第19話 悪戯
子どものいたずらは、時として大きな事故につながることがある。
いたずらとは「悪戯」であり、これが過ぎるとしばしば大変なことになるものだ。いま、まさに行動しようとする時、その行為によって次に何が起きるかを予測できない者が安易に行動に移すことは、ややもすると「度を過ぎた悪戯」になることがある。その結果がいかに重大であっても、保護者はその責めを免れることは出来ない。そして本人は、一生重荷を負う事となるのだ。
ここに、この愚かな行動を起こしたのは、少年博之であり、母はその重大な責めを、すんでのところで負わねばならないこととなる事件があった。話は以下のごとくである。
二学期も半ばを過ぎたある日、学校で校長先生の特別な話があり、アメリカからの親善物資が一年生に配られることになった。(ララ物資と言った)教室に入り5~6人ずつの組分けをして、グループごとにいろいろなおもちゃや人形が与えられ、みんなでじゃんけんをして勝った順に好きなものを取ることになった。
そのとき博之は一番先に権利を得て、真っ赤なスポーツカーのおもちゃを手に入れた。それは誰もが欲しがった外車のおもちゃで、ゴムのタイヤが付いていて、これまで見たことも無いものだった。だが、これが後の事件の引き金になることなど、この時点では誰も思いもしないことであった。
数日後の午後、たかし君が遊びに来ることになって一緒に米屋の店に寄った。すると「ご飯まだやろうがね、食べていき」とおばちゃんに進められ,よばれていく事になった。博之は、家では白いご飯などめったに口にすることはない。だが、ここは米屋だ。前に母と来た時「真っ白だ!」と声に出して叱られた。ところがお変わりをしたときふと見ると、御ひつの中が真っ黒なのだ。なんだろうと見ていると、おばちゃんがしゃもじで御ひつのふちをぽんと叩いた。すると黒いものはワーと舞い上がった。全部がハエだったのだ。博之は驚いて半分でとめてもらったが、残すことは出来ず、全部飲み込むしかなかった。
小春日和の穏やかな午後であった。スポーツカーをたかし君に貸して、草の上に腹ばってみていた博之は、フッとあらぬことを考えていた。これを俗に[魔がさした]と言うのであろうか。博之の頭に湧き上った思いは、まずおトラ婆さんの顔から始まった。
「お前も食うかエ?」
と干乾びたトカゲのようなものを出して、歯の抜けたしわだらけの顔でニッと笑っている。
「火事を早よう消してくれ!」
と、あの山火事の中で叫んでいると思った。
「そうや!赤い車は消防車やき、火を消さないかん!」
と、突然声を出した。博之を見て、たかし君はきょとんとしていた。
「ちょっと待ちよってや、」
といきなり家の方へ走って行った博之を見続けていた。
博之は家からマッチを持ち出してきた。
「ヒロ坊!早よう火を消してくれ!」
と、山火事の火の中でオトラ婆さんが叫んでいる。博之は、オトラ婆さんのためにこの赤い消防車で火を消すと言う行為が、言わば鎮魂のセレモニーのように、なんのためらいもなく進行できると思った。
例えば、枯れ草に火を点けるとしても、すぐ傍の畑の土の上に一盛りの草を置いてそれに火を点ける。それが最低限度の気配りとでも言えば、博之はその程度の安全策も考慮せず、枯れ草の絨毯の上に一盛りの枯れ草を置いて、それにじかに火をつけてしまったのだ。幼い友はあっけに取られてこれを見ていた。
なんと言う愚かな、犯罪的行為であろうか。博之7歳4ヶ月、あまりにも無知で愚かな行動であった。秋はすでに深く山野は紅葉も散り初める頃、草もみじは色あせて、はや冬枯れ色に敷き詰められていた。
火はすぐついた。小さな透明な炎は不思議な広がり方をする。普通乾いた紙などに火を付けると火は全方向に広がっていくが、それは眼で追える速度でしかない。が、枯れ草は違う。立体的に入り組んでいる枯草は眼に見えない部分で広がり、突然思いもしないところに姿を現す。一メートル四方に広がるのはほんの数秒のことであった。
二人はあわてて踏み消そうとした。しかし、二人の足の裏でそれを消すことは到底不可能なことだと知った。一メートルを踏みしだくうちに、火は次の一メートル、つまり半径二メートルにと広がっていったのだ。もはや少年二人の手に、否、足に負える状態ではなかった。
たかし君がそれを悟って、家へ走った。
もし・・・・、[歴史にifはない!]と言うが、敢えて言いたい。もしこの時、家に富美ちゃんが来てなかったら・・・、もしこの時・・・、ソヨとでも風が吹いていたら・・・、もしこの時・・・、風呂場に水がなかったら、もしこの時・・・、川からもっと遠い場所だったら・・・、もしこの時・・・、たかし君が家に走らなかったら・・・・・?
