31 サタナエルゲーム

 びくんと何かが跳ねるように体が痙攣して目覚める俺。

 もしやあっちの時空にテレポート出来たのかと一瞬期待する。

 しかし、現実は変わらず、俺は自室のベッドの上にいた。

 右側には空の壁紙。左側にはラグビーの壁紙。

 何も変わってはいない。

 俺は落胆でおかしくなりそうになりながらも、上半身を持ち上げると机の上の時計を見た。

 時刻は2017年12月14日午後2時。


『たぶん3時間ほど眠れましたよね? 駄目だったんですか?』


 亜翠さんに聞くが返事がない。


『亜翠さん?』


 再び聞くと、亜翠さんが落胆した様子で『ごめんたっくん、私にはもうどうしようもできない』とだけ言った。


『いえ、良いですよ。どうせこんなことだろうと思ってたので。やっぱり統合失調症の幻覚なんですよね?』

『……』


 亜翠さんは答えなかった。

 俺は起きて、いつものように顔を洗うために洗面台の前に立った。

 鏡の前には涙で腫れたように見える目が写っていた。

 顔を洗うと、俺は一階に降りていき、いつもよりもだいぶ遅い朝食を食べた。

 それからは、地獄が始まった。

 いや既に量子テレポートの試みから地獄は始まっていたと言った方が正解かもしれない。


『亜翠さん?』


 話しかけるが返事がない。

 まるで香月さんのようにいなくなってしまったのかと不安になるが、しかし何度か話しかけていると、曖昧に『うん』とだけ返事をくれた。

 そうして朝食を食べた俺は、再び二階の自室のベッドへと戻った。

 電気毛布を点け、暖かくして風邪を引かないようにする。


「熊総理はなにしてるんだろう?」


 そう呟き、俺は再び熊総理へと話しかけようとする……のだが。


『たっくん、熊総理に話しかけるのはやめてください』


 そう矢那尾さんに言われてしまった。


『なぜですか?』


 俺は矢那尾さんに聞く。


『それは……ごめんたっくん、言えないの』

『熊総理が最初におめでとうって言ってきてからそんなのばっかりですね、みんなおかしいですよ』

『うん、ごめん。事情を説明したいんだけど、出来ないんです』


 矢那尾さんがしきりに俺に謝ってくる。

 そうこうしていると、また幻覚が俺を襲ってきた。

 黒いもやが視界に現れる。なにがしたいのかは最初は分からなかったが、どうやらみんなを侵食し始めたように思えた。善の勢力のイメージがカラーの人の気配に覆いかぶさるように、黒いもやが侵食していく。


