堕ちろ、明けの明星
殺気で肌がひりつく。ミカエルは本気で命を奪いに来るつもりだ。
すると、ルシフェルが一歩前へ出た。顔を上げ、宙に浮いたままのミカエルを見ている。
「……あのとき、僕が首を縦に振っていれば、何か変わっていたのかな」
ミカエルの企てを止めようとして立ちはだかったときのことだろうか。詳細は知らないため、下手に口を挟むことはせず、黙って様子を見守る。ただ、何かあればすぐに動いてアシストできるよう、心構えだけはしておく。
「何が言いたい」
「いや、僕達が変わらず二人で過ごしている未来があったのかなって、ふと思ってね」
「……形は変われど、共には過ごせていただろうな。もう取り戻せない未来だが」
ルシフェルがその未来を掴まなかったことを、今更ながらに惜しんでいるとでも思ったのだろうか。鼻で笑い飛ばしたあと、悪意を帯びた嘲笑を浮かべ、腕を組んだ。
しかし、二人が思い浮かべている未来は、はたして同じものなのか。ルシフェルはこれまでと変わらず二人で過ごす未来を描いていたようだが、ミカエルはまた違うように思える。そもそも、二人が道を違えることになった日──いや、ミカエルが謀反を企てたその瞬間から、違う未来を見ていたのかもしれない。
これが、共に生まれてきた天使達が辿る結末なのだとすれば、少し悲しい気もする。が、ルシフェルへの仕打ちは到底許されるものではない。世界に嘘をつき続け、天界すらも騙してきた。勇者一行の命を奪い、その中でもルシフェルを逃したアンジェリーナのことが許せず、末裔にまで手をかけている。あまりにも身勝手で、あまりにも自分本位。天使としてあるまじき行為だと杏は思う。
それなのに何故、ルシフェルはこのような話を始めたのか。
(まさか、あそこまでされても、一緒に生きたい気持ちが残ってるとか!?)
もう一度話し合えば分かり合えるかもしれないとでも思っているのだとすれば、諦めた方がいい。
すでに、二人の会話は微妙にすれ違っている。同じ未来には進めないのだ。
傷が浅いうちに止めるべきかと考えたが、以前彼が言っていたことを思い出した。ルシフェルがミカエルとして天使に戻れば、堕ちたミカエルはどう思うのか、という話を言い出したときだ。
僕は聖人君子ではないから、と言っていた。
となれば、これもミカエルの言葉を引き出す作戦の内か。危うく、杏が揺らぎかけてしまった。深呼吸をし、思考をクリアにしようと努める。
そうだ、あのようなことを言っていたルシフェルが、ここに来てミカエルに希望を見出すはずがない。
元より、ミカエルを堕天させると、そう決めて、これまで行動してきたというのに。気を引き締めなければ、と気合いを入れ直す。
「描いていた未来からは異なるものになったけど、それについてはどう思ってるのかな。僕を恨んでる?」
ああ、やはり。ルシフェルはわかっている。二人の描く未来が異なることに。杏は胸を撫で下ろした。
「いいや、別に。これはこれで良いからな。むしろ、準備を整えやすくなった」
「それって、何の準備?」
「……これから死にゆく者に、話す必要があるか?」
言葉を濁した。おそらく、ガブリエルを警戒してのことだろう。
杏も一歩前に出て、ルシフェルの隣に立つ。
「あんたさ、前に言ってたよね。真実を話したところで、最後は全員殺してしまえばいいって。言ってること、矛盾してるよ」
他にも「お前に計画を邪魔された」だの「お前を逃したアンジェリーナも憎くて憎くて堪らない」だの。好き勝手にルシフェルへ言っていたが、今思えば、あの言葉だけでは創造主は意図を汲み取れなかったのだろう。
何せ、ガブリエルが初めて姿を見せたときのこと。ルシフェルを見て「なんて生き汚い。死んでいればいいものを」と言っていた。
ルシフェルの気配を察知し、天界では「魔王サタンを仕留め損ねていた」と考えられていたのかもしれない。であれば、勇者として魔王サタンを退治しようとしたが、アンジェリーナが逃したことにより計画が破綻した、と受け取られた可能性もある。
報告どおりではないとわかっても、ミカエルには何のお咎めもない。ならば、創造主は自分以外の命がどうなろうと興味がなく、他の天使や人間、世界が脅かされるよりも、創造主自身への謀反が一番許せない。という杏達の考えは、概ね当たっていると見ていいはず。
つまり、ここでミカエルには語ってもらわなければならない。
ルシフェルへ着せた、己の罪を。
きっと、今が最初で最後のチャンスだ。
「あたし達は死にゆく者なんでしょ? だったら、話してよ。そんなもったいぶらないでさあ。前はあれだけ強気だったじゃん」
