第11話

 「気ぃついたか?」

 「……篠原さん?」

 「ああ。どっか、痛くしてねぇか?」

 「俺……あれ……」

 ぼんやりと、ことの顛末が飲み込めないのだろう、瑞輝は篠原を見た。

 そして、一気に記憶がつながったのか、叫ぶ。

 「組長さんは!」

 「落ち着けよ。オヤジは無事だ」

 篠原の言葉に瑞輝はいったん起こした体をまたベッドに倒した。

 「良かった……」

 「お前のおかげだよ、瑞輝」

 「そんなこと……」

 「まさか、このご時世に、オヤジが鉄砲玉に狙われるとは、俺も考えてなかったよ。油断してた。お前がいなきゃ、どうなってたか……」

 「無事でよかった……ホントに」

 「ああ、その通りだ。なあ、瑞輝。ちょいと明日から窮屈な思いさせるけど、家から出ないでくれないか?俺なりに、この一件を探ってみる。お前は、俺の弱味だからな。マンションの外に若いのを詰めさせるし、俺は組に詰めなきゃならんだろうし……だから、ちょっとの間だけ、我慢してくれねぇか?」

 「大変なことになるの?」

 瑞輝は不安そうな表情でそう訊ねた。

 ムリもない。

 瑞輝は抗争など聞いたことすらないような、素人だ。

 「正直言って、俺にもよくはわからん。だが、用心は必要だからな。とりあえず、俺が帰るまで、悪いが家にいてくれ」

 「うん……」

 瑞輝にはわからない、ヤクザの世界の話だ。

 篠原が帰ってこなくなることに、淋しさを感じたこと、それ自体に瑞輝は正直驚きを感じた。

 俺は、いったいどうしてしまったのだろう……戸惑いを隠せない瑞輝だったが、それを篠原は見過ごした。

 今は、戦争になるかもしれない事態に、篠原はさすがに瑞輝にだけかまけている場合ではなかったのだ。

 小競り合いですむのか、大戦争になるのか。

 今はまだ、わからなかった。


 「抗争は禁止だと言ってあるはずなのに、何故揉め事を起こすんだ」

 誠心会本部。

 先日の襲撃を受けて、組長の大沢と若頭の篠原が呼び出された。

 誠心会総長を前にして、二人は畏まっていた。

 篠原は若い総長に会うのは初めてだったので、頭を下げながらも、静かにその総長を観察した。

 元々カタギだったと聞かされている総長は、20代半ばくらいで、赤くて長い髪を後ろで一つにまとめ、シャツとデニムといういでたちで、どこにでもいそうなただの若い男に見える。

 だが、その目だけはその男がただそのあたりにいそうな平凡な男であることを裏切っていた。

 鋭い、というわけではなく。

 何か、この世の深淵を見てきたような、深い眼差し。

 何もかもに興味を無くしてしまったような、この世から一歩も二歩も距離を置いている傍観者の眼差しだった。

 それも含めて、とてもヤクザの総長とも思えぬ男だった。

 そんな総長は大沢と篠原に気怠そうな視線を投げて、ため息を落とした。

 「聞いてるぞ。その場にカタギの人間がいたってことも。素人さんを巻き込んで、ケガですめばまだしも、取り返しのつかないことにでもなっていたら、どうするつもりだったんだ」

