第20話 激突
目の前のおれは、既に剣を構えていた。過去に相対した記憶からすれば、おれとおれとは完全に力が互角。ただし、今回は。
ぎいぎいと軋むようなフィドルの音は、昔よく聞いた音色と変わっていなかった。それが、遺構の音に混ざり合い、溶け合い、
今はまだいい。長くかかれば、あちらが有利だ。
同時に踏み込む。同時に振りかぶる。一歩横に避けて剣を振り下ろしたのも一緒だった。紙一重で避けたのも。スウリが叫ぶ。
「イヴーリオ、やめよう。知り合いなんでしょう」
「だが、勇者だ」
おれの突きは軽くかわされる。どういうことだ、と思う。おれとイヴーリオとは勇者がどうという話の前の付き合いだった。それとも、状況が変わって話も変わったのか。何がどんな風に? イヴーリオは言った。
「勇者には、魔物を憎んで貰わないといけない」
ひらりと飛んだその動きは、おれにはできない。楽の力で向こうの身軽さが増している。おれの左腕に浅く傷が入った。
「魔王には、人間を憎んで貰わないといけない」
「魔王……?」
スウリの戸惑いの声を他所に、打ち合う。言葉が耳に入っては抜けていく。集中を削いではたちどころに斬られてしまいそうだった。後で考えろ。後で。勇者と魔王の話なんて……。
「君が魔王になるんだよ、スウリ」
イヴーリオ。それは、何だ。
ぎいん、と強い力で跳ね返される。一歩、二歩後ろに退いた。何が何だ。目の前で何が起こっている。スウリは……スウリは目を見開いて、小刻みに震えていた。
ごうごうと音が渦巻く。剣が再びおれを狙う。黒髪のルー、窪地の村のルー、勇者ルー。……おれより強いルー。おれと同じ顔には表情はなく、奇妙にのっぺりとしていた。四人で来たあの時と同じだ。
せめて、せめてこの面倒な遺構の力、向こうに強さを与えている力がなんとかできれば……。
ヒュン、と音を立てて何かが飛んだ。軽い響きを立ててそれはカラカラと下に落ち、同時にフィドルの音が止まった。それからぱきり、と何かが割れる音。考える暇はなかった。おれは全力で前に進み、体当たりをして相手の体勢を崩す。
案の定だ、
「何がなんだかわからないですが、どういうことです、その前提は」
声と同時にレナルドのリュートが響きを増す。あいつ、石か何かを投げたらしい。
「憎め憎めって、人にやらせることじゃないでしょう」
「君は語り部か。苦労をするぞ」
イヴーリオの声はどこか苦々しげだった。
「誰だって生きてる限り苦労しますよ。だから余計なものを……ルーさんやその子にひっ被せるの、どうなんでしょうかって言ってるんです」
僕は、自分で選んだ荷物以外背負うのはごめんです、とレナルドは歌うように言った。
おれは……
「君は何も知らない」
「その子が子供や死者に敬意を持ってて、とってもハープが上手なんだってことくらいは知ってます。だから一言言いたかっただけ」
あとはご自由に。喋るのを止めたレナルドの指が、華やかな音を次々に奏で出す。フィドルが後に続く。押し返される力が増す。なんとかこのまま優位を……。
「……
瞬間、おれの姿をした魔物は、ずるりと瘴気の塊と化す。黒い霧はしかし散じることもなく、ゆらゆらと漂ってイヴーリオの元にまた凝った。
スウリは、目に涙をためて中空を見ている。まるで満月でも生まれて初めて見た人間のようだった。恐怖と、奇妙な憧れとが白い顔に去来する。そうして、おずおずとイヴーリオの方へと歩いていく。
「スウリ、ちゃん」
背中にかけられたレナルドの声に、僅かに振り向いて。
「ルーに、レナルド。覚えた」
そのまま、駆け出しておれたちの方からは去っていった。
フィドルの音が響いて、三者の姿は掻き消える。いくらでも聞きたいことはあったが——これ以上追いかけてあの
おれは、散った仲間たちの分も、ここでむざむざ命を散らすわけにはいかないのだと、自分にこう言い聞かせた。残り滓のような人生であろうと、だ。
