第19話
「やあ、わざわざ悪かったな」
「初めてです、俺、こんな店……」
「貸し切りにしてあるから気を張ることはないよ。坊やも篠原と遊んでたのは聞いてる。少しくらいなら飲めるだろう?」
「あまり、強くはないですけど」
「水割りでいいかい?ワインもあるけど」
「薄くしてくれるなら」
「だ、そうだ。薄めに作ってやってくれ」
高そうなボトルに入った酒で、バーテンダーが薄めの水割りを作ってくれた。
「ま、とりあえず……乾杯」
誠心会総長のグラスの中身は水割りではなく、ロックだった。
グラスを合わせて瑞輝は酒を少し舐める。
多分、上等な酒なのだろうが、瑞輝は緊張から味はよくわからなかった。
ふと、カウンターの端に目をやると、男が一人、静かにグラスを傾けている。
貸し切りだと言っていたのに、他の客がいるのが不可解で、ちらちらとそちらに視線が向いてします。
その瑞輝の視線を追って、誠心会総長はふわっと微笑った。
「そいつは俺のボディーガードなんだよ」
「ボディーガード?」
「そう。どこに行く時も、着いてくる。ホントに窮屈だったらありゃしないよ」
「そうなんですね……」
「そう。こいつは影みたいんもんで、ぴったりくっついてて取れないんだ。だけど、極端に口数の少ない寡黙な奴だから、俺と坊やがしゃべったことが、外に漏れる心配はないから、気にしないでくれ」
「……はい……気にしないようにします」
「ところで、坊やは俺のことをどの位聞いてる?」
「篠原さんのいる組織のトップだってことと、もともとヤクザじゃなかったってことくらいです」
「そうだな。その通りだ。俺はもともとヤクザじゃない。て言うか……そもそも今ですらホントにヤクザなのかって言われたら、違うとしか言えないな」
「じゃあ、あなたは何者なんですか?」
「陰陽師……って言ってわかるかい?」
「なんですか?それ」
「まあ、拝み屋みたいなもんだと思ってくれればいい。俺の親はどっちも一人っ子で、俺も兄弟はいない。母親が誠心会の先代総長の一人娘で、父親が陰陽師の家系なんだよ。その二人が出会って恋に落ちた。まあ、周囲は大反対したらしい」
「どうしてですか?」
「どっちも跡を継がなきゃならない立場だったし、どっちも特殊な職業だ。過去、坊やの周囲にヤクザだの陰陽師だのっていなかっただろう?」
「……そう、ですね」
「うちの親は、無責任にも子供に跡を継がせるって言って、大反対を押し切って結婚したわけだが、生まれたのが俺一人でな。さあ、どうしようかって話。それでも、うちの親だの先代の総長が生きてるうちは良かったんだが、父親の方は術に失敗してあっさり死んじまったし、程なくして先代の総長も急死した。さて、跡を誰に継がせようかって話だよ」
「総長さんしかいないですよね?」
「そう。だから俺は意に添わない、ヤクザの総長兼陰陽師ってとても人様に言えない、どっちも社会の裏側の仕事をやってるんだよ。裏稼業の俺から言わせてもらえれば、こっちの世界に浸かってしまうとなかなか抜け出せない。俺がしつこく篠原と縁を切れと言うのはそれが身に染みてわかっているからだ。会ってみてよくわかる。坊やはこっち側に染まっていない。まあ、絵描き自体堅い仕事かどうかっていうのは、ちょっと置いておいてだな、少なくとも裏の仕事じゃないだろう。大手を振って、太陽の下を歩いていける仕事だ。坊やが有名なコンクールで受賞したのは聞いてる。エライ先生のところで勉強を始めたこともな。坊やは光あふれる道を歩いて行ける筋道がもう出来ているんだ。悪いことは言わない。篠原の家のことは俺に任せて、そのセンセイの所に戻るんだ」
「でも、俺、篠原さんと約束したんです。篠原さんが帰って来るまであの家を守っておくって」
瑞輝は頑固に言った。
