第5話 隣人

 あれから毎日、メイからご奉仕を受けながらだらだらと過ごすヒモ生活をしている。さすがに今はこんな状況だ。首を吊ろうなどとは考えてはいない。ただ、だんだんこのままではヤバいとは思い始めている。


 あの時に比べれば、遥にまともな生活を送れるようにはなった。衣食住、全てが揃ったのだ。


 だが、ずっとヒモ生活はまずいだろう。今メイに見捨てられたら、もう生きてはいけなくなってしまう。しばらくは大丈夫かもしれないが、人はいつ気が変わるか分からない。今後まっとうに生きるつもりなら、見捨てられても大丈夫なように今のうちに人生を立て直しておいたほうがいい。


 メイには感謝している。彼女がいなければ、俺はもうどうしようもないと思っていた。それはそれとして、このままずっと頼り切りはまずいだろう。


 働かなくては、と思っているのだが……。


「なあメイ、俺欲しいものがあるんだけど」

「ほしい物ですか? 何でもおっしゃってください。高級腕時計ですか? 高級車? なんでもすぐにご用意いたします」

「いや、そういうのじゃなくてさ、就活用にスーツが欲しいんだが……」

「就、活? まさか、働かれるつもりですか!? それはダメです! 働かれてしまっては、一緒に居られる時間が少なくなってしまいます」


 物静かなメイが、大きな声を出して言った。


「でもさ、ずっとメイに頼りっぱなしというわけにもいかないだろ? これからもずっと一緒にいるとは限らないし」

「いいんです、ご主人様は一生私を頼ってください。言っておきますが私、ご主人様がどんなに私と離れようとしても、地獄までついていきますよ? そうだ、良い事を思いつきました。私、いい仕事を知っています」

「いい仕事?」

「1日8時間、私のご奉仕を受けるだけの簡単なお仕事です。休日120日、福利厚生あり、日給3万円から、昇給あり。いかがでしょう?」

「いいわけあるか! そんなの仕事じゃない」

「では、キス一回一万円とかならどうです?」

「だから、そういうのじゃなくてさ、俺はちゃんと働きたい」


 俺が強くそう言うと、しぶしぶといった様子ではあったが、スーツを用意してくれることになった。これで就活できる。いい仕事にありつけるといいんだけど。


「ところでご主人様、いつまでも私に頼ってばかりはいられないとおっしゃっていましたが、まさかスーツはただで買ってもらおうと思っていらっしゃいますか?」

「そ、それは働き始めたら、ちゃんと給料で返すから……」

「それではいつになるか分かりません。スーツ代分、たっぷりキスさせてもらいますがかまいませんね?」




 こうして毎日メイとキスしながら日々を過ごしていると、ある日マンション住人全員にとある紙が回ってきた。騒音の苦情に関するものだ。うるさいので、夜中は静かにしてほしいという内容であった。どこの部屋がうるさいのか、そこまでは書いていない。そこを書いてしまうと、トラブルが大きくなると考えての判断だろうか?


 騒音の心当たりはある。おそらく隣だ。隣はどうも楽器の演奏をしているようだ。たまにピアノの音が聞こえてくる時がある。それかもしれない。まあ、他の部屋のことかもしれないが。


 どうやら壁が薄いようなので、なにか防音方法を考えたほうがいいかもしれない。


 俺たちも気をつけないと。うるさくしているつもりはないが、隣人トラブルになって、ここに住みにくくなったら困る。


 とはいえ俺たちは楽器を演奏することもないし、子供が家の中を走り回っているという事もない。俺たちには関係ないだろう。そう思っていた。




 そんなこんなで何とかスーツを手に入れたので、俺は就職活動に邁進した。しかし、結果は散々だ。まず、履歴書の段階で落とされることがほとんどだ。短くはない無職期間があり、とくにこれといったスキルも経験も無いときたもんだ。俺が面接官でも、こんなやつはすぐに落とすだろう。


 それは俺もわかっちゃいるんだが、たくさん応募すればどこかの企業が間違えて採用してくれないかなーなんて、甘い事を考えていた。現実は非情である。


 こうして今日もなんとかこぎつけた面接でぼろクソに言われた帰り。マンションまで帰ってきた俺は、エレベーターに乗り込み、自分の部屋がある階のボタンを押す。するとすぐ後ろから、小太りの男性が乗り込んできた。どうやら彼も同じ階の住人らしい。エレベーターが止まる回の表示を見て、ボタンを押さなかった。つまり俺が押した階に下りるという事だろう。


 もしかして、隣人だろうか? ここに引っ越した時、挨拶に伺ったが留守の家があった。そこの住人かもしれない。一応手土産はドアノブにかけておいたが、ここで会ったのも何かの縁、今のうちに挨拶をしておこう。


「初めまして、最近503号室に引っ越してきた山中と申します。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」

「これはこれはご丁寧に。504号室の小森です。こちらのマンションにはお一人で?」

「あ、えっと、一人ではないですね」

「ああ、ご結婚されているんですね」

「いやその、結婚しているわけではないのですが……」

「なるほど、彼女と同棲中ですか。いいですねえ、その頃が一番楽しいでしょう?」


 う、うーん、メイが彼女かと言われると、違うような……? しかし、じゃあどういう関係なのかと言われれば説明しようがない。山の中で倒れていたところを拾いましたとも言えないし。


「ところで、ご職業は何を?」

「えっと、その、今就職活動中です」

「ああ、つまり無職でヒモの屑野郎なんですね」

「えっ?」

「おっと、失礼、聞こえましたかな」


 そんな会話をしながら隣人と共に自分の部屋まで帰って来ると、そこにはメイが待っていた。彼女はTPOをわきまえている。普段はメイド服姿だが、家の外では普通の洋服を着るようにしているようだ。今日も洋服姿だ。よく似合っている。相変わらず美人だ。


 彼女は軽く一礼した後俺に近寄ってきて、俺の帰りが待ちきれなかったのだと言わんばかりに抱きしめてくる。


 ちょ、人前だぞ。


 メイはそのまま俺を玄関の中に引きずりこもうとする。


「す、すみません、俺たちはこれで」


 そう隣人に言って、自分たちの家の中に入った。その瞬間、いきなり俺の唇を奪いにくるメイ。


 その直後、隣からドンっと壁を叩く大きな音がした。

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