第1話 家族の絆 ⑤60日間のドラマ

 1か月の準備期間を経て、『シェアリングボディ』が本格稼働を迎えた。


 藤原の立ち合いのもと、大門の意識は吉田の体に移行された。


「これから60日間、『シェアリングボディ』の稼働期間が続きます」

 藤原が続けて説明する。

「何か問題があれば、すぐにご連絡ください。そして、この契約内容については他言無用です」


***


 鏡の前に立つ大門は、吉田の顔をじっと見つめた。鏡に映るのは若い吉田の姿――だが、その瞳には明らかに大門の意志が宿っていた。


「よし、行くか」


 大門は静かに気合を入れる。その一言で吉田の顔が引き締まり、堂々とした表情に変わる。


 その様子を意識の奥で見ていた吉田は、驚きを隠せなかった。


「これが俺の顔か?いや、でも……全然違う」


 顔は自分のものだ。しかし、その表情や立ち振る舞いから溢れる自信と迫力は、これまでの自分にはないものだった。


***


 最初の数日間、大門は若さを取り戻した喜びに浸っていた。彼は次々と新しい活動に挑戦する。テニス、ゴルフ、さらにはスカイダイビングまで。


「吉田君、こんなに体を動かせるなんて、本当に素晴らしい!」

 大門はしばしば感嘆の声を上げていた。


 一方で、大門が喜びに満ちて活動する陰で、吉田は自分の身体が変化していく感覚に戸惑いを覚えていた。

「身体が自分のものではなくなる恐怖」や「寿命が縮むかもしれない」という不安が、毎日吉田を襲う。だが、妹の笑顔を思い出すたびに、自分を奮い立たせた。


***


 大門は、軽やかな動きやクリアな視界を楽しむ日々は、大門にとって新鮮だった。ジムやランニングでの体験は、若さを取り戻した喜びを実感させた。


「これだよ。この感覚をもう一度味わいたかったんだ……!」


 大門の人生は、成功を追い求め、体を酷使し続けた末に訪れた老いによって縛られていた。そんな生活を一時的に忘れさせてくれる若い身体での日々は、夢のようだった。


 大門が若い身体で自由と喜びを満喫する一方、吉田は「若さは当たり前ではない」ということを実感し始めていた。大門の過去の話を聞くたびに、自分がこれまで何を大切にしてこなかったのかを反省していた。


 日々の活動で大門が走ること、跳ぶこと、食べることに新鮮な喜びを感じる中、夜だけは違った時間を過ごしていた。興奮から離れ、自分の内面と向き合うように静かに家で過ごすのが大門の日課だった。


***


 ある夜、大門は吉田に問いかけた。


「吉田君、君はなぜ体を提供しようと思ったんだ?」


 吉田は少し考え込んだ後、ゆっくりと話し始めた。


「僕には8歳年下の妹がいるんです。両親が早くに亡くなって、二人きりで暮らしていました。でも、生活が厳しくて……僕一人の稼ぎじゃ、高校も大学も通わせてあげられそうにない」


「妹さんが進学するための金……それが動機か?」


「はい。でも、今回僕が体を提供したことで、なんとかなると思っています。妹には幸せになってほしいんです」


 吉田の言葉には迷いがなかった。その決意を聞いた大門は感嘆すると同時に、心の奥に封じ込めていたある記憶を呼び覚まされた。


「……俺にも妹がいたよ」


「えっ、大門さんに妹さんが?」


「俺が事業に夢中になっていた頃、あいつはよく手紙をくれていた。でも、返事を出したことはほとんどなかった。結婚して家を出てからは連絡も途絶えてしまったよ。俺は両親の葬式にも顔を出さなかった薄情者だ」


 大門の顔には、苦々しげな表情が浮かんでいた。


「今回、体を借りる話が来たとき、真っ先に妹のことが頭をよぎった。しかし、『シェアリングボディ』のことを口外してはいけないルールもある。今さら俺が会いに行ったところで何になる?80歳近いあいつも、俺なんかに会いたくないだろう……そう思って諦めることにした」


