上がった俺の背中にそんな声が掛かったので、おや? と思って振り返ったら、そこにいたのは黒髪ミディアムの美少女だった。


「一年三組の夏見なつみです。どうぞよろしくお願いします」


 だから俺も――委員会中にも自己紹介しているが――もう一度名乗って軽く苦笑する。


「二年五組の杵築東悟です。お互い、面倒な役回りになったね」


 一年生の夏見さん。


 小柄、と言っていい部類だろう。

 その黒髪ミディアムの美少女は野間さんよりも少しだけ背が低く、野間さんよりもだいぶ胸部が薄く、野間さんと同じぐらいの腰の細さだった。


 長袖の白シャツに学校指定のスクールベストを合わせた秋らしい恰好。

 なんとスカートのすそが膝頭の範囲内だ。


 野間さんと青木さんのせいで『美少女といえば短いスカートで太ももを見せつけているもの』という変な認識を刷り込まれている俺にとっては、その部分だけがどうにも違和感で、ついまじまじと美少女を見下ろしてしまうのである。


 ずいぶんと整った顔立ち。


 こんな綺麗な子の存在を教室や廊下で聞くことがなかったのは、この学校に野間さんと青木さんがいるからだろうか。

 それとも、前髪をまとめる黒いヘアピンによって露わになったおでこや、細めながらも色濃い眉や、キリリとした眼差しや、静かに結ばれた唇に、なんだかお堅そうな印象があるからだろうか。


「腕相撲大会。夏見さんは、こうしたいとか、こう進めたらいいとか、思いはあるかい?」

「あ、いえ……今は、まだ何も。杵築先輩がおっしゃるなら考えてみますが……」


 もてはやされてファンクラブができるタイプではない。

 どちらかといえば、奥手で真面目な男子諸君に密かに想われていそうな……水面下で静かに人気を獲得しているタイプの美少女だった。


「それじゃあ俺も一晩考えてみるから、文化祭当日までに何を、いつしなくちゃいけないか、明日の放課後すり合わせようか。何はともあれ、時間がないしね」

「あの。杵築先輩は、イベント準備のご経験は……?」

「リーダーシップをって一から創り上げるのは残念ながら。夏見さんは?」

「すみません。私もこういうのは初めてです」

「なるほど。真面目そうってだけで選出された初心者二人か。これは前途多難だ」


 俺はまたもや苦笑。


 夏見さんはほんの少し顔が青く、だいぶ不安そうだった。


 だから俺は、夏見さんを安心させたくて、いつも以上に明るい声で笑ってみせるのだ。


「まあ大丈夫だよ。なんとかはなるだろうし、もしも失敗したって、初心者に任せた柊木ひいらぎ先生が悪いって思えばいいさ。たかが文化祭の一イベント、人が死ぬ話じゃない」


