第31話
夏の朝のはじまり
薄いカーテン越しに、柔らかな朝の光が病室を満たしている。窓の外では、どこかから聞こえる小鳥のさえずりと、遠くで鳴る蝉の声が心地よいハーモニーを奏でている。彼女は目を開けた。久しぶりに迎える、すっきりとした朝だった。
昨夜の睡眠導入剤が効いたのか、それとも単に疲れがたまっていたのか。どちらにせよ、深く眠れたことは確かだった。身体が軽い。病室特有の重たい空気が、今朝は不思議と感じられない。
彼女はベッドからゆっくりと身を起こし、手を伸ばしてカーテンを少しだけ開けた。窓の外には、青々とした木々が揺れている。風がそよぐたび、葉が擦れる音が聞こえ、そこに漂う空気が夏特有の新鮮さを運んできた。
「いい朝だな……」
自然と口元がほころぶ。こんな朝は、何か新しいことを始めたくなる気分だ。彼女は視線をベッド脇の小さなテーブルに移した。そこには昨日、主治医がくれた二冊の本が置かれている。
一冊目は「ウメハラの本」。表紙には、闘志に満ちた瞳を持つ男の姿が描かれている。プロフェッショナルとしての道を追求する情熱と、その裏にある孤独や葛藤が語られているという。彼女はまだその本を開いていなかったが、読むだけで何か得られそうな予感がする。
二冊目は「ソープへ行けおじさん」の本。タイトルだけで笑いを誘う奇妙な一冊だが、何か深いテーマが隠れていそうだと思った。軽いユーモアの中に、どこか人生の核心を突くような内容があるのではないか、と期待している。
「どっちにしようかな……」
本を読むか、それとも体を動かしてみるか。彼女は少し考えた後、ふと足を床につけて立ち上がった。
「まずは体操でもしよう。体が目覚めてから読むほうが、きっと集中できる。」
彼女は窓の前に立ち、深呼吸をした。外から吹き込む夏の風が、心地よく頬を撫でる。軽く肩を回し、首をほぐし、腕を伸ばす。伸びをするたびに、眠っていた筋肉が少しずつ目を覚ましていくのがわかった。
「気持ちいい……!」
彼女は笑顔になった。日々の疲れや心のモヤモヤが、この朝の新鮮な空気に溶けていくような感覚。
体操を終えた彼女は、再びベッドに戻り、ウメハラの本を手に取った。指先でページをめくると、最初の言葉が目に飛び込んできた。
「自分の道を選ぶ勇気。それはいつだって、誰にも必要なものだ。」
彼女はその一文に吸い込まれるように、次のページを開いた。夏の朝は始まったばかりだ。今日は良い一日になりそうな気がしてならなかった。
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