『たっくん。サタンの侵食があるけど、余り気にしないで。私達は大丈夫だから』


 亜翠さんがそう言うが、それ以上の説明はしてくれなかった。

 俺はみんなが心配だったので絶対命令を発して見ることにした。


「サタンの侵食からあっちの時空を守る。サタンを味方に付けサタナエルとして使役する」


 再び中2病的な文言を含めての絶対命令。

 そして更に思いついて口にする。


「小日向拓也が香月伊緒奈を守る!」


 香月さんとは念話ができなくなっていたが、しかし心配だったのでそう言ってみた。

 無、論絶対命令にほぼ意味がないことは分かっているつもりだ。

 それでも、藁にも縋る想いで俺は絶対命令を発すると決めていた。

 そうこうしていると、どんどんと色々な人のイメージにサタンが侵食していくのが分かった。

 俺が思いついたのは主にアニメの声優さん達だったが、くろいもやの侵食を受けてイメージがカラーではなくなっている人たちがいた。


『俺、みんなを守りたいので、また絶対命令を発しますね』


 そう断りを入れると、「善の勢力の味方をサタンの侵食から守る! サタンを味方につけサタナエルとして使役する!」と現実で口から発した。

 そんなことを何度か繰り返し、口が使いすぎで乾いてきた頃、持田さんが『たっくん、余り無理しないで』と言ってくれた。

 その持田さんの俺への気遣いが合図だったかのように、黒いもやが侵食のスピードを上げた。


 そうすると、俺は次々に声優さんたちへと念話で声をかけ始めた。


『大丈夫ですか?』

『あぁ僕は大丈夫だよ、ありがとう。君のおかげでこっちの世界に来てるから大丈夫さ』


 平成の某有名ロボットアニメで主役を演じた男性声優さんがそう答える。


『久沢さんも大丈夫ですか?』

『あぁ……僕も大丈夫だ、サタンの侵食になんとか耐えている』


 某能力者アニメで喋る猫役を演じた、養成所講師もやっている久沢直弥さんが答える。

 そんな風に俺は数々の向こうの世界へと渡って行ったという声優さん達と念話をしながら、サタンの侵食をなんとか食い止められないかと頑張っていた。

 しかし……。


『たっくん、サタンの侵食を受けて一部の人がおかしくなり始めたみたい』


 亜翠さんがそう報告してきた。


『具体的に誰が?』


 俺が聞くと、亜翠さんが『久沢直弥さんがおかしくなってるみたい』と言った。


『久沢さん? 大丈夫ですか?』


 俺が念話で話しかけると、久沢さんは『その……』とだけ言った。


『……その?』


 問い返す俺。なにかがおかしい。

 その……の続きがいつまで待っても出てこない。

 しかし暫くして、『その……久沢直弥は……サタナエル』と久沢さんが言った。

 その瞬間、今までかろうじてカラーを保っていた久沢さんのイメージが、一気に黒いもやに侵食されてモノクロとなった。


『久沢さん!? 大丈夫ですか』


 俺は心配になって久沢さんに聞くが、久沢さんからは『あぁ、大丈夫だ問題ない』とあっけらかんとした答えが返ってきた。

 ……おかしい。そう直感した。


『亜翠さん、久沢さんはもしかして……』

『うん、サタンに完全に侵食されたみたい……サタナエルって言ってたよね? どういうこと?』

『もしかして……俺がサタンを味方につけてサタナエルとして使役するって絶対命令を言ってたからかもしれません。使役しきれてなくて、サタナエルが暴走しているってことなのかも』


 俺が思ったことをそのまま念話すると、『暴走……そっかそうかもしれない。白いもやみたいなものもいるってこっちじゃ話題だったんだ』と亜翠さんは納得するように言った。


『白いもやですか……?』


 俺にとっての白いもやと言えば、昨日から見た夢に出てきてモーゼの海割りのように襲い来る超震災の津波を止めた存在だった。

 亜翠さん達にその事を聞いてみようと思った。


『亜翠さん、昨日の俺の夢の映像に出てきた白いもやがかかった存在のこと覚えてます?』

『うん。覚えてるよ』

『あの人って誰なのか分かりましたか?』


 俺がそう聞くと、『ごめんたっくん、そのことは答えられない』と言われてしまった。


『じゃあその人とその新しく出現した白いもやは別の存在ですか?』


 こう聞くと、亜翠さんは『うん。そうみたい』と教えてくれた。


『じゃあたぶん、新しい白いもやはきっと味方になったサタナエルで、黒いもやは暴走してるサタナエルってことですかね?』


 俺はそう直感し分析した。すると今まで黙っていたりつひーが念話してくる。


『つまり……たっくんの敵の黒いもやのサタナエルと、味方になった白いサタナエルと両方いるって認識で良いです?』

『うん、そうなのかもしれない。俺できるだけ暴走した黒サタをこっちの世界に押し留めるようにしてみる!』


 そう宣言すると、俺は「黒のサタナエルをこちらの世界に隔離する!」と言った。

 話によれば、俺が一人だけいるここはどうせ俺が居なくなれば終わるはずの世界なので、暴走した黒のサタナエルが隔離されていても問題ないと考えたのだ。

 無論、統合失調症の妄想の話だという認識はあったが、それでもこの状態をなんとかしたいと思っての行動だった。


『亜翠さんどうですか? そちらは』

『うん、たっくん。こっちの世界へのサタンの侵食は止まったみたい。でも久沢さん達はどうやらおかしいままみたいなの。なんとかできるかな?』

『分かりました、話してみます……久沢さん大丈夫ですか?』


 俺が話しかけると久沢さんは再び『その……その……』とだけ繰り返す。

 どういうことか分からなかった俺は取り敢えず、「その久沢直弥は久沢直弥」と口で言ってみた。するとどうだろう。久沢さんは『ありがとう小日向くん、サタンに侵食されて念話できなかったんだ』と正気を取り戻したようだ。

 どうやら全く絶対命令権限に意味がないというわけではないらしい。


『俺、そちらのみんなを元に戻せないか頑張ってみます』


 そう言うと、主におかしくなっている声優さん達や有名人などに話しかけては、偽物らしい奴には『その◯◯はサタナエル』と看破し、本物らしい人には名前を言い当てることで元に戻していった。

 そうしている内に、黒いもやの幻覚は落ち着きを見せた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る