 「総長。発言してもよろしいですか?」

 「もう、発言してるじゃないか。聞いてやるよ、言ってみろ」

 篠原の発言に総長はそう言った。

 「うちのオヤジの命を救ってくれたのが、その素人さんなんです。体張って、オヤジをかばってくれて。私もオヤジもそいつにオヤジの命を救われたことは忘れてません」

 「ヤクザが素人さんにかばわれてどうするよ」

 呆れたような総長の言葉。

 「そもそもが、抗争は禁止と言ってあるだろうが。何で狙われたんだ」

 「新宿の、うちのシマに入り込もうとしている中国系の輩らしいです」

 篠原が自身が調べた情報を総長に報告した。

 「チャイニーズマフィアか……」

 苦みを含んだ総長の声。

 「奴らは、スジも何もあったもんじゃないからな」

 「おっしゃる通りです」

 「どちらにしろ、売られた喧嘩とは言え、買うんじゃない。誠心会の看板を汚すことは許さんよ」

 総長はきっぱりとそう言った。

 誠心会総長の決断であるのに、篠原は食って掛かった。

 「総長。売られた喧嘩です。放っておいたら龍沼組はもちろんですが、引いては誠心会そのものが舐められますよ」

 「舐められたくらいじゃ誠心会は揺るがんよ。戦争はならん。それが誠心会の結論だ。龍沼がどうしても戦争をやりたいなら、盃返してからやるんだな」

 総長はきっぱりとした口調でそう言い捨てた。

 「総長!」

 「修二。てめぇはちぃっと黙ってな」

 大沢が初めて口を開いた。

 「おやっさん……」

 大沢は篠原を視線で制して総長に向かって口を開く。

 「総長。うちは、本部に立てつこうって気持ちは一切ありゃしません。私は確かにタマ狙われはしましたが、おかげさまでこうして無事に生きております。総長のおっしゃる通り、素人さんに命を救われたんです」

 「色々と聞いてるよ。若頭の篠原がその素人さんに入れあげてるとか、な」

 「お耳が早くておいでだ」

 大沢は笑みを浮かべて応じた。

 「ヤクザと素人さんで、うまくいくとは思えないがな」

 いったいどこで誰に聞いたのか知らないが、総長は余計なことを知っているらしい。

 まったく、余計なお世話だ。

 篠原にしたって、瑞輝とうまくいくとは端から思ってはいない。

 永遠の片恋。

 それでも。

 ほんのひと時でも。

 ともにいられるのなら、どれだけ幸福か。

 「篠原」

 「はい」

 「お前、その素人さんに惚れてるのか?」

 「はい」

 「ハッピーエンドを望んでるなら、はっきり言っておく。そんなことはありえないぞ」

 「そんなもんは望んじゃいませんよ」

 そう応じた篠原を、誠心会総長は物珍しそうに眺めた。

 「ハッピーエンドじゃなくてもいいのか」

 「私は、あいつを縛る気は一切ありません。いつか、私の元を離れても。多分、それは確定した将来でしょうが……あいつの人生のほんのひと時だけを共にできるだけでいいんです。あいつは、私のように汚れた人間じゃない。素人の、真っ当な人間です。私があいつの人生の邪魔になるなら、私は喜んで身を引きます」

 そう。

 篠原にとってはひと時の安らぎでしかないことは百も承知している。

 所詮、自分と瑞輝は住む世界が違う。

 瑞輝はいずれ、絵の世界で身を立てていくことだろう。

 そうなった時に篠原が側にいればどうなるか。

 考えるまでもなく、瑞輝の足を引っ張ることになる。

 ヤクザの自分が側にいるせいで、瑞輝の画家としての未来が閉ざされたら、篠原はどれほどに後悔することになるだろう。

 「そもそも、その素人さんをなんでそこまで思ってるのか、不思議なことなんだがね」

 誠心会総長は茶を一口口にした。

 「色々と、噂だけは耳に入ってる。大沢。お前はその素人さんに会ったことはあるのか?」

 「ありますよ、もちろん。私の命を救ってくれたのが、その素人さんです」

 「龍沼は、組上げてその素人さんに入れあげるか。俺には破滅の道に見えるがね」

 「組としてどうこうってことじゃあございません。その素人さんはうちの若頭にとって大事なお人。私にとっても命の恩人。それだけのことです」

 「素人さんを巻き込むな。それはうちの組として絶対だ。お前や篠原にとってウイークポイントになる。それぐらい、わかるだろうが」

 「総長」

 「素人とかかわる。それ自体がリスクだ。お前にしろ、篠原にしろ、何故そんなに素人に入れ込む?命を救われたというなら、悪いことは言わない、関係を断て。それがその素人さんのためだ。わかっているだろう?もし、その素人さんが人質にでも取られたらどうするよ。所詮、ヤクザなんてもんは、社会のゴミだ。カタギの人間に入れ込んだとて、どうしたってハッピーエンドにはならない。抗争も禁止だ。売られた喧嘩は買うな。馬鹿を相手にする以上、バカをみるのはこっちになる。根回しは全部、本部でやる。お前たちは大人しくしてるんだ」

