第7話 平賀譲



一九三五年当時の日本軍の溶接技状況といえば、溶接は所々では使用されていたものの、基本は鋲接リベット工法が中心であり、特に海軍の艦船ではそれが著しかった。

何故か、それは友鶴事件など代表される溶接構造の構造上の強度不足にあった。


溶接工法はリベット工法に比べて幾分軽量にできるが、当時の溶接技術では強度不足が否めなかった。


しかし友鶴事件は軍縮条約内での無理な要求によって重武装を施した艦の復元性の問題であり、リベットや溶接どうこうという話ではなかった。


だが水雷艇「友鶴」の設計主任であった藤本造船技官は積極的に溶接工法の導入を進めており、友鶴事件後にリベット工法が使われるようになったのは藤本の予備役編入後にリベット工法の使用を主張していた平賀譲の影響が大きかった。


それまでは吹雪型といった艦艇にも溶接工法が使用されていたのだが、藤本が降りた後は平賀の意見で保守的なリベット工法に逆戻りしたのだ。





だから西澤にとって今、目の前の光景が信じられなかった。


「ああ、だからよくやってくれたなと言っているんだ」


テーブルの向かいで盃を口に運び、日本酒を嗜んでいるのは平賀譲本人であった。


「どうした? ドイツの溶接技術が取り入れられればより我軍の軍艦は強く、そして効率的になる。喜んで何もおかしいことはないだろう?」


「は、はぁ、確かにそうですが...」


一九三五年三月、漆原大佐の奮闘もあってドイツとはこちらから酸素魚雷の設計図を提供する代わりに溶接技術を提供してもらうことを取り付け、さっそく艦本の研究部にドイツ人技術者の一団が来ているところだった。

漆原大佐がドイツから帰国する定期便に乗ってきたのだ。


それで、海軍の人事で色々仕事を抱えていた西澤は、久しぶりに海軍省に顔を出したのだが、そこで漆原大佐と共に平賀中将に捕まってしまったのだ。

流されるがまま近くの飲み屋に連れて行かれてしまった。


いつも強気なことが多い漆原と西澤も、老練の、それも造船界の大先輩となっては抗うすべが無かった。


「そうかしこまらんで良い、階級的には同じだろう。それに私はもう退役している、今はただの嘱託軍人だ」


漆原は伏見殿下の時もそうだったが、それよりももっと小さく縮まって、端っこの方でメガネをカチャカチャと弄りながらその会話を見ていた。


「そうですね...」


平賀中将には会ったことは無かったが、藤本技官の話からなんとなく頭が固くて、持論を曲げない頑固者だと思っていた。

それがどうだ、蓋を開けてみればそこまででもない。


普通におおらかで、接しやすい人だ。


「いや、平賀中将はもっと、その、頭の固い人だと思ってたので、溶接技術を取り入れることに賛同したのが意外で...」


平賀はその言葉に驚き、笑いをこぼした。


「そんなふうに思われていたのか。まあ確かに溶接工法には賛成してこなかったが、それは今までの日本の溶接技術が未熟だったからだな」


もっと、リベット工法に拘っている人だと聞いていたのでそれも意外だった。


「今までの溶接工法は問題が多く、構造上の強度が軍艦に使用するには値していなかった。確かに新技術を取り入れるべきだったのだろうが、溶接工法を採用するには日本はまだ早かった。そして今、溶接工法を取り入れるときが来たということだ」


平賀中将は漆原大佐を見据え、当の漆原はメガネを置くと、はっと向き直った。


「貴官がドイツから溶接技術を取り入れるために交渉に赴いたそうだな?」


「はい、そうであります」


一体何ごとやらと、叱咤でもされるのかと漆原は構えた。

だが西澤には平賀が言おうとしていることがなんとなく分かった。


「本当によくやってくれた。感謝する」


平賀はそう言って頭を下げた。

漆原は戸惑い、こちらの方を見た。


生憎、顔を見合わせて共感してくれる相手は居なかった。

漆原は仕方なく平賀の方に向き直り、否定の言葉を口にした。


「いえいえ、そんなことないです。小官はほとんど何もしていませんし」


だとしてもだ、と平賀は言う。


「溶接の全面導入は藤本の悲願でもあったからな。あいつに言ってやりたかった」


酒が入ってきたのか少し口調が揺れつつも、平賀はどこか遠くを見るような目で、そういった。

それも意外だった。

西澤が知る限り藤本技官は平賀造船中将とは犬猿の仲であったはずだ。事あるごとに対立していたと、藤本技官からも聞いているし、当時を知る将校も同じことを言っていた。


「私は頭が固いもんでね、軍艦の設計は保守的で技術があるリベット工法ですべきだと思っている。昔からずっとそうだったよ。それをあいつは溶接工法を採用すべきだと言い始めてね」


ぽろぽろと平賀の口から零れてきたのは、10年前、部下であった藤本との記憶だった。

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