見かけによらず、瑞輝が頑固者であることを誠志郎は知っていたので、一つ頷くと言葉を紡ぐ。
「……なあ、坊や。坊やはどうしてそこまで篠原にこだわるんだ?恩人だと言っていたな。篠原に恩義を感じているのか?」
「それは、もちろん」
「それだけか?」
「え?」
「俺にはどういうわけか、それだけには感じられないんだよ。坊やにとって篠原は特別な相手になってるんじゃないのか?」
「特別?」
「篠原のことが好きなんじゃないのか」
「好きですよ。当たり前じゃないですか」
素直な瑞輝の、素直な返答に誠志郎は頭を抱えた。
そういう話ではないということが、まったくわかっていない。
「どうしたんですか?」
瑞輝は不思議そうに訊ねた。
「いや……いい。坊やは坊やなんだなぁと思ってな」
篠原が魅入られるのも頷ける。
瑞輝本人に自覚がないこともあって、篠原はどんどんこの光に魅入られていったのだろう。
「なあ、坊や。坊やが篠原と離れずに済む方法が一つある」
「なんですか?その方法って」
「篠原にヤクザを辞めさせることだ」
「それはできません」
誠志郎の提案に、瑞輝は即座に否定で返した。
「何故だ?」
「前にも言いましたよね?篠原さんが生きる道がヤクザだけだからです。俺が絵を描くことしかできないように、篠原さんにはヤクザしかできないと、そう自分で言っていました」
瑞輝のこの言葉を受けて、誠志郎は黙ってタバコに火をつけた。チョコレートのような甘い香りがする、外国のタバコだった。
誠志郎はタバコを一本吸い終わるまで、無言だった。
そして、グラスの中身を一気にあおる。
空になったグラスをバーテンダーが下げ、新しいグラスが供された。
「坊やは、この先どうしようと思っているんだ?篠原が出所したら、だが」
「篠原さんが、俺に出ていけって言うまで、一緒にいます」
「篠原がずっとそう言わなかったら?」
「篠原さんの邪魔にならないなら、ずっと一緒にいます」
「坊やは絵描きになるんだろう?この先名前が売れて、ヤクザとかかわりがあるってことが、何かの足枷になるかもしれないのは想像できるかい?」
「俺は、絵さえ描ければそれでいいんです。売れたいのかと言われたら、必ずしもそうではないんです」
「画家として大成するより、篠原の側にいたいのか」
「総長さんは……」
「ちょっと待った」
誠志郎は瑞輝の言葉を遮った。
「え?」
「その、総長さんは、やめてくれ」
「え?……でも、総長さんは誠心会の総長さんなんでしょう?」
「そうだよ。誠心会総長だ。だから、親どころかじいさんほどの年齢の連中に『総長』と呼ばれるのは仕方がない。俺は年齢に関係なく、あいつらの親だからな。だが一般人の坊やにまで『総長さん』とは呼ばれたくはない」
彼は子供のようなわがままを言った。
「……でも、じゃあ、何て呼べばいいんですか?」
「名前で呼んでくれればいい。誠志郎っていう名前がある」
「じゃあ……誠志郎さん……誠志郎さんは篠原さんとは切れろって言うけど、俺はあんなに優しく俺を守ってくれる人に会ったことがないんです。俺は何もできなけど、篠原さんの何の役にも立てないけど、ただ、俺が側にいると何となく気分が良くなるって言ってくれたんです。だから、もうお前はいらないって言われるまでは、俺から篠原さんの側を離れることはありません」
「なかなか、頑固だな……説得はムリ、か。ヤクザになんかかかわるのは絶対ろくなことにならないのが、なんでわからないかなあ」
誠志郎は愚痴った。
「篠原さんが外で何をしているのかは、知りません。俺は、そもそもヤクザが何をする仕事なのかもよく知らない。でも、篠原さんは俺に怖いことをしたり言ったりしないし。逆にすごく優しくて、いつも気遣ってくれます」