「会いたくないわけないですよ!」

 吉田は真剣な声で言った。

「もし僕が亡くなった両親に会えるなら、どんな形でも会いたいです。妹さんも、きっとそう思っていますよ」


「……」


「大門さん、後悔するより行動しましょう。人生で大事な人に会うチャンスがあるなら、それを逃すべきじゃありません」


 吉田の説得に、大門は考え込んだ。そして翌日、妹の居場所を探し始めることにした。


***


 過去の資料や行政データを頼りに、時間をかけて情報を集めた結果、妹が現在も生きており、近隣の住宅街に住んでいることがわかった。彼女はもうすぐ80歳であり、子どもや孫などの家族に囲まれて穏やかな生活を送っているらしい。


 大門はその情報を知り、心に強い安心感を覚えると同時に、葛藤を抱えた。


「大門さん、手紙を書くのはどうでしょう。1か月後に会いたいということを伝えればルールを違反することなく再会できます」


「今さら俺が会いに行くことで、あいつにとって何になる?あいつにはあいつの暮らしがある。それを今さら俺が邪魔しても仕方ないだろう。年は老いたが元気にやっていることがわかればもうそれで十分なんだよ」


 少しの沈黙の後、吉田が声を上げた。


「大門さん、妹さんに会うべきです。あなた自身が会いたいと思うなら会えばいいんです!」


 大門は深く考えた末、行動を起こす決意をした。身体の秘密は守りつつ、手紙を渡すことにした。


 大門は手紙を書いた。そこには、自身の近況や年齢のため思うように身体が動かせないこと、そして1か月後に会いに来てほしいという要望が綴られていた。


***


 妹の住む家は、庭が広がる静かな住宅街にあった。大門は少し離れた道端から様子を伺った。


 庭では子どもたちが遊び、その中心には年老いた妹の姿があった。若い頃の面影を残した彼女の笑顔は、幸福そのものだった。


 大門は胸が締め付けられる思いを抱えながら、その場に立ち尽くした。妹が幸せそうに子どもたちと遊ぶ様子を見て、大門は自分の心のどこかに残っていた重みが軽くなるのを感じた。しかし、同時に、過去の自分の冷たさや、家族と過ごせなかった時間への深い悔恨も再燃した。それでも、彼女が幸せに暮らしていることを確認できたことで、心に静かな平和が訪れた。