その時土佐山は大火事になって、博之の家は燃えて無くなり、母は大きな罪を負い、一家は追われて安住の地を失い、家に寝かされていた康雄もその短い命を失い、博之は一生それらすべての罪の重さのトラウマから、抜け出すことは出来なかったであろう。きっと、そうなったはずだ。
博之は呆然として火を見ていた。もはやこの炎に向かって成すことは何も無い、としか思えなかったのだ。
「博之!何てことをしたの!」
母の怒鳴り声がした。冨美ちゃんと叫びあって、畑のすぐ上手にある風呂場からバケツに水を汲んで山側へ走り火の前方から水をかけた。火はすでに山の斜面に上り始めていたのだ。風呂場側から数回運んで、
「冨美ちゃん、こっちは頼んだわね」
と残り水をまかせ、母は川へ駆けた。下の橋からは、30メートルぐらい上流に畑からの道がほぼ水平に10メートルぐらいで行ける。そこから谷川の水を汲み、斜面のやや上に回りこみ火の頭を押さえる。夢中でそんな動作を繰り返し、何度走ったことだろうか、幸いにも火は鎮められた。
あたりにはいつしか薄墨色の夕暮れが迫っていた。その暗がりに火の気らしきものが見えないか、注意深く確かめてみたがどこにも見えない。冨美ちゃんと母は、畑の前に座り込んで、極度の緊張の跡の身体の震えをじっと静めていた。二人に交わす言葉は無い。
そこへ兄の照雄が帰ってきた。
「なにしゆうが?」
状況が理解できずキョトンとしている。母は詳しくは説明できず
「枯れ草に火がついてネ、危なかったのよ」
と、ぽつんと言った。
「ボク、帰らナいかん」
と、たかし君が言った。誰もがその存在を忘れていた。
「あら!そうねエ、それは大変、」
「お兄ちゃん、たかし君をダシちゃんち辺りまで送ってあげなさい」
と、母は照雄に言いつけた。そして、
「博之!お前はここにいて山を見ていなさい、いいわね、万一火のようなものが見えたらすぐに知らせるのヨ!」
と、厳しく言いつけた。
「ハイ」
と、博之は返事をした。もう黙ってうなずくだけでは見えなくて意思は通じない。又言われるだろうと思った。その時はそのくらいに、事の重大さを理解していた。
誰もいなくなった野原に一人になった博之は、山の方を向いて焼け跡に目を凝らして立っていた。焦げた草の匂いがして、風が立ち始めたことを感じた。
この風が三十分前に吹いていたら、今頃この山のあの黒々としたあの高みにまで火が登っていたのだろう、と容易に想像できた。ゾクゾクと身震いして、夜風の冷たさが身にしみるのを感じていた。
冨美ちゃんが家から降りてきた。
「ヒロ坊!寒いろう、これ着いちょきヤ」
といって、はんてんを架けてくれた。
「悪いことしたがやねエ、もうせられんぞね」
と、博之を抱き寄せ、黒ずんだ泣き顔を手のひらで拭ってくれた。
冨美ちゃんは帰り、又一人になった博之はお兄ちゃんが帰るまで、じっと山を見て立っていた。
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