第32話 帰ってきたら

満州国、新京陸軍駐屯地。


「豆腐か、まさしくその通りだな...」


西住はそう口ごもる。ソ連軍の強力な戦車隊を前に損害を出し、撤退した安岡支隊の戦車兵を、第23師団の兵士はそう揶揄した。


『期待していた我軍の戦車部隊は、まるで豆腐のように貧弱で、ピアノ線を前に崩し潰された』


中隊所属車の半数以上を失い這々の体で帰還した西住に投げかけられたのは、そのような非情な言葉だった。それが事実であるのが、より西住の心を抉った。


「西住中隊長、ソ連軍の戦車は強かったのです。チハ車といえども限界があります、もっと装甲が厚くて、敵の装甲を抜ける主砲があれば別ですが、勝てない敵というのも存在します」

「そうです中隊長、何も知らない連中の言葉に耳を傾ける必要なんてありません」


生き残りの部下はそう言うが、何十人もの部下を死なせた責任と代償は大きい。死んだ部下の中には支那事変の前から親しくしていた戦友も多くいて、なおのこと彼らの家族に顔向けできない。


これは自分の責任なのだ。


「少し一人にさせてくれ」


西住はそう言うと、兵舎の外に出た。


「良い部下達だな」

「ああ、本当に大切な部下たちだ。だからこそ死なせてしまったことが本当に、本当に...」


西住は我に返る、自分は一体誰と会話しているのだろうか? 声の主の方を振り返った。


「なら、強い戦車を、装甲が厚くてソ連の戦車を抜くことが出来る戦車を、優秀な中隊長である貴官に授けよう。我々は関東軍が作戦に失敗することを予想して、補填用の戦車も沢山持ってきたのでな」

「あなたは...」




※ ※ ※ 




「君もツイていないな、あいつの見守りをすることになるなんて」


山下奉文中将は当の本人が野暮用で居なくなったところで、兵站監である中村儀十郎大佐の境遇を思いそういった。中村らが乗る自動車はその為にわざわざ駐屯地の前で停車していた。


「まあ、命令は命令です。それに関東軍の兵站状況は杜撰だと聞いています。それを改善しないことには何も出来ませんし、何より軍需局長の頼みですので」


関東軍は本国の手を借りたくないのか、自分たちだけであれもこれも解決しようとし、その結果兵站が正しく機能しているとは言い難い。中村が命じられたのはその改善であった。


山下中将は車の横の道路を続々と通過していく、膨大な量のトラックに目をやった。


「あれも軍需局が手配したものか?」

「はい、これは全部鉄道で朝鮮から運んできた九四式自動貨車です。ノモンハンでの戦闘の消耗分と後方支援用ですね。九四式は故障しやすいらしく、評判はあまり良くないらしいですが、無いよりはマシです」


関東軍は、軍用の四輪や六輪トラックはあまり数が確保できておらず現地の自動車を徴収して物資の輸送を行っていた。そして、その中心になっていたのは国産のいすゞトラックではなく、頑丈で信頼性が高く数が確保できたGMのトラックだった。


中村は助手席からサイドミラーを確認し、その人物が帰ってきたことを認めた。その人物は後部座席に乗り込むと、運転手にGOサインを出す。


「では、いざ関東軍司令部に乗り込むとしようか」


中村らが乗る自動車の後方には、その人物が率いる部隊の大量の戦車や装甲車が連なっていた。それらはその自動車の出発に合わせて、前から順に動き始めた。




※ ※ ※





満州国新京、関東軍司令部、二階参謀会議室。


「状況から考えて、今年中にソ連軍の攻勢が行われることはないでしょうな。特務機関もソ連軍が補給に悲鳴を上げ、攻勢を延期することを決定したとの情報を掴んでいます」


辻参謀はそう申す。怠慢に怠慢を重ね、傲慢に怠惰になってしまった関東軍司令部は、完全に楽観的になり状況を見誤っていた。


「その通りであろう。ここ半月敵の攻勢は全て撃退したから、ソ連軍も疲弊していることだ、それに冬が来ればノモンハンの辺り一帯は川も凍てつくような寒さになる。とても作戦行動など出来るはずあるまい」

「攻勢があったところで我々の防備は完璧です。今までのように烏合の衆であるソ連軍などいとも容易く撃滅してみましょう」

「三倍なら殲滅し得べし、五倍なら相当なる打撃を与え得べし、十倍なら攻撃し得べし。所詮ソ連軍など支那軍と変わりありませんな」


「「「ああはっはっはっ!!!」」」


あまりにソ連軍の自作自演の撤退に自信をつけたのと、ジューコフの攻勢の偽装と防諜、偽情報のタイミングが完璧であったため、関東軍司令部はもはやソ連の攻勢は無いと確信してしまっていた。


その司令室に、伝令兵が駆け込んできた。


「大変です! 戦車が、大量の戦車が新京に入ってきています!!!」

「「なんだと!?」」


伝令兵はあまりにその光景に驚き過ぎたが為に『味方の』という語句をつけ忘れてしまった。


司令部の面々は急いで添えつけられている窓から外を見る。なんと、見たことも無い形をした何十もの戦車が司令部の周りを取り囲んでいるではないか。


「て、敵襲か!?」


そこに更に二人目の伝令兵が駆け込んできた。


「報告! この部隊の指揮官が面会を求めています!」


この伝令兵もテンパり過ぎたが故に部隊の名称と指揮官の名前を省いてしまった。そして、返答よりも先に、二人の伝令兵を横にやって司令室に二人の人間が入ってくる。


「どうも関東軍司令部の皆様。第六軍の司令官を務めさせていただく、山下奉文とも申します」

「同じく第六軍の兵站監を務めさせていただきます、中村儀十郎です」


そして、三人目、もう一人がその二人の後ろから現れる。ある者は驚き、ある者は顔をしかめ、ある者は、帰ってきてしまったかと絶望した。


「独立混成第1師団師団長、石原莞爾であります。どうぞ以後お見知り置きを、もっとも今日でお別れの方もおられるでしょうが」


そう言って石原は、紙を掲げた。皇軍大臣の署名があるそれにはこう書かれていた


  

『辻政信大佐ヲ違令ノ罪二ヨリ起訴スル。直チニ軍法会議二出席セヨ』

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