篠原は叩き上げのヤクザだと聞いている。高校を中退して、いつの間にか組の仕事を手伝うようになり、正式に組員になって、下働きから若頭にまで上ってきた人間だ。気配りの一つもできなければ出世はできないし、組長の覚えめでたくなければ、そもそも上にも上がれない。女を何人も抱え込んでいて、それが篠原のシノギだと聞いているが、確かにそのシノギであればマメで、気配りができなければ成り立たない。
「俺が言うことじゃないかもしれないが、篠原は女を使ってシノギをあげてるんだよ」
「それは知ってます」
瑞輝の返答に誠志郎は驚いた。
まさか、このことを瑞輝が知っているとは思っていなかったのだ。
「知ってる?なんでだ?」
「篠原さんが教えてくれました」
「……あいつは、こんな坊やに何言ってるんだ」
「何か、おかしいですか?」
「いや、別に……坊やが何とも思ってないなら、別にいいんだ」
このことで、篠原のことが好きだと言った、その言葉にまったく性的な意味ではないことがわかってしまう。
誠志郎は、そっとため息をついた。
いっそのこと、篠原が哀れに思えてしまう。
気持ちがまったく通じていないのだから。
「誠志郎さん……どうかしましたか?」
「いや……何でもない」
誠志郎はグイっとグラスを干した。
すぐにバーテンダーが新しいグラスを供する。
「……お酒……強いんですね。篠原さんも強いけど」
「色々と、ストレスの激しい仕事だからな。ヤクザも陰陽師も」
誠志郎はふわりと微笑う。
「ストレス……ですか……」
「うん」
「そうですね……大きなヤクザの組織のトップだし、確かにすごくストレスになりそうですね」
「そうなんだ。全然かわいくもないじいさん連中のさ、突然親にされたんだぞ。ストレスマックスだよ」
「陰陽師?でしたっけ……そっちもストレスになるんですか?」
「人の恨みつらみばっかり聞かされるんだぞ?ストレス以外の何物でもない」
「あの……これは、答えたくなければ、答えていただかなくてもいいんですけど……陰陽師って何する人なんですか?」
「そうだなぁ……一般人に説明するなら、悪霊を祓ったり、結界を張ったりとかだな。だけど、ホントのところは、人を呪ったりもするんだよ」
「え?」
「政敵とか、呪ってくれって依頼もあるんだ。恋敵とかもな」
「それは……やるんですか?」
「やるよ。仕事だからな」
誠志郎があっさり応じると、瑞輝は何とも言えない表情を浮かべる。
「言っただろ?裏の稼業だって。まったく、俺ほど胡散臭い人間もそうはいないと俺でも思うよ。坊やだってそう思わないか?ヤクザと陰陽師だぞ。俺以上に胡散臭い人間って言ったら、ホント、新興宗教の教祖くらいじゃないか?」
誠志郎は笑って言って、話を冗談にした。
瑞輝はくすくすと微笑う。
「でも、そんな大変なお仕事兼任されてて……ホントに、大変なんですね……」
瑞輝の言葉に含まれる気遣いの気持ちが、本当に柔らかくて、誠志郎は癒された。
なるほど、篠原が魅かれるのも無理はない。
誠志郎は篠原の気持ちにやっと合点がいった。
これは、確かに中毒性がある。
「坊やは、ホントにいい子なんだなぁ……篠原の気持ちがわかるよ」
「えっと……俺も、一応もうじき二十歳なんで、その、いい子って言われるのはちょっと……」
「マジか、それ」
誠志郎は本気で驚いた。
高校は出ていて、美術学校を中退しているということは知ってはいた。
だから、頭ではそのくらいの年齢であることはわかっていたが、実際にもうじき二十歳だと言われると、正直驚いてしまう。
見た目はまだ高校生くらいにしか見えない。
「よく言われます……篠原さんにも家出少年と思われてましたから」
「俺と、五つしか変わらないじゃないか」
「え?誠志郎さんって二十五歳なんですか?すごく落ち着いてるから、もう少し年上かと思ってました」