 誠心会総長はそう話を締めくくった。

 しかし、それでも篠原は黙っていられず、口を開く。

 「総長!」

 「修二、黙ってな。総長が戦争はならんと仰せなんだ。おめぇごときが総長命令に異議を述べるんじゃねぇ」

 大沢が篠原を叱りつけた。

 「総長。うちの篠原が失礼を申し上げやした。龍沼組は誠心会総長命令に従いやす。これの失礼も、どうかこの私に免じてお許しください」

 大沢が総長に頭を下げて詫びをいれた。

 総長は鷹揚に頷き、篠原も頭を下げざるを得なかった。

 そのまま誠心会総本部を後にした大沢と篠原は、自動車に乗るまで黙り込んでいた。

 自動車に乗り、しばらくしてから大沢は口を開いた。

 「修二、おめぇは総長には初めて会ったんだよな?どう思った?」

 「売られた喧嘩を買うなとか、まったくの素人さんですね。ヤクザが売られて喧嘩を買わないでどうします?舐められちまいますよ」

 「おめぇはそう思うわけか……」

 「おやっさんはそうは思わないんで?」

 「わしは、あのお人はできたお人だと思う」

 大沢は静かに言う。

 「おやっさん?何言って……」

 「確かに、あのお人は素人さんだ。だが、戦争になったらどうする?それも相手はチャイニーズマフィアだ。血塗れの戦争になる」

 「そんなもん、何も怖かねぇですよ」

 篠原はきっぱり言い切った。

 自分はヤクザだ。

 ヤクザが売られたケンカを買わないでどうするのだ、という思いが強い。

 そんな篠原に大沢は静かに言う。

 「坊ンがそれに巻き込まれても、てめぇはそう言えるかい?」

 そう言われてしまうと、篠原は黙り込むしかなかった。

 瑞輝を巻き込むことになったら、自分はどうなるだろうか。

 「総長も仰ってただろう。てめぇはあの坊ンを質に取られでもしたら、何があったって助けに行くだろうが」

 大沢の言う通り、万が一瑞輝が攫われでもしたら、篠原は命がけで瑞輝を助けるために動くだろう。

 「坊ンを危なねぇことに巻き込むんじゃねぇ。坊ンはわしにとっても命の恩人だ。今回のことは、本部の意向に沿う。戦争はなしだ。てめぇは家に詰めて、坊ンを守ってろ」

 「オヤジ……」

 「坊ンにはいらぬ苦労をかけちまうな。ことがすんだら、真っ先に詫びにゃならんが、今はとにかく、坊ンの身の安全が最優先だ」

 「おやっさん。大事なのはおやっさんのお命ですよ」

 「何言いやがる。てめぇにとっちゃ何より大事なのはあの坊ンだろうが」

 「いや、そりゃ瑞輝も大事ですが、俺にとっちゃオヤジだって……」

 「バカ野郎。わしは守ってくれる人間は掃いて捨てるぐらいいる。坊ンにはてめぇ一人だろうが」

 「おやっさん……」

 「坊ンを頼んだぜ。わしの命の恩人だ。こっちが戦争をする気がなくても、相手がそれで引いてくれるとは限らねぇ。本部が動くとは言え、それですぐ片が付くというもんでもねぇ。坊ンにかすり傷ひとつつけるんじゃねぇぞ。それから、できるだけいつも通り、過ごさせてやんな。坊ンが何の心配もないように、な」