「アンジェリーナによく似ていると思ったが、あれはまだ思慮深いところがあった。貴様は浅いな」
「浅くて結構。っていうか、あたしの悪口は今いらないんだわ。そうやって話の本筋からずらそうとするのはやめてくれる? その都度戻すの面倒なんだよね」
金色の剣の切先が杏へと向けられる。
「忘れていた。貴様から殺すと宣言していたな」
「ほら、また話を変えようとする。そんなに話したくないんだ? 話すとまずいことでもあるわけ?」
浴びせられる殺気は凄まじく、額にじっとりと汗が滲む。呼吸もままならず、立っているのがやっとだ。
それでも、杏はミカエルから視線を外さず、挑発を続ける。話を逸らし続けるのも、殺気を浴びせてくるのも、ミカエルにとって都合が悪いからだ。今はまだ理性を保ち、何とか冷静でいるようだが、必ず崩してやる。そんな気持ちで、杏は自分を奮い立たせていた。
「ねえ、ルシフェル。今の君には、不満はないのかな」
「……何が言いたい」
「この力を自分のために使いたいとか。ほら、僕に訊いてきたでしょ? 今、君は僕の力を持っているから、どうなのかなあって気になってね」
「……っ」
そんなことを訊かれていたのかと思っていると、ミカエルの表情が険しくなった。
これもまた、地雷なのか。そこへ、ルシフェルが言葉を続ける。
「都合のいいように使われて、何も不満はないのかなって」
「黙れ」
「全天使の長だし、神の右に座することすらも許されている。そんな君なら」
「黙れと言っているだろう!」
金色の剣がルシフェルへ向けて勢いよく投げ飛ばされた。それは鈍色の剣で弾かれ、ルシフェルに当たることなく地面へ叩きつけられる。
ミカエルを見れば、眉間に皺を寄せ、奥歯を強く噛み締めているようだった。
──理性が、冷静さが、失われつつある。
あと少し。あと少しだ。されど、ここで浮ついてはならない。ルシフェルを横目で見れば、彼は薄らと笑みを浮かべていた。
「ごめんごめん。ルシフェルは真面目だから、創造主のために生きているんだよね。その力を存分に奮っているんだよね」
「……は?」
「本当に偉いよ。創造主に何も求めずに尽くして、それで満足してるんだよね? 報われないとか不満があるとか、そんなこと考えたりもしないよね? だってルシフェルは、創造主のために生きる存在だもんね」
この言葉が、辛うじて残っていたミカエルの理性をなくさせた。
「──っ、ふざけるな! この俺が、創造主に尽くして満足? 不満がない? 笑わせるな!」
ミカエルの怒声に、ビリビリと空気が震える。
「創造主が輝ける美しい天界を維持するために生かされ、与えられた役割をこなさなければならない日々。退屈で退屈でたまらなかった! これは、俺が持って生まれた美しさだ。力だ。それなのに、創造主の都合のいいように扱われるばかり。何故、自分のために使ってはならない!」
「……僕達は、創造主から生み出された天使。この美しさも、力も。持ってはいるものの、すべては創造主のためのものだよ」
「俺はそれが気に入らないのだ。誰もが貴様と同じように古き時代を良しとし、変化を望まない。だから俺は、創造主への謀反を企てた! 今ある天界を壊し、俺の手で新たな天界を築き上げてやろうと思ったのだ! そして、それがもうすぐ叶う! すでに準備は整っているのだからな!」
──言った。
今、ミカエルは自ら罪を口にした。杏は即座にガブリエルの名を叫んだ。
「ガブリエル! 今の記録した!?」
「ああ、すぐに創造主へ伝わる」
「……貴様ら、これが目的だったか。何か引き出そうとしているなとは思っていたが」
ミカエルは再び金色の剣を取り出し、こちらへ向かって飛んできた。
「伝わる前に殺してやる。特にアンジェリーナの末裔、貴様だけは」
防御魔法で弾けるか、と杖を構えたときだった。
何かに固定されたかのように、ミカエルの身体が空中で不自然に止まった。手に持っていた金色の剣はサラサラと砂となって形を失い、ミカエルも顔が青ざめていく。
そこへガブリエルが姿を現した。手には書物のようなものを持っており、あれが神の記録と言われる天の書物なのだろう。
「き、貴様ら……! 許さん、許さんぞ!」
ミカエルはもがこうとするも、身体は動かない。余程の力で固定されているのだろう。
許さないなんて、ミカエルが言えたことではない。これは、今までついてきた嘘の代償。ようやく、払うときが来たのだ。
杏はミカエルへ視線を向けると、これまでの怒りをぶつけるかのように言葉を投げた。
「堕ちろ、明けの明星」
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