10.中学三年生:オタク狩り狩りのパーカーマスク

 俺は西府中市では暴れることができない。


 何がどう繋がって『二〇一六年の八月末、野間さんと青木さんが無惨に殺される』という未来が変わってしまうかわかったものではないからだ。


 ――近藤先生殴られて鼻血事件。

 ――喧嘩最強ランキング貼り出し事件。

 ――ヤンキーバイク校内疾走事件。

 ――六股男の永井くん、女子のビンタで気絶事件。


 今のところ一度目の人生で起きた事件は二度目の人生でも同様に発生している。

 小学校と中学校のクラスの顔ぶれも覚えている限りはまったく同じで、クラス担任も当然同じ。


 明確に違うのは、俺だけだ。

 杵築東悟という人間の存在だけが一度目と二度目でまるで違う。


 一度目の杵築東悟は、どこにでもいるオタク少年で空手家ではなかったし、特別目立つような体格の持ち主でもなかった。


「……さ、坂本さんが、一撃……?」


 ましてや、大きな黒フードを目深に被り、更には白いマスクで顔を隠した上で見知らぬ不良と喧嘩だなんて……経験どころか考えたことすらなかった。


 俺は西府中市では暴れることができない。

 だが、物騒なトラブルが日常茶飯事レベルで発生する都心の繁華街ではそうではない。


「つ、次――!! 次はお前行けよ!」

「ふざけんなっ、お前が先に行け!」


 人々の雑踏にまみれた土曜日の夜。

 俺は、大手家電量販店から出てきた不良三人と気弱そうなオタク青年一人という奇妙なグループを追って、オタク狩りの現場に遭遇していた。


 人気どころか街灯もない裏路地に連れ込まれたオタク青年。

 不良三人に凄まれた彼が財布を出そうとした時に『お兄さんたちそこで何やってんの? カツアゲは犯罪だよ?』なんて声をかけたら、そのまま喧嘩に発展だ。

 首筋にタトゥーを入れた男がいきなり殴りかかってきたから――いきなり反撃した。


 結果、タトゥー男は俺にみぞおちを殴られて長い長い呼吸困難に陥り、残る不良二人は『とある噂』を思い出したらしい。


「オタク狩り狩りのパーカーマスク……? ……本当にいたのかよ……」

「噂よりも全然デケぇし、全然強ぇじゃねえか! あの坂本さんが一発だぞ!?」


 オタク狩り狩りのパーカーマスク。


 中学三年生の春――土日の夜に繁華街を歩き始めて早二ヶ月が経とうとしているが、都心の不良たちの間では『フードとマスクで顔を隠した男がカツアゲを止めてくる』という噂が広まっているらしい。


 喧嘩の経験を積みたくて始めたこの活動――今夜のタトゥー男で九人目。


 できれば残る二人にも襲い掛かってきてもらいたかったが。

「だ、だからオレはオタク狩りなんてやめとこうって言ったんだ!」

「ずりぃぞ! 止めたのはオレだろうが!」

 タトゥー男を一人残して逃げ出した弱者に興味はなかった。なんだ意気地のない……と思ったら小さなため息が出た。


「…………て、てめ……反則、だろ……」


 不意に聞こえたそれは足下からのうめき声。みぞおちを押さえてうずくまり、軽く嘔吐までしたタトゥー男が必死に呟いたらしい。


 俺はタトゥー男をいたぶることなく――しかしスニーカーの足先を、うずくまったタトゥー男の鼻先に置いて、その両肩をビクリと震わせる。


「何が?」

「……そ……そんなにデカい身体、反則だ……は、反則野郎め……」


 俺は「は~~~」と深く嘆息してこう思うだけだ。


 ――どいつもこいつも簡単に言いやがって――


 タトゥー男の顎先をスニーカーの爪先で持ち上げて、無理矢理に俺を見上げさせてから問う。

「反則って――お兄さんは、自分の遺伝子の限界に挑戦したことはあるのかい?」


 俺の声色と行動が怖かったのだろうか。俺がこれからタトゥー男を撲殺するとでも想像しただろうか。カツアゲの危機から救われたオタク青年が「そ、それじゃあ、ボクはこれで――」と愛想笑いで裏路地を出て行くのだった。


 俺は、走り去るオタク青年を気に留めることもなく、恐怖と苦痛と悔しさに顔をゆがめたタトゥー男を見下ろして口元だけで笑った。


「よく見ろ。俺は死ぬ気でやってる」

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