第13話 芋あめ

 その日、珍しくお宮の前まで物売りがやってきました。


 お宮は車の通れる道の突き当たりになっているので、そこまでは時々ポン菓子売りや、アイスクリン売りが自転車で来ることがあったのです。やってきたのは芋あめ売りでした。

 男の子の一人は富美ちゃんのお兄さんの子どもでユークンといいました。ユークンは急いで家まで走って帰るとすぐにお母さんを連れて戻ってきたのです。そして芋あめを持ちきれないほど買ってもらいました。他にも、近くの家の子が一人買ってもらい、あめ屋さんは帰っていきました。


 その光景をお宮の隣の宮村のおばちゃんが見ていました。

 子どもたちはなんとなくちりじりに帰ってしまい、ヒロ坊は所在なげに行く先を決めかねていました。そこに

「ヒロ坊、こっちへコンかね、来てみいや」

と、声をかけてくれたのです。

「おばちゃん、」

と言って、ヒロ坊は縁側にやってきました。

「どうした、ヒロ坊、元気ないがじゃねエ」

「ウン、なんちゃあない(なんでもない、大丈夫)」

とヒロ坊は答えました。

「そうかえ、お母ちゃんはどうしゅうが?」

「ウチで仕事しゆう」

「そうかね、ヒロ坊、これ食べや」

婆ちゃんはさりげなくヒロ坊に買い置いてあった芋あめを与えたのです。

「おおきに」

とヒロ坊は喜んで受け取り口に含みました。そして、


「ユークンはお父ちゃんがいるき、芋あめ買うてち言えるけんど、ぼくはお父ちゃんが死んだき言われん、」

とつぶやいたのです。

 ヒロ坊のつぶやきを聞いた宮村のおばちゃんは、じっとヒロ坊の顔を見ていたのですが、

「コリャいかん!」

と言って奥に立っていきました。涙を見せたくなかったのです。


 それから数日後のことでした。

 宮村のおばちゃんから、ヒロ坊の芋あめの話を聞いた平川の婆ちゃんがお母さんの所へやって来ました。

「文江さん、まあ聞きなさいャ、」

と言って、お母さんに縁談を持ってきたのでした。


 それは、まさに「縁」としか言いようの無い話でした。

 前に一度この家を訪ねてくれた中野さんが、その話のお相手だったのです。中野さんは亡くなったお父ちゃんの後輩で、戦争前にはよく家にも来ていた事は前に書きました。今は、奥さんと男の子を亡くし、中学生の女の子と年老いたお母さんとで暮らしていると言う事でした。その中野さんが、なんと平川さんの長男さんと同じ職場だったのです。

 平川の婆ちゃんは、知り合えてからずっとお母さんをとても気に入っていました。実の娘のように思ってくれていたので、ヒロ坊たちも、孫の様にかわいがってくれたのです。そんなお母さんがこのところ無理がたたったのか、ちょいちょい熱を出して横になっていることも知っていました。

 戦後のこの時節、女手一つで二人の子どもを育てるのは容易なことではありません。そのことも心配で、息子さんと話をして打診していたのだそうで、先方は、事情も分かっていて、乗り気だと言いました。

「おばちゃん、お話は有り難いのですが、子どもたちが・・・」

 ヒロ坊はまだ小さいからいいが、お兄ちゃんは受け入れてくれないのでは、とそれが心配でした。

「おまさん!ヒロ坊の話をききや、」

と、平川の婆ちゃんは芋あめの話を聞かせたのでした。


 盆の送り火も消えて、昼の暑さもようやく収まってきたので、お母さんと二人の子どもは窓も入り口の木戸も閉めて寝ようとしていました。

 その時、外に人の気配がしてドンドンと扉を叩いたのです。

 お母さんは身じまいを整えて

「どなた!」

と鋭い声になってたずねました。

「村の若いもんぜよ、心配ヤキ見に来ちゃったがよ」

と、少し酔ったような若い男の声がしたのです。

「何の御用でしょうか?」

「ほじゃき、心配して見にきちゃったがよ」

 男は声を張り上げました。ほろ酔い加減で夜道をやってきた若い男は、

「心配しちゃるがぜよ、開けちゃりヤ」

と、扉を押したり引いたりしたのです。

「ふざけるんじゃないよ!後家だと思ってナメたら只じゃあ置かないからネ!」

とお母さんが怒鳴りました。そして

「お兄ちゃん、そこのナギナタ持っておいで!」

と、大声で言いました。そして又

「一歩でも入ってみなさい!谷底へ突き落としてやるから」

と言ったのです

 ヒロ坊もお兄ちゃんもびっくりしました。ウチにはナギナタなんて無いのです。お母さんは十三歳から東京で奉公し、怒ると言葉が関東弁になることは二人はよく知っていました。それでも一時はどうなることかと蚊帳の中で手を取り合って、はらはらしていたのでした。

 外の男はお母さんの剣幕に恐れをなしたと見えて、ぶつぶつ悪態をつきながら去っていきました。


 そんな事があってから、お母さんの気持ちは大きく再婚の方に傾いていったのです。

 秋の初めの頃、平川の婆ちゃんと、息子さんと、中野さんがやってきました。

 そして、お母さんは、中野さんのお嫁さんになることが決まったのです。


 でも、住むところはこのままここで暮らすのです。中野さんは高知市の東隣に家があり、ここは市の北はずれです。新しいお父さんになった中野さんは、両方の家を行ったり来たりすることになったのでした。

 新しいお父さんはお酒が好きで、帰ってくるときはほとんど夜で、下の道から

「おーい」

と呼んで、お母さんが急いで迎えに降りていくのでした。

 お兄ちゃんはお母さんに、

「お父ちゃん、て呼びなさい」

と言われたのですが、どうしても言えなくて、馴染みにくそうで、お母さんも困っているようでした。

 お父さんが来てから大きく変わったことは、風呂場が出来たことでした。段々道の中間の折り返しの脇に小屋を建て、水は橋から汲んで五十段ほど運び上げるのです。

 水汲みはお兄ちゃんとヒロ坊の役割になって、ヒロ坊も重い水を持てるだけに減らして、何度も運び上げたのです。竹竿の先に鉄兜をつけたつるべを橋から下ろして水を汲むのです。それをバケツに入れ、両手に持って段々を上がっていきました。


 ヒロ坊の腕が人よりちょっと長いのは、きっとその時のせいに違いありません。





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