第52話 雪合戦
新学期が始まって間もなくのこと、桜が満開だと言うのに東京に大雪が降った。
朝起きてみると、屋根と屋根の間の狭い庭に降った雪も、二十センチ以上積もっていた。博之にとって始めての経験で、これまでにこんな積雪は見たことはなかった。
いきなり照雄兄が顔を出し、
「おい博之、お前も来て手伝え!」
と呼ぶ。何だろうと出て行くと伯父も居て、母屋から門までの雪かきをしていた。急いで支度をして出直し、雪かきを手伝う。
まず玄関から門まで充分な通路を作り、玄関周りの雪をはきちらして玄関への出入りに雪を持ち込まないようして、伯父は後を照雄に言いつけて引き上げた。門から大通りまでの三十メートルを歩けるようにしなければならない。雪は優に三十センチは在る。路地の中央の部分を切り取って、幅一メートルほどの歩道を作っていった。
学校への出発時間が迫っていた。
「僕、学校の時間だよ、」と言うと、照雄は、
「もう少しだよ、俺も時間がないんだ、手伝え!」
と、きつい命令口調になっていた。博之はそれ以上逆らえず作業を続けた。もう、朝食の時間を縮めるしかない。しかし格別空腹感もなく、むしろさわやかな気分で作業ができた。兄弟で同じ目的で動くことなどこの何年もなかったことだった。初めての雪かきが以外にも楽しくなっていた。
各家の入り口は踏み固めて通路につなぎ、大通りまで歩道を作るのに約一時間かかって終わった。
家に帰ると母が心配して待っていたが、もう座って食事をする時間はない。
「御飯はもういいや、すぐ出かけるから」
と、カバンを取って、おかずのめざしを一匹つまんで口に入れ、部屋を飛び出していった。
急いで雪かきをしたおかげで体は汗ばむほど温まっていた。ちょうど準備運動をした後のように、全身が躍動する。その勢いで博之はカバンを抱えて雪道を走った。
学校について教室まで行くと、ちょうどホームルームが始まったところで、持ち上がりで担任になった柴崎先生が、声を張り上げて生徒が全員静まったところだった。
「清水君・・・」
と一息置いて、何か言いそうにしたが、
「遅刻よ」
とだけ言った。特別なこともなくホームルームは終わる。
その日、新学期最初のクラブ活動(「部活」と言う表現はこの頃はまだない)の日で、放課後、雪の残るコートの前に皆集まってきた。篭球部は部室として決まった部屋もなく体育館などまだない学校で、天気が悪い日は早退するしかなかった。グランドはまだ全面に雪があり到底練習にはならない。
で、銘々帰りかけた時、
「オオイ!ちょっと待てよ」
と呼ぶ声がして、見ると三年の盛田先輩が向こうからやってくる。その声を聞いて帰りかけたみんなも、またコートの周りに集まってきた。
「まだ帰ったらだめだぞ、せっかく集まったんだから体動かせよ」
と、みんなの前に来た盛田部長が言った。
「それはとにかく、みんなに言っておくことがある。俺は一応頼まれて部長になった、けどあまり顔を出せないんだ。で、みんなに異存がなければこの清水を代理にしたい」
盛田先輩は博之を引き寄せ十人ほど集まっていた部員に告げた。
二年になった者六人、新入生四人、二年生はもともと博之が声をかけて篭球に入った仲間だったので、反対するものはなかった。
「盛田先輩、僕は何をすればいいんですか?」
「おお何をやってもいいぞ、練習は自分たちで考えてやれ、スポーツは強くなる前にまず楽しめばいいじゃないか」
と言った、盛田先輩は見上げるほど背が高い。その体に似合うほど気風もおおらかそうで頼もしかった。足元を見れば素足に高下駄を履いている。この時期、まだ巷に残っていた
「雪かきなんかしたらかえってコートが荒れる、お前たち雪合戦でもしていけ」
と言う先輩の言葉にみんなは喜んで同調した。
「じゃあな!」
と、博之に後を託して盛田先輩は帰っていった。
「それじゃあ、めちゃぶつけでいこう」
一斉に間合いを取って雪玉を作り、互いにぶつけ合う。誰が誰にぶつけてもいい。雪の中に異物を入れないこと以外に決まりはない。雪は十センチほどまで解けて水気の多い残雪になっていて、握ってダンゴにすると水が滴るようだったが、それでもしばらくは夢中で投げ合って楽しんでいた。
その時、コートの西側、一段高くなった三メートル幅くらいの土盛りの上に居た二年の高橋君が、野口と一年の青山に同時に狙われる場面ができ、慌ててバラセンのフェンス側にかわそうとした。その状況の推移の一部始終をたまたま博之は目撃していた。
高橋がフェンス側によけてしゃがんで猛の玉を交わし、次に右から来た青山の玉を見て、からだ一つ後ろによけようとした。その時、体重のかかった右足が土盛りの傾斜の雪に乗って滑ったのだ。体は道路側に仰向けに流れバラセンの下にくぐったかと見えた。
青山がいち早く駆け寄った。この時点で、博之からは高橋の肩と頭しか見えない。青山が高橋の傍にしゃがんで、すぐ上体を起こして大きく手を振り、博之を呼んだ。博之からは十メートル。その半分辺りに居た野口が先に着いた。が、手を出しかねていた。
博之が駆けつけてみると、高橋は右目の上にバラセンを引っ掛けた状態で、半身を斜めにしたまま身動きできずにいた。
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