「まぁ、仕事が仕事だからなぁ……何か、弟くらいの年齢なんだなぁ……」
誠志郎に弟はいないが、いればこんな感じなのかと、急に、親近感が湧いてくる。
「坊やってさ、普通の家の生まれなんだろ?」
「はい。父はサラリーンマンで、母と兄がいます」
「絵は、小さい頃から好きなのか?」
「はい。幼稚園の頃から絵画教室に通わせてもらって、高校もデザイン学科のあるところに通って。美大も受けたんですけど、落ちちゃって、美術の専門学校に行ったんです。そこも、飛び出しちゃいましたけど」
「そうか……何か、絵に描いたような一般家庭だな。家族は仲良かったか?」
「そうですね……親に叱られたって経験ないですね。母には反対されたけど、東京に出て美術の専門学校に入るっていうのも、結局は許してくれたし……兄も、年齢が離れていたからか、すごく優しかったです」
「お兄さん、いくつだ?」
「えっと……確か、二十六歳かな?」
「随分、年齢離れてるんだな」
「そうなんです。親も俺が生まれると思ってなかったみたいで、兄がホントにすごく喜んでくれたらしくて。ホントにかわいがってくれました」
「俺も、兄弟いないからなぁ……その気持ち、わかるよ。せめて兄弟いてくれたらって思うしな。だって、兄弟がいたら、こんなややこしい仕事、一人で背負いこむことなかったしなぁ」
誠志郎はよほど今の仕事がイヤらしく、そう本音を言った。
誠志郎は何故だか、瑞輝には本音を語ってしまう。
これこそが、瑞輝の持つ力なのだろう。
光溢れる癒しの力。
瑞輝には人を癒す力がある。
絵を描く人間だから何なのか。
いや、きっとそうではないだろう。
これは、瑞輝の、彼自身の持つ力だ。
篠原が魅かれてやまない、瑞輝のキラキラと光る、そう、光の世界の人間の力。
どんな逆境にあっても、ヤクザだの陰陽師だのと言った、闇の世界には決してかかわらず、自身の力だけで生きていける、その、生命の力。
パッと見には、弱弱しいように見えるが、本当はしなやかに強くて、決して折れない。
柔らかく、キレイで、純粋な、瑞輝。
闇の世界の人間からすれば、まともに顔を向けることすらできないような、光。
「坊やは、いつまでもそのままでいてくれ。篠原はそれを望んでいるんだろう」
「誠志郎さん……」
「坊やは、本当にキレイだ。篠原も言っていた。瑞輝ほどキレイな人間に出会ったことがないってな。篠原と別れることになっても、坊やはそのままの坊やでいてくれ。坊やがそのままの坊やでいてくれたら、それが篠原のみならず、俺にとっての救いにもなる」
「俺……そんな御大層な人間じゃあないですよ。キライな人間もしますし、ズルだってします。絵を描く以外のこと、何もちゃんとできなくって。家族にはホントに心配かけてきました。篠原さんにもすごく迷惑をかけてしまったし、俺なんかが居着かなきゃ、こんなことにはならなかった。ホントに、篠原さんにはとんでもない迷惑をかけちゃって、どうやってお詫びしたらいいのか……」
「大丈夫だよ。篠原はそんなこと気にしちゃいない。坊やが拉致られていた時の篠原は見ていられなかったな。ホントにほとんど寝てもいなかった。坊やを見つけたって知らせたら、飛んできたよ」
「そうだったんですか……」
篠原が自分を探していてくれていた。
迷惑をかけてしまったことの申し訳なさよりも、なんだろう、とても、嬉しい。
それが、瑞輝の正直な気持ちだった。
篠原は、どんな時も瑞輝を守ってくれる。
いつも。
どんな時も。
「さてと、坊や。もう時間も遅い。送らせるから帰りな」
誠志郎は一人静かにグラスを傾けていた。
考えるべことは、いくつもあった。
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