 そして俺が視線を動かして、夏見さんがそれを追った先には、教壇に立ったままギクリとした仕草の柊木先生だ。

 顔の大部分の隠す前髪のせいであいかわらず表情はよくわからないが、俺の言葉に一度固まったあと、俺と夏見さんに小さく手を振るのであった。


「き、期待してるからねぇ」


 それで俺と夏見さんは再び顔を合わせて、微笑ましさと呆れと諦めをいくらか混ぜて小さく笑い合う。


「そうですよね。万が一の時は、柊木先生の所為せいにすればいいですよね。ありがとうございます。少しだけ肩の荷が下りました」

「最高のイベントを、とか気負わずにやろう。適当に――この場合は、適度に、ほどよくって意味だけどね」


 委員会が終わったというのに理科室はまだ生徒たちで賑わっている。

 各自の係決めが終わった今、早めに親交を深めるためか、係ごとに集まって挨拶と雑談が交わされていた。


 もうしばらく理科室は開いているだろう。

 そう思った俺は、夏見さんとの会話をまだ切り上げない。


「去年やってたミスコンはまるまる一時間だったから、その代わりっていうなら、同じぐらいは見ておかないといけないんだろうね。いくら他の演目の数と時間次第とはいえ」

「一時間も腕相撲……途中で白けたらって思うと身震いしますね……」

「誰が出るかで盛り上がり方はだいぶ変わるだろうけど、それでも工夫はしないと、かな。実況を用意したり、応援の時間つくったりさ」


 俺がそう言うと、夏見さんは一度まばたきしてから俺の姿を見直した。美少女の視線が俺の顔から外れ、俺の上半身をちらりと――しかし広く見た。

 そして視線が戻ってきた時、夏見さんは疑問があるらしく、一つ問いかけてくる。


「杵築先輩は出ないんですか?」

「それは選手としてってこと?」

「はい。もしも大会運営の人間じゃなかったら――仮定の話ですみません」


 俺は苦笑だ。

「すぐに負けるから出ないよ。こう見えて結構非力なんだ」


 すると、パチクリとまばたきした夏見さんの視線がまたもや俺の姿を見る。

 何事か言いたい顔をしていたが、結局、その言葉は呑み込んで腹に収めたらしい。


「全然そうは見えないのに、そうなんですね」

「意外だろ? 立派なのは見かけだけで、その実なんの取り柄もなくてね」

「いえ、そんなこと……変なことを聞いてしまってすみません」

「はははっ。謝るのはこっちだよ。気を遣わせちゃって申し訳ないね」


 …………………………。


 ……しかしまあ……ずいぶんと綺麗に立つものだ……。


 …………………………。


 夏見さんが俺の姿を観察するというならば、当然俺だって夏見さんの姿を眺めている。 そして『俺の正体』を考えた夏見さん同様、俺も『夏見さんの正体』に思いを馳せていた。


「そういえば夏見さんは何か部活入ってるのかい?」

「文芸部です」

「へえ、文芸部。じゃあこの文化祭で出る部誌――『せせらぎごえ』だったっけ? あれにも何か書くんだ?」

「はい。まだ上手くないんですけど、短編小説を書いています」

「小説。そりゃあ凄いな」

「そう言う杵築先輩は、部活の方は」

「俺? いやぁ、恥ずかしい話、ずっと帰宅部でのんびりさせてもらってるよ。せっかくの青春だし、本当は何かやった方がいいんだろうけどね」

「そんな。私のクラスでも帰宅部の人って結構多いですよ? 勉強のことを考えたら、それは帰宅部が一番やりやすいと思いますし」


 身体の中央に太い芯を持っていながらも、軽い立ち方。


 すべての筋肉に弛みを持たせながらも、上半身と下半身がちゃんと連結した立ち方。


 …………………………。


 ……脚と腹はいいけど、背中と肩が相当弱そうだから、俺の知ってる武術じゃない……。


 ……武術家っていうよりは、神楽の舞い手とか、舞踊とか、そっちっぽいんだよな……。


 ……でも一年生の女子にくノ一がいるって話があって……。


 ……まあ……戦闘特化の忍者じゃなかったら、こんな感じなのかね……?


 …………………………。


 …………――――――


 ――――――――――


「――でも、杵築先輩が凄く話しやすい人で良かったです。さっきの委員会で、一緒にお仕事するって聞いて、どんな人なんだろうって少し不安で」


 やがて俺たち舞台イベント委員会の面々は、時間を気にし始めた柊木先生によって理科室から追い出され、理科室前の廊下で係ごとに別れの挨拶を交わすのである。


「こちらこそ、一緒にやるのが夏見さんだったから、今はなんとかなるかなって安心してるよ。改めて、今日からよろしくね」

「よろしくお願いします」


 俺と夏見さんは最後に会釈し合って、「それじゃあ失礼します」先に歩き始めたのは夏見さんだった。


「……………………」

 俺はその場にしばらく突っ立ったまま夏見さんの背中を見送り。


「……………………」


 あの子がくだんのくノ一さんであれば……と、一年六組・市ノ瀬くんの顔を思い出す。つい軽く笑ってしまう。


「はは――」


 なんの因果か、『一度目の人生』ではその存在すら知り得なかった女忍者と一緒に仕事するっていうのだから、この『二度目の人生』は本当に面白い。


 そもそも一度目の人生じゃあ、他学年の生徒と交流するなんてこと、ほとんどなかったのだ。それが――ただの美少女じゃない。美少女忍者だって言うのだから。


「先輩、か。どうにもくすぐったいな」

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