批判
批判は大切。だけど特に自由に参加できる場所では批判になっていないものが多い。最近は便利な言葉が出来て「お気持ち表明」というやつだ。
批判は地図だ。
創作物を作り手とは違った場所から眺めた時に「目的地がここならこのルートの方がいいのではないか?」と違った地図を提示する。
違った視点からの意見なのだから新しい発見があるかもしれない。反対に地道に歩いた作者にしかわからないことがあるかもしれない。作り手は頂いた批判をよく見て「そのルートだとこの水場に寄れないから物語は脱水して途中で死んでしまう」「そのルートを辿ると泥濘になっていて足取りが重くなってしまうんだ。この物語は軽やかでないといけないだろう」と理由を述べればいい。もしくはよい提案であれば「そのルートの方がいいかもしれない。いい批判をありがとう」と感謝をすればいい。
地図は互いに理解できる緯度経度や等高線や地図記号の規則によって著されるべきだ。不明瞭な地図は遭難者を生む。批判も互いに理解し合うように、また十二分に計測した上でやりとりしないといけない。
できるだけ穏やかにやりとりをすべきだけど、批判はトゲトゲしくなってしまうこともある。時には強い言葉を使う必要があるかもしれない。それでも良いルートを一緒になって模索するのであれば、ある程度は受け入れられるべきだ。
特に自身も作り手であるなら正しく批判をできるべきだし、正しく批判を受け取るべきだ。そのやりとりの中で技術や感性は磨かれる。
良い批判を求めて作るべきだし、心を動かされた作品には良い批判をすべきだ。
お気持ち表明についても考えてみよう。
「このルートおもしろくない」
「センスがない」
「なんて酷い地図だ」
これがもしお金を出した消費者の意見なら受け取るべきだ。一度どういった点がそう感じましたか?と尋ねてみてもいい。もし金銭のやりとりない対等な関係であるのなら、またはどこまでも理由なきただの「お気持ち表明」であるのなら、こちらも相手と同じ程度に汚く「お気持ち表明」で返せばいい。
誰かの創作物を理解したふりをして、そのうえ否定することで自分の能力やセンスを見せつけられると勘違いする人がいる。創作に寄り添う気のない、より良くしようとする気のない意見を表明することはそのまま恥を広めているようなものだ。創作物をより良く変えようという気がないなら何も言わなければいいのに。
違った意見を独善的に判断して取り合わないのもよくない。自分を小さくてしてしまう。自分のために人の作品を利用することはよくない。恥の宣伝になる。
批判は出すにしても、受けるにしても十分に考えを巡らせ慎重で、かつ有益な議論ができる余裕と熱量をいつでも持ちたい。
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