「はるか……」

 大門は呟いたが、その声は風に消え、自分の中だけのものとなった。


 数分後、妹が庭から家の外に出てきた。大門は震える手で手紙を持ち、意を決して話しかけた。


「はるか……いや、大門はるかさんでしょうか」


 妹は驚き、目を細めながら答えた。


「その苗字を聞くのは何年ぶりだろうね。結婚して苗字は変わったけど、私は大門はるかだよ」


「大門宗一郎さんからこの手紙を預かっています……受け取っていただけないでしょうか……」


 妹は驚いた表情を浮かべた後、涙をこらえるような顔で頷いた。


「ありがとう。兄が今も生きていると知ることができただけで、胸がいっぱいだよ。」


 大門は堪えきれない感情を抑えながら、

「ありがとうございます」

 とだけ告げてその場を立ち去った。


***


 その夜、大門は吉田に話した。


「妹が幸せに暮らしている姿を見て安心したよ。手紙も渡せたが読んでもらえるだろうか」


「大門さん、絶対に読んでもらえますよ。きっと、体が戻った後に本当の再会をすることができます」


 大門は静かに笑みを浮かべた。そして続けた。


「俺の人生は、吉田君の言う通り後悔もあった。でも、この最後のチャンスで、大事なことを思い出せた。君には心から感謝している」


「吉田君、君の体を返すよ」

 大門は静かに告げた。

「君の人生を生きるのは君自身だ。俺はもう……十分だ……」


 吉田は驚きつつも、大門の決断を受け入れた。

「大門さん、本当にいいんですか?」


「ああ、君のおかげで大切なことを思い出せた。それだけで十分だ」

 大門は微笑んで続ける。

「それに、君にも自分の人生がある。妹さんのためにも、しっかり生きていってくれ」


 大門はレンタル期間の終了を待たずに、吉田の体を返却することを決めた。


***


 翌日、大門は藤原に連絡を取り、契約の早期終了を申し出た。

 藤原は冷静に念を押して確認をした。

「まだ稼働開始から50日しか経過しておらず10日間残されています。人生で1度きりで、2度目はありませんが本当によろしいですか?」

 大門は藤原に固い決意を伝えた。藤原はそれ聞いて了承した。


 大門は、最初のホテルに戻った。すでに藤原が待機しており、手には一台のタブレットを持っている。

「このタブレットを操作することで契約は終了になります。本当によろしいですね?」


「ああ、もう十分だ」

 大門は静かに頷いた。これまでの葛藤が嘘のように穏やかだった。


「かしこまりました」

 藤原はタブレットを操作し、大門の意識を吉田の体から元の老いた体へと戻した。


 大門は再び自分の老いた体に戻った瞬間、痛みや不自由さを感じた。しかしその表情には、これまでにない穏やかな光が浮かんでいた。


 吉田は、自分の体に意識が戻った瞬間、まるで長い夢から覚めたかのような感覚に襲われた。身体の感覚が戻り、自分の手足、声、呼吸がすべて自分のものであることを再確認する。だが、その再会は複雑な感情を伴っていた。自分の若さを他人に貸し出すことで得た金銭は妹のためではあったが、その間、自分の身体が異なる存在に支配されていた恐怖や、自分の人生を一時的に手放すことへの不安が一気に押し寄せてきた。


 しかし、それ以上に、自分の体を取り戻した喜びが吉田を満たした。吉田は再び自分の人生を生きることができるのだ。そして、この経験を通じて、彼は自分の若さがどれほど貴重であったかを理解した。妹の笑顔を守るための決意は、さらに強くなった。感謝と解放感、そして新たな責任感が彼の心を支配し、再び自分の人生をしっかりと歩み始める決意を固めた。


「これでまた、僕の人生だ…」

 吉田は静かに思った。自分の体を取り戻したことは、彼に新たなスタートを与え、家族のためにさらに努力する力と勇気を与えてくれた。


「これで契約は終了になります」

 藤原が静かに告げると、大門は自らの体に宿る感覚を確かめるように腕をさすりながら、吉田に話しかけた。


「吉田君、ありがとう。君の若さを借りて、私は人生で最も大切なことを学んだよ」


 吉田は深く頭を下げた。

「こちらこそありがとうございました。大門さんとの経験は、僕の人生観を大きく変えました」


 その後、大門は藤原に頼んだ。

「藤原君……鏡を貸してくれないだろうか」


 藤原は静かに頷き、小さな鏡を差し出した。

 大門はそれを受け取り、しわだらけの顔をじっと見つめた。


「これが俺の体だ。そして、これが俺の人生だ……」


 鏡越しに見た自分の老いた顔。その中に刻まれた無数のしわに、生きてきた年月がよぎる。ふと、妹の幸せそうな笑顔が脳裏に浮かんだ。子どもたちと遊ぶ妹の姿。その光景を思い出すと、大門は自然と微笑んだ。


「あいつはもう十分幸せだ。それを知っただけで、俺も少し若返った気がするよ」


「僕にも鏡を貸してもらえませんか」

 吉田はそう言って藤原から鏡を受け取った。鏡に映るのはいつもの自分の顔。しかし、その奥に宿る意志の強さは、これまでの自分にはなかったものだ。


 吉田の脳裏には妹のことが浮かんでいた。

「3か月近く一人にさせてしまったけど……大丈夫だろうか」


 そんな吉田に、大門は優しく声をかけた。

「早めに帰った方が良い。家族の大切さは、君が誰よりも分かっているだろう」


 吉田は目を見開き、深く頷いた。

「ありがとうございます、大門さん。あなたの言葉、ずっと忘れません」


「いや、私の方こそ感謝している。君のおかげで、大切なものを取り戻せたよ」


 吉田は藤原に帰宅の許可を確認し、大門にもう一度深々とお礼を言うと、部屋を後にした。


 大門は窓を見つめ、暮れゆく街を見つめた。老いた体の不自由ささえ、今はどこか心地よく思えた。妹が子どもたちに囲まれて幸せに暮らしている、その光景を思い浮かべながら、彼はそっと呟いた。


「これが俺の人生だ……悪くなかったな……」


 庭の桜が淡いピンクの花を咲かせ始め、冬の終わりを告げるように、やわらかな風が吹き抜けていた。

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