「大丈夫ですか! 早く逃げてくれて助かったけど。……逃げたというか、持ち帰られたというか」
「あの面倒な魔物を外に出されたのは良くないな……」
はあ、と息をつき、起き上がる。レナルドは指が痛むのか、手を振っている。
「音量勝負じゃ勝てっこないですよ。リュートはもっと繊細なんだ」
「途中、助かった」
「ああ、あれ。語り部にあるまじきことをしてしまったな……」
投石のことだろう。そうではなく、とおれは服の埃を払った。
「いろいろと言ってくれて、良かった。スウリに届いたかどうかは知らんが……」
「名前は呼んでくれましたね」
それが多少の友好の証になるのかどうか。イヴーリオの言葉もわからないことだらけだった。勇者がどう、魔王がどう。
おれは……おれは確かに魔物を憎んではいる。結局はそう、仲間を殺したあいつらをどうにかしてやりたくてたまらない、という気持ちはある。
「それでも」
「はい?」
レナルドが丁寧に調弦を終えたリュートを袋に入れる。
「お前の言う通りだよ。人にあれをやれこれをやれってやたらに言われるのは……腹が立つよなあ?」
しゃがんで、床の遺骨が首から下げていた首飾りを拾う。キスタはいつもこれを大事にしていた。どういう来歴かは知らない。聞けなかった。それから、すっかり錆びてしまった短剣。マコールの自慢の種だったっけ。そうして……少し離れたところ、イヴーリオが消えた辺りに倒れていたバーラル。
おれは微かに口を歪めた。その乾いた腕の骨は、誰かに踏まれたのだろう。ぱきりと半分に折れ曲がっていた。誰に? ここにいたイヴーリオに、だ。確かにさっき、音がした。
おれはバーラルの荷物を探った。奴が何か形見になるようなものを持ち合わせていた記憶はない。ただ一枚、四角い木の板に描かれた誰かの絵姿を見つけた。顔のところはもう剥げてしまっていて、よくわからない。
おれは、この絵について何か探るつもりはない。街に戻ったら墓を建ててやって、まとめて埋めてやるつもりだ。それ以上のことは考えていない。
だが、この絵の人物について。バーラルの気持ちについて。あるいはキスタの身に似つかわしくない首飾りの来歴や、マコールの短剣で器用に行われる芸当、そういったものについて、もう何も触れることができないのは、とても、血が滲むほどに悔しかった。
聞いているか、イヴーリオ。おれはお前の言葉じゃない、自分の意思で魔物どもを憎らしく思う。おれ自身の無力もだ。
同時に、スウリのことも思った。彼女がどういう理由で奴と同行しているのか、どういう関係であるのか、魔王とは何か、何もわからない。おれは、おれの憎しみを整理するためにも、何もかもを知らなければならないと思った。
シャルロッテ姫も、こんな気持ちだったろうか。知りたい、というのは。それとももっと明るく無邪気な思いだったろうか。
「レナルド、全部覚えててくれ。姫に報告をする」
「ドラシアン卿にもですよね?」
「当たり前だ」
言いながら、おれはおれの中で、姫が主としてもはや揺るぎない存在になっていることに気づく。羊皮紙に囲まれた、金細工の髪の姫。広くて狭い部屋の中で、目を輝かせて話を聞いてくれるに違いない。
そんな姫の元に煮えたぎった憎悪を生のままで運ぶのは、なんとも躊躇われた。
「……レナルド、おれはまだ勇者を続けるし、魔物が出たらぶった斬る。あの
「はい」
「ただ、あいつの言葉に乗って、我を忘れそうになってたら、止めてくれ。お前にしかできない」
「……はい」
手の中にざらりと集まった、遺品の数々を見下ろす。もう何も語らない、かつての日々の欠片。
「生きてる奴じゃなきゃ、頼めないことなんだ、これは」
転がった遺骨は、奥へと避けてやった。それくらいしか出来ることは思いつかなかった。せめて……せめて、誰かに踏みしだかれることのないように。
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