 「……はい」

 戦争の回避。

 ヤクザの面子はともかくとして、それ自体は良いことなのだろう。

 少なくとも、瑞輝が危険にさらされる可能性は減る。大沢が瑞輝を気遣ってくれるのも正直嬉しかった。

 マンションに戻って、敷地の外に数人はいる若い者たちには目もくれずに、篠原は部屋に戻った。


 「おかえりなさい、篠原さん」

 篠原が部屋のドアを開けた途端、瑞輝が出迎えてくれた。

 「瑞輝」

 「……大丈夫?」

 心配そうに問われて、篠原は動揺を隠せない。

 「何が?」

 「だって、顔色、悪いよ?」

 「そうか?」

 「今朝だって、家から出るなって言って、怖い顔で出て行ったじゃないか。この前だって、あんなことがあったし。何かあったのかって……」

 「心配してくれたんだな、ありがとうよ」

 なんでこんなに癒されるのだろう。先ほどまであんなにささくれだっていた気持ちが、瑞輝の顔を見ただけで解けるように柔らかくなっていくのがわかる。

 「組の総本部に呼び出されたんだよ」

 「え……っと、前に篠原さんが言ってた、ヤクザになりたくなかったって言う、素人の総長さんに呼び出されたの?」

 「よく覚えてるな。そういうことだよ」

 篠原は話しながら瑞輝を抱きしめた。

 「ああ、癒されるわ~」

 「篠原さん、大丈夫?」

 「ああ、大丈夫だ。瑞輝は俺の癒しだよ。こうやって抱きしめてるだけで、ホントに癒される」

 「こんなことで篠原さんの気持ちが少しでも落ち着くんなら、俺はいいけど……でも、聞いていいかな?何があったの?」

 「……そうだな、お前には聞く権利があるわな」

 篠原は瑞輝を開放して、ソファーに誘った。

 瑞輝をソファーに座らせてから、篠原は冷蔵庫からビールを取り出してきて、瑞輝の横に座る。とてもじゃないが、飲まずにはやってられなかったのだ。

 タバコに火を点けて、ゆっくりと深く煙を吸い込んでから、篠原は隣におとなしく座る瑞輝の顔を見た。

 小さな、かわいらしい顔だが、今はやけに真剣な顔をしている。

 こんな表情もできるのだな、と思う。

 ずっと見ていられるし、ずっと見ていたい顔だ。

 篠原はタバコとビールを置いて、瑞輝の手を取ってそっと口づけた。

 「篠原さん?」

 「キレイな手だな……俺なんかとおんなじ人間だとは思えねぇよ。華奢で……何て言うんだ?繊細か?いかにも芸術家の手だな……お前は、手までキレイなんだなぁ……」

 「篠原さん……そんな話して、俺の事誤魔化そうとしてない?」

 「まさか……俺はホンキでそう思ってんだよ。お前はキレイで……純粋無垢で、人間としてもすげぇ出来た人間だよ。その証拠に……お前が、うちのオヤジを守ってくれたじゃないか」

 「うん、そうだね」

 「なんでだ?」

 「何でって、とっさのことで何も考えてなかったよ」

 「とっさに人を助けようってのが凄いことなんだよ。俺は正直驚いたぜ。初めて会った赤の他人を命がけで助けるなんてな」

 「誰だって、そうするだろ?」

 「とっさの時にそんなことできねぇよ。誰だっててめぇの命が一番大事なんだ。お前はすごいよ、尊敬する」

 そんなことをいわれても、あの場であの男の動きに気づいていたのは自分だけだったし、瑞輝にとっては当たり前のことだったので、困ってしまう。

 「だからよ、お前は顔だけじゃなくって、全部がキレイなんだよ」

 篠原はやけに真剣な表情でそう言った。

 「俺は、お前みたいにキレイな人間を今までに見たことがねぇ」

 「篠原さん……」

 篠原は瑞輝にそっとキスをした。

 篠原は、とにかく自分をとても大切に扱ってくれていることを瑞輝は思いを新たにするが、このまま誤魔化されてはいられない。

 「篠原さん。俺のこと誤魔化そうとしてるだろ?ちゃんと話してよ」

 「誤魔化そうとなんか、してねぇよ。ちゃんと話す。ちょっとだけ、な?」

 篠原はもう一度瑞輝にキスをして、ふっと溜息を落